概要
1905年9月、日露戦争の講和としてポーツマス条約が調印された。小村寿太郎がロシアのウィッテと交渉。ロシアは南樺太の割譲、韓国における日本の優越権、南満洲の権益を認めたが、賠償金は得られなかった。国民は賠償金なしに激怒し、日比谷公園で暴動が発生(日比谷焼打事件)。戒厳令が布かれた。
歴史的背景
日露戦争の勝利は奉天会戦・日本海海戦の大勝で実現したが、日本の戦力は限界に達していた。小村は賠償金獲得を断念して和平を優先したが、国民はこの判断を理解しなかった。
地形・地理的特徴
アメリカ・ニューハンプシャー州ポーツマスの海軍工廠が条約調印の場。セオドア・ルーズベルト大統領が仲介した。日比谷焼打事件は東京日比谷公園周辺で発生。
歴史的重要性
日露戦争の終結は日本の列強入りを確定させたが、賠償金問題は大衆政治の台頭を示す画期。日比谷焼打事件は大正デモクラシーの前兆としての大衆運動の始まり。
参考文献
- 『ポーツマス条約』千葉功