概要

1874年の「ヴ・ナロード(民衆の中へ)」運動で、数千人の学生・知識人が農村に入り、農民の啓蒙と社会主義の宣伝を試みた。しかし農民は彼らを不審がり、多くが密告・逮捕された。挫折後、「土地と自由」が結成され、一部は「人民の意志」としてテロリズムに転じた。

歴史的背景

チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』やバクーニンの影響で、農民共同体を基盤とするロシア独自の社会主義の可能性を信じる知識人が増加した。農奴解放後の農民の困窮と、西欧的近代化への懐疑がこの運動を支えた。

地形・地理的特徴

ロシアの広大な農村地帯が「民衆の中へ(ヴ・ナロード)」運動の舞台であった。都市の知識人が村落共同体(ミール)を基盤とした社会主義を実現しようとしたが、農民は彼らを理解も歓迎もしなかった。

歴史的重要性

ロシア革命運動の重要な段階であり、知識人と民衆の乖離という問題を浮き彫りにした。テロリズムへの転化はアレクサンドル2世暗殺に帰結し、その失敗の教訓からレーニンの前衛党論が生まれた。

参考文献

  • フランコ・ヴェンチューリ『革命のルーツ ロシアの人民主義運動史』