概要
ウィンストン・チャーチル(海軍大臣)の発案により、オスマン帝国を攻撃してロシアへの補給路を確保するため、英仏・ANZAC(オーストラリア・ニュージーランド軍団)がガリポリ半島に上陸。しかしムスタファ・ケマルの指揮するオスマン軍の頑強な抵抗に遭い、約25万人の死傷者を出して撤退した。
歴史的背景
西部戦線の膠着を打破するための迂回戦略として構想された。ロシアへの黒海経由の補給路確保と、オスマン帝国の脱落が目的であった。海軍単独の海峡突破が失敗した後、陸上作戦に移行した。
地形・地理的特徴
ダーダネルス海峡を挟むガリポリ半島は断崖絶壁と狭い砂浜が交互する急峻な地形で、上陸軍は海岸から高台を攻める不利を強いられた。オスマン軍は見晴らしの良い高地を確保していた。
歴史的重要性
連合軍の大敗として記憶され、チャーチルは海軍大臣を辞任した。オーストラリアとニュージーランドではANZACデー(4月25日)として国民的記念日となっている。ムスタファ・ケマルの名声を高め、後のトルコ共和国建国の原点となった。
参考文献
- ピーター・ハート『ガリポリ』