概要
モンゴル・満州国境でソ連・モンゴル連合軍と日本・満州国軍が衝突。ソ連軍のジューコフ将軍が大規模な機甲部隊による包囲殲滅戦を展開し、日本軍は壊滅的な敗北を喫した。日本側の損害は約2万人。1939年9月の停戦協定で終結。
歴史的背景
満州国とモンゴルの国境線が曖昧であり、小規模な衝突が頻発していた。日本の関東軍は国境紛争に積極的に介入する方針をとったが、ソ連軍の軍事力を過小評価していた。
地形・地理的特徴
モンゴル東部のハルハ川流域のステップ地帯。見渡す限りの平坦な草原で、機甲部隊の運用に適した開けた地形。ソ連軍の戦車と砲兵が日本軍の歩兵主体の戦術を圧倒した。
歴史的重要性
日本の対ソ戦略(北進論)を断念させ、南進論(東南アジア進出)への転換を促した決定的な事件。第二次世界大戦のアジア太平洋戦線の方向性を規定した。ジューコフは後のモスクワ防衛やスターリングラードの戦いでも指揮をとった。
参考文献
- Stuart Goldman, Nomonhan, 1939, 2012
- Alvin Coox, Nomonhan: Japan Against Russia, 1939, 1985