概要
人民の意志(ナロードナヤ・ヴォーリャ)のテロリストが、馬車で移動中のアレクサンドル2世に爆弾を投擲。最初の爆弾で護衛が負傷し、皇帝が馬車を降りた直後に二発目の爆弾で致命傷を負い、冬宮で死去した。7回目のテロ未遂にして暗殺が成功した。
歴史的背景
「解放皇帝」と呼ばれた改革的な君主であったが、改革の不徹底さに急進的知識人が失望した。ナロードニキ運動の「民衆の中へ」運動が挫折した後、テロリズムへと先鋭化し、「人民の意志」が組織的な暗殺計画を遂行した。
地形・地理的特徴
グリボエードフ運河沿いのエカテリーナ運河堤防上で爆弾テロが実行された。サンクトペテルブルクの運河が縦横に走る都市構造は、馬車の移動ルートを予測可能にし、暗殺計画を容易にした。暗殺現場には「血の上の救世主教会」が建設された。
歴史的重要性
ロシアで最も改革的な皇帝の暗殺は、皮肉にも改革の後退をもたらした。後継のアレクサンドル3世は反動政策を強化し、ロシアの近代化を遅らせた。テロリズムと政治暴力の連鎖は1905年革命、1917年革命へとつながった。
参考文献
- クラウディア・ヴァーホーヴェン『ロシアにおけるテロの起源』