概要
1890年12月29日、第7騎兵隊がパインリッジ居留地でラコタ・スー族のビッグフット首長の一行約350人(多くは女性と子供)を武装解除しようとした際に銃撃が始まり、約250〜300人のラコタ族が殺害された。ホチキス砲4門がキャンプを無差別に砲撃。兵士25人も死亡(多くは同士討ち)。
歴史的背景
ゴーストダンス運動(死者の復活とバイソンの帰還を祈る宗教運動)を合衆国政府が先住民の反乱と誤認し、鎮圧を試みた。シッティング・ブルが12月15日に逮捕中に殺害され、ビッグフットの一行が投降のためにパインリッジに向かう途中で第7騎兵隊に包囲された。
地形・地理的特徴
サウスダコタ州パインリッジ居留地内のウンデッド・ニー・クリーク沿いの起伏のある草原。冬季の厳寒の中、峡谷の中で包囲されたラコタ族は逃げ場を失った。
歴史的重要性
アメリカ先住民の武力抵抗の事実上の終焉を示す悲劇。1973年にアメリカ・インディアン運動(AIM)がウンデッド・ニーを占拠し、先住民の権利を訴えた。2022年に合衆国議会がウンデッド・ニーの虐殺を正式に認定。先住民の土地と権利の喪失の象徴。
参考文献
- Brown, Bury My Heart at Wounded Knee
- Ostler, The Plains Sioux and U.S. Colonialism