概要

1945年8月9日午前11時2分、B-29「ボックスカー」がプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」を投下。本来の目標は小倉であったが視界不良のため長崎に変更された。TNT換算約22キロトンの威力で浦上地区を中心に壊滅。1945年末までに約7万4千人が死亡。浦上天主堂は爆心地近くで倒壊し、キリスト教徒の被爆という悲劇の象徴となった。

歴史的背景

広島への原爆投下後もポツダム宣言受諾の決定が遅れ、8月8日にはソ連が対日参戦した。第二の原爆は日本の降伏を促すために投下された。小倉への投下が視界不良で断念され、長崎が次善の目標となった経緯は歴史の偶然性を示す。

地形・地理的特徴

長崎は山に囲まれた谷間の都市で、浦上地区は浦上川沿いの狭い谷地に位置していた。この地形が爆風を一部遮蔽し、広島より被害範囲は限定されたが、谷間に集中した浦上地区の被害は壊滅的であった。三菱造船所・三菱兵器製作所など軍需工場が集積していた。

歴史的重要性

人類史上2発目にして最後の実戦使用された核兵器となった。長崎の被爆体験は広島とともに核廃絶運動の柱となった。浦上天主堂の被爆はキリスト教国アメリカがキリスト教徒を核兵器で殺害したという矛盾を浮き彫りにした。

参考文献

  • 『長崎原爆戦災誌』長崎市
  • 『ナガサキ』スーザン・サザード