概要
バターン半島で降伏した約7万5千人のアメリカ・フィリピン連合軍捕虜が、日本軍により約100kmの徒歩行進を強制された。飢餓、脱水、暴行、処刑により数千〜1万人以上が死亡。米国では「バターン死の行進」として日本の戦争犯罪の象徴的事件とされている。
歴史的背景
日本軍はフィリピン攻略でバターン半島の米比軍の頑強な抵抗に遭い、攻略が予定より大幅に遅延。多数の捕虜を短期間で移送する必要に迫られたが、輸送手段と食糧が不足していた。加えて日本軍の捕虜に対する態度が過酷であった。
地形・地理的特徴
バターン半島はマニラ湾の西岸を形成する山がちな半島。降伏した約7万5千人の米比連合軍捕虜が、バターンからオドネル収容所まで約100kmの行進を強制された。熱帯の猛暑と湿度の中での行軍が多数の死者を生んだ。
歴史的重要性
太平洋戦争における日本の戦争犯罪として最も広く知られる事件の一つ。戦後の東京裁判で本間雅晴中将が責任を問われ処刑された。米比関係の紐帯を強化し、フィリピンの対日感情に長く影響を与えた。
参考文献
- 米軍記録
- 捕虜証言