概要
ロシア帝国が1865年にタシケントを征服し、以後コーカンド・ハン国併合(1876年)、ブハラ・ヒヴァの保護国化を経て中央アジア全域を支配下に置いた。トルキスタン総督府が設置され、綿花モノカルチャー経済が強制された。メルヴの征服(1884年)で中央アジア征服が完成。
歴史的背景
ロシアはクリミア戦争(1853-56年)の敗北後、アジア方面への膨張で失地を回復しようとした。中央アジアの三ハン国は内部分裂と軍事技術の劣位で抵抗できなかった。綿花需要(アメリカ南北戦争による供給断絶)も経済的動機となった。
地形・地理的特徴
タシケント、サマルカンドなどのオアシス都市を順次征服。カラクム砂漠のトルクメン騎馬民の抵抗(ギョク・テペの戦い1881年)が最後の大規模抵抗であった。鉄道建設がロシアの軍事力投射を支えた。
歴史的重要性
中央アジアの独立した政治体が消滅し、ロシア/ソ連の支配下に入る過程の始まり。綿花モノカルチャーの強制は後のアラル海危機の遠因。ソ連崩壊後の中央アジア五カ国の独立(1991年)まで、この支配は約130年間続いた。
参考文献
- Alexander Morrison, Russian Rule in Samarkand 1868-1910, 2008
- Daniel Brower, Turkestan and the Fate of the Russian Empire, 2003