概要
フランスがクルミール族の国境侵犯を口実にチュニジアに軍事介入し、バルドー条約(1881年5月)でチュニジアをフランスの保護国とした。1883年のラ・マルサ協定で保護国体制が確立。ベイ(チュニジアの君主)は名目的に存続したが、実質的な統治権はフランス総督が掌握した。
歴史的背景
フランスはアルジェリア征服後、チュニジアを戦略的に重要な領域と見なしていた。イタリアもチュニジアに植民の野心を持っていたため、フランスはベルリン会議でイギリスの了解を得て先手を打った。チュニジア政府の対外債務も介入の口実となった。
地形・地理的特徴
チュニジアは地中海の中央部に位置し、シチリア海峡に面する戦略的要地。チュニスの港はフランス海軍の地中海戦略にとって重要であった。内陸部の農地はヨーロッパ式農業の導入に適した気候。
歴史的重要性
フランスの北アフリカ支配の拡大における重要なステップ。イタリアとの関係悪化を招き、イタリアが三国同盟(ドイツ・オーストリア)に参加する一因となった。チュニジアの近代的民族主義運動の出発点ともなった。
参考文献
- Perkins, K.J., 'A History of Modern Tunisia'
- Marsden, A., 'British Diplomacy and Tunis, 1875-1902'