概要

ティトー(ヨシップ・ブロズ)率いる共産主義パルチザンが、ドイツ・イタリア占領軍とクロアチアのウスタシャ政権、セルビアのチェトニクに対して抵抗戦争を展開。最終的に約80万人の兵力を有する最大の欧州パルチザン運動に成長し、外国軍の助けなく自力でほぼ国土を解放した。

歴史的背景

ドイツのユーゴスラビア侵攻(1941年4月)後、共産党のティトーと王党派のミハイロヴィチが別々にレジスタンスを組織した。しかし両者は対立し、チェトニクはしばしば枢軸国と協力した。連合国は最終的にティトーを支援する決定を下した。

地形・地理的特徴

ディナル・アルプスの険しい山岳地帯がパルチザンの拠点となった。ボスニアの深い渓谷と森林がゲリラ戦に適しており、ドイツ軍の掃討作戦を困難にした。ネレトヴァ川やスチェスカ渓谷が激戦地となった。

歴史的重要性

自力解放を達成した唯一のヨーロッパ被占領国であり、ティトーはこの功績を基盤に独自の社会主義国家を建設した。非同盟運動の指導者としてのティトーの国際的地位もパルチザン闘争の正統性に根ざしていた。

参考文献

  • ジョゾ・トマセヴィッチ『第二次世界大戦におけるユーゴスラビアの戦争と革命』