概要

フランスのレセップスが1881年に海面式運河の建設を開始したが、熱帯病による労働者の大量死と技術的困難により1889年に破産した。約2万人が死亡したとされる。1903年にアメリカの支援でパナマがコロンビアから独立した後、アメリカが建設権を獲得。ウィリアム・ゴーガス軍医の黄熱病対策と、ジョージ・ゲーサルズ大佐の指揮の下、閘門式運河として1914年8月15日に開通した。約7万5000人が建設に従事し、約5600人が死亡した。

歴史的背景

大西洋と太平洋を結ぶ運河の構想は16世紀のスペイン植民地時代から存在した。カリフォルニア・ゴールドラッシュ以降、両洋間の交通需要が急増した。レセップスのスエズ運河成功に触発されたフランスの計画の破綻後、セオドア・ルーズベルト大統領がアメリカの国家的プロジェクトとして推進した。コロンビア上院が運河条約を否決すると、アメリカはパナマの分離独立を支援した。

地形・地理的特徴

パナマ地峡は北米と南米を結ぶ最も狭い陸地で、太平洋とカリブ海の間はわずか約80km。しかし中央部のクレブラ・カット(ゲイラード・カット)では大陸分水嶺を切り開く必要があり、チャグレス川の洪水対策としてガトゥン湖(人工湖)が建設された。熱帯雨林気候で黄熱病・マラリアが蔓延し、フランスの最初の建設計画(1881-89年)を頓挫させた。

歴史的重要性

20世紀最大の土木事業の一つであり、世界の海運と貿易構造を根本的に変革した。ニューヨークからサンフランシスコへの航路が約1万3000km短縮された。パナマ運河地帯のアメリカ管理は1999年まで続き、ラテンアメリカにおけるアメリカ帝国主義の象徴となった。黄熱病対策の成功は熱帯医学の画期的成果であった。

参考文献

  • David McCullough, The Path Between the Seas
  • Matthew Parker, Panama Fever