概要

パリ講和会議の結果、連合国とドイツの間で締結された講和条約。ドイツにアルザス=ロレーヌの返還、植民地の放棄、軍備制限(陸軍10万人)、1320億金マルクの賠償金を課した。戦争責任条項(第231条)はドイツに全面的な戦争責任を認めさせた。

歴史的背景

ウィルソンの14カ条(民族自決、国際連盟、秘密外交の廃止)とクレマンソーの対独報復、ロイド・ジョージの中間路線が交錯した。ドイツ代表は交渉に参加を許されず、「ディクタート(強制的な命令)」として受け入れた。

地形・地理的特徴

ヴェルサイユ宮殿の鏡の間は1871年にドイツ帝国が宣言された場所であり、フランスがここで屈辱的な講和条約に署名させたのは象徴的な復讐であった。

歴史的重要性

ケインズが『講和の経済的帰結』で予言した通り、過酷な賠償要求はドイツ経済を疲弊させ、ワイマール共和国の不安定化とナチスの台頭を招いた。「裏切りの一刺し」伝説と結びつき、第二次世界大戦の遠因となった。

参考文献

  • マーガレット・マクミラン『ピースメーカーズ パリ講和会議と平和の条件』