概要
1880年から第一次世界大戦までの時期にアルゼンチンは世界有数の経済大国に急成長した。冷凍船技術の発達により牛肉のヨーロッパ輸出が可能となり、小麦輸出も急増。イタリア、スペイン、東欧から約600万人の移民が流入し、ブエノスアイレスの人口は1869年の18万人から1914年の150万人に爆発的に増加した。コロン劇場(1908年開場)やフロリダ通りの建設など、都市の近代化が進んだ。一人当たりGDPはドイツやフランスに匹敵した。
歴史的背景
1853年憲法による連邦制の確立とロサスの独裁終焉後、自由主義的エリートが近代化を推進した。「砂漠の征服」(1879-80年)で先住民の土地を収奪し、大牧場(エスタンシア)が拡大した。イギリス資本による鉄道建設が内陸のパンパを世界市場に結びつけ、アルゼンチンは「世界のパン篭」となった。サルミエントの公教育政策が識字率向上に寄与した。
地形・地理的特徴
パンパの大平原は世界有数の肥沃な農牧地帯であり、温帯気候と深い腐植土層が小麦・トウモロコシ栽培と牧畜に理想的であった。ラプラタ川河口のブエノスアイレス港は農産物輸出の拠点として急成長し、「南米のパリ」と呼ばれる大都市に発展した。パンパの鉄道網整備が内陸部の農業開発を飛躍的に促進した。
歴史的重要性
アルゼンチンの経済的黄金時代は一次産品輸出に依存する発展モデルの典型であり、その後の経済的衰退との対比が「アルゼンチンの謎」として経済学の研究対象となっている。移民がもたらしたイタリア文化はタンゴの発展に寄与し、独自のコスモポリタンな文化を形成した。しかし富の極端な偏在と大土地所有制は社会的緊張を内包していた。
参考文献
- David Rock, Argentina 1516-1987
- Roy Hora, Historia económica de la Argentina