概要
ポーランド国内軍(AK)がボル=コモロフスキ将軍の指揮のもとドイツ軍に対して蜂起。63日間の激戦の末に降伏した。ソ連軍はヴィスワ川東岸で進軍を停止し、蜂起を支援しなかった。蜂起側の死者約1万6千人、民間人の死者約15万〜20万人。ヒトラーはワルシャワの徹底的破壊を命じた。
歴史的背景
ソ連軍の接近に伴い、ポーランド亡命政府は戦後の発言権を確保するため、ソ連軍到着前にポーランド人自身によるワルシャワ解放を計画した。しかしスターリンは蜂起を支援せず、ソ連に友好的でないポーランド国内軍の壊滅を黙認した。
地形・地理的特徴
ワルシャワの旧市街の密集した建物と下水道システムがポーランド国内軍の拠点となった。ヴィスワ川東岸にソ連軍が到達していたが、蜂起軍への支援を拒否した。ドイツ軍は組織的に地区ごとに市を破壊した。
歴史的重要性
冷戦の前兆ともいうべきスターリンの冷酷な計算が示された事件であり、戦後ポーランドのソ連支配の前提条件を作った。ワルシャワはドイツ軍により85%が破壊された。蜂起はポーランドの国民的記憶の中核を形成している。
参考文献
- ノーマン・デイヴィス『ライジング44 ワルシャワの戦い』