概要

1863年7月1-3日、南北戦争最大の戦闘。北軍ジョージ・ミード将軍と南軍ロバート・E・リー将軍が約17万人の兵力で激突。3日目のピケットの突撃(約12500人の南軍が北軍中央の防衛線に正面突撃して壊滅)が戦闘の帰趨を決した。両軍合計約5万人の死傷者を出し、南北戦争で最も血の多い戦いとなった。

歴史的背景

リー将軍は北部侵攻によりペンシルベニアを脅かし、リンカーン政権に和平を強いる戦略であった。アンティータムの戦い(1862年)に続く二度目の北部侵攻。リーは常勝のオーラに包まれていたが、ゲティスバーグでは偵察不足と補佐官ジェームズ・ロングストリートとの意見対立が敗因となった。

地形・地理的特徴

ペンシルベニア州南部の丘陵農村地帯。セミナリーリッジとセメタリーリッジの二つの尾根が南北に走り、北軍は東側の魚鉤型の高地を防御陣地として利用した。リトルラウンドトップ、ピーチオーチャード、デビルズデンなどの地形的特徴が戦術に影響した。

歴史的重要性

南北戦争の転換点であり、南軍の北部侵攻能力が永久に失われた。同日のヴィックスバーグ陥落と合わせて1863年7月は戦争の流れを決定した。リンカーンのゲティスバーグ演説(「人民の、人民による、人民のための政治」)はアメリカ民主主義の最高の表現として永遠に記憶される。

参考文献

  • Sears, Gettysburg
  • McPherson, Battle Cry of Freedom