概要

エチオピア皇帝メネリク2世が約10万のエチオピア軍を率いて、約1万7千のイタリア遠征軍をアドワで壊滅的に撃破。イタリア軍の死傷者は約1万人に達した。ウチャリ条約の解釈をめぐるイタリアとの対立が開戦の直接的原因。皇后タイトゥも戦闘に参加した。

歴史的背景

1889年のウチャリ条約のアムハラ語版とイタリア語版で内容が異なり、イタリアがエチオピアの保護国化を主張したことに対し、メネリク2世が抗議。フランス、ロシアからの近代兵器の調達がエチオピア軍の火力を強化していた。

地形・地理的特徴

エチオピア北部ティグレ州の標高約2500mの山岳地帯。深い渓谷と急峻な山稜が入り組む地形は、近代的な火器を持つイタリア軍の機動を制限し、地形を熟知するエチオピア軍に有利に働いた。高地の寒冷な気候もヨーロッパ軍の兵站を困難にした。

歴史的重要性

アフリカの国家がヨーロッパの植民地軍を正面から撃破した唯一の事例であり、アフリカの独立と尊厳の象徴。エチオピアは第二次世界大戦のイタリア占領期を除き、アフリカで唯一植民地化を免れた国となった。汎アフリカ主義運動の精神的支柱。

参考文献

  • Jonas, R., 'The Battle of Adwa'
  • Prouty, C., 'Empress Taytu and Menilek II'