概要
開化政策への不満と給料の遅配に怒った旧式軍隊の兵士が反乱。日本公使館を襲撃し、日本人教官・堀本礼造らを殺害。大院君が一時的に政権を回復したが、清が3,000の軍を派遣して鎮圧し、大院君を天津に連行した。
歴史的背景
開化政策の推進で日本式の別技営が優遇される一方、旧式軍隊は冷遇された。13ヶ月間の給料未払いに加え、支給された米に砂が混入していたことが直接の引き金。閔氏政権への不満と外国勢力への反感が重なった。
地形・地理的特徴
漢陽市内の軍営と日本公使館が反乱の標的。旧式軍隊の兵営から日本人教官が訓練する別技営、さらに日本公使館へと暴動が拡大。清軍が南大門から入城して鎮圧した。
歴史的重要性
清と日本が同時に朝鮮に出兵する前例を作った。以後、朝鮮は清日両国の勢力争いの場となる。済物浦条約で日本は公使館守備兵の駐留権を獲得し、朝鮮への軍事的プレゼンスを確立した。
参考文献
- 朝鮮王朝実録