古代(〜476年)の歴史
283件の歴史的出来事
約360万年前(発見1978年)
ラエトリの足跡化石
メアリー・リーキーのチームが1978年に発見した約360万年前の二足歩行の足跡化石。約27mにわたって2個体(おそらく3個体)の足跡が並行して保存されている。現代人と酷似した足型で、直立二足歩行が36
タンザニア・ラエトリ
約320万年前(発見1974年)
ルーシーの発見(アウストラロピテクス・アファレンシス)
1974年にドナルド・ジョハンソンがエチオピアのハダールで発見した約320万年前の女性の類人猿化石。全骨格の約40%が保存されており、直立二足歩行をしていたことが証明された。発見時にキャンプで流れてい
エチオピア・ハダール
約180万年前
オルドヴァイ峡谷の初期人類化石発見地
ルイス・リーキーとメアリー・リーキーが1959年にジンジャントロプス・ボイセイ(パラントロプス・ボイセイ)を発見。その後ホモ・ハビリス(約180万年前)の化石も発見され、人類の道具使用の起源を示すオル
タンザニア・オルドヴァイ峡谷
約50万年前
北京原人の発見
1929年、裴文中が周口店龍骨山の洞窟から完全な頭蓋骨を発見。ホモ・エレクトス(北京原人、シナントロプス・ペキネンシス)と命名された。約50万年前の人類化石で、火の使用と石器製作の証拠が発見された。し
中国・北京周口店
4万年以上前〜現在
ウルル(エアーズロック)とドリームタイム信仰
アナング族にとって最も神聖な場所であり、ドリームタイム(チュクルパ)の創造の物語が岩の各所に刻まれている。岩の洞窟には数万年前の岩壁画が残り、洞窟ごとに異なる儀礼の場として使い分けられてきた。2019
オセアニア・オーストラリア中央部
紀元前2万年頃〜紀元前6000年頃
オーストラリア先住民のカカドゥ岩壁画制作
カカドゥ国立公園のウビル、ノーランジーロックなどに残る数千点の岩壁画群。X線技法で描かれた魚類・動物、ドリームタイムの精霊(ミミの精霊、ナマルゴンの稲妻男)、狩猟場面、接触期のヨーロッパ人の船まで、数
オーストラリア・カカドゥ
2万年以上前〜現在
カカドゥの岩壁画群
カカドゥ国立公園内のウビル、ノーランジーロックなどに数千カ所の岩壁画が残る。最古のものは2万年以上前に遡り、X線スタイル(動物の骨格や内臓を透視的に描く技法)が特徴的。絶滅したメガファウナ(タスマニア
オセアニア・オーストラリア北部
紀元前14500年頃
モンテ・ヴェルデ遺跡の定住
チリ南部で発見された先史時代の定住遺跡で、北アメリカのクローヴィス文化より約1000年古い。トム・ディレハイにより1977年から発掘され、木造の住居跡、石器、薬草、動物の骨、さらにジャガイモの野生種が
南アメリカ・チリ
紀元前11500〜10800年頃
クローヴィス文化の繁栄
北アメリカで広範に確認された先史狩猟文化で、特徴的な両面加工の尖頭器(クローヴィス・ポイント)で知られる。1929年にニューメキシコ州クローヴィス近郊のブラックウォーター・ドロー遺跡で発見された。マン
北アメリカ・ニューメキシコ
紀元前8000年頃〜
黒曜石交易ネットワークの形成
信州和田峠・星糞峠産の黒曜石は、縄文時代を通じて北海道から九州まで広範囲に流通した。黒曜石の原産地分析により、数百キロに及ぶ交易ネットワークの存在が判明。神津島産黒曜石の本土への搬入は、縄文人の航海能
日本・長野
紀元前8000〜1500年頃
タッシリ・ナジェールの岩絵群
サハラ砂漠中央部に約1万5千点以上の岩絵・岩刻が残る世界最大級のロック・アート群。狩猟の場面、牛の放牧、儀式、ダンスが描かれ、約8000年にわたるサハラの気候変動と人間活動の記録である。「緑のサハラ」
アルジェリア・タッシリ・ナジェール
紀元前7500年頃
上野原遺跡の集落形成
縄文時代早期(約9500年前)の大規模集落跡。竪穴住居跡52基が発見され、南九州における早期定住生活の実態を示す。壺型土器や連穴土坑(燻製施設)など、当時としては高度な生活技術が確認された。
日本・鹿児島
紀元前7000年頃
パプアニューギニア高地における独立的農業革命
クック農業遺跡(クック高地)で確認された、メソポタミアや中国とは完全に独立した農業の発明。約9000年前からバナナ、タロイモ、ヤムイモの栽培が始まり、精巧な排水溝・灌漑システムが構築された。花粉分析と
パプアニューギニア・クック高地
紀元前6000年頃
縄文海進
最終氷期終了後の温暖化により、海面が現在より約5メートル高くなった。関東平野では群馬県館林付近まで海が入り込み、東京湾は現在の数倍の面積に拡大。日本列島の地形と人々の生活域が大きく変化した。
日本・全域
紀元前5400年頃〜前2050年頃
エリドゥの世界最古の都市と神殿
シュメール王名表において「王権が天から降りた最初の都市」とされるエリドゥは、世界最古の都市の候補の一つである。紀元前5400年頃の最初期の神殿遺構から、ウバイド期を通じて18層にわたる神殿の連続的建設
メソポタミア・エリドゥ
紀元前5300年頃
鬼界カルデラ大噴火
完新世最大級の火山噴火。噴出物の総量は約150立方キロメートルと推定される。火砕流は薩摩半島・大隅半島を覆い尽くし、火山灰(アカホヤ火山灰)は東北地方まで降下。南九州の縄文集落は壊滅した。
日本・鹿児島沖
紀元前5000年頃〜
翡翠交易ネットワークの形成
糸魚川産翡翠は縄文時代中期以降、大珠や勾玉に加工され、北海道から沖縄まで日本列島全域に流通した。翡翠の加工は高度な技術を要し、糸魚川周辺に専門的な加工集団が存在したと推定される。
日本・新潟
紀元前5000年頃〜12世紀
貝塚時代の沖縄
沖縄では本土の縄文〜古墳時代に相当する期間を「貝塚時代」と呼ぶ。前期(約7000年前〜)は九州の縄文文化と類似の土器文化、後期(約2500年前〜)は独自の無土器文化が展開。貝製品の加工技術に優れ、ヤコ
日本・沖縄
紀元前5000年〜前3000年頃
仰韶文化(彩陶文化)
1921年にスウェーデンの考古学者アンデルソンが河南省仰韶村で発見した新石器時代文化。黄河中流域を中心に分布し、粟作農業と彩陶(彩色土器)が特徴。半坡遺跡(西安近郊)では円形・方形の竪穴住居、貯蔵穴、
中国・黄河中流域
紀元前4000〜3100年頃
ナカダ文化の発展
エジプト先王朝時代の主要な文化で、ナカダI期(アムラティアン)、ナカダII期(ゲルゼアン)、ナカダIII期に区分される。彩色土器、石製容器、銅器、黄金装飾品などの工芸技術が発展し、社会的階層化と地域的
エジプト・ナカダ
紀元前3900年頃〜紀元前2200年頃
三内丸山遺跡の大規模集落形成
縄文時代前期中頃から中期末葉にかけて営まれた日本最大級の縄文集落。大型掘立柱建物、竪穴建物跡約800棟、大型竪穴建物、貯蔵穴、墓地、盛土などが計画的に配置されていた。栗の栽培管理やヒスイ・黒曜石の広域
日本・青森
紀元前3500年頃〜前3000年頃
馬の馴化と騎馬文化の起源
カザフスタン北部のボタイ遺跡で馬の馴化の最古級の証拠が発見された。馬の歯の摩耗パターンがハミの使用を示し、土器には馬乳の脂肪酸残留物が検出された。馬の馴化は人類の移動能力を飛躍的に拡大させ、ユーラシア
中央アジア・カザフスタン
紀元前3500年頃
ウルクの都市化と世界最古の文字
ウルクは紀元前4千年紀後半に人口4万人を超える世界最大の都市に成長した。エアンナ神殿区とアヌ神殿区を中心に、行政・宗教・経済機能が集約された。紀元前3300年頃には粘土板上の絵文字が登場し、やがて楔形
メソポタミア・ウルク
紀元前3300年〜前2300年頃
良渚文化と玉器文明
良渚文化は長江下流域に栄えた高度な新石器文化。精緻な玉器(琮・璧・鉞)の製作技術が特に優れ、社会的階層分化の証拠を示す。良渚古城は面積約300万m²の巨大な城郭遺跡で、大規模な水利施設(ダム・運河)も
中国・長江下流域
紀元前3200年頃〜394年
ヒエログリフの発展
古代エジプトの公式文字体系。表語文字と表音文字を組み合わせた約700の記号からなる。神殿や墓の碑文に使用されたヒエログリフ(聖刻文字)に加え、日常使用のヒエラティック(神官文字)、後期のデモティック(
エジプト全域
紀元前3100年頃
上下エジプトの統一(ナルメル王)
ナルメル王(メネス王と同一視される)が上エジプトから下エジプトを征服し、エジプト初の統一国家を樹立した。ナルメル・パレットには白冠(上エジプト)と赤冠(下エジプト)の両方を被る王が描かれ、二つの地域の
エジプト・ヒエラコンポリス
紀元前3100年頃
メンフィスの首都建設
統一王ナルメル(メネス)が上下エジプトの境界地点にメンフィス(古名インブ・ヘジ=白い壁)を建設し、統一国家の首都とした。プタハ神を主神とする神殿が建てられ、行政・宗教の中心として機能した。古王国時代を
エジプト・メンフィス
紀元前3000年頃〜紀元前1000年頃
加曽利貝塚の形成
日本最大級の貝塚遺跡。北貝塚(縄文中期)と南貝塚(縄文後期)からなる直径約140メートルの環状貝塚。竪穴住居跡、墓壙、土器・石器・骨角器が大量に出土し、縄文時代の生活実態を総合的に示す。
日本・千葉
紀元前3000年頃〜前500年頃
メソポタミアの60進法と天文学
シュメール人が確立した60進法は時間(60秒×60分)と角度(360度)に現代まで残る。バビロニアの天文学者は月食の周期(サロス周期18年11日)を発見し、惑星の運行を正確に予測した。数学ではピタゴラ
メソポタミア
紀元前3000年〜1800年頃
ドラケンスバーグのサン人岩絵
南アフリカのドラケンスバーグ山脈に約3万5千〜4万点のサン人(ブッシュマン)の岩絵が残る。エランド(大型アンテロープ)の狩猟、トランス状態のシャーマンの踊り、雨乞いの儀式などが精巧な多色画で描かれてい
南アフリカ・ドラケンスバーグ山脈
紀元前3000〜1800年頃
カラル文明の繁栄
南北アメリカ大陸最古の都市文明で、メソポタミアやエジプトとほぼ同時代に栄えた。カラル遺跡には6基の大型ピラミッド、円形広場、住居跡が含まれ、最大のピラミッドは高さ18m、底辺150×160mに達する。
南アメリカ・ペルー
紀元前2667年頃
ジョセル王の階段ピラミッド建設
第3王朝のジョセル王の宰相イムホテプが設計した世界最古の大規模石造建築。当初マスタバ(平らな墓)として計画されたが、6段に重ねた階段状の構造に発展した。高さ約62m。周囲には祭殿、中庭、模擬建築を含む
エジプト・サッカラ
紀元前2650年頃〜前1450年頃
ドーラヴィーラの都市遺跡
インダス文明の主要都市の一つで、2021年にユネスコ世界遺産に登録。城塞・中間都市・下町の三重構造を持つ独特の都市計画が特徴。巨大な貯水槽群による高度な水管理システム、インダス文字の大型看板(世界最古
南アジア・グジャラート
紀元前2600年頃〜前1900年頃
ハラッパーの繁栄
インダス文明のもう一つの主要都市。1920年代にジョン・マーシャルらにより本格的に発掘され、インダス文明の存在が世界に知られるきっかけとなった。城塞部と下町に分かれ、統一規格の焼成レンガ、標準化された
南アジア・パンジャーブ地方
紀元前2600年頃〜前2450年頃
ウル第一王朝と王墓群
レオナード・ウーリーが1922-34年に発掘した王墓群は、初期王朝時代のシュメール文明の華やかさを世界に示した。プアビ女王の墓からは金銀のヘッドドレス、ラピスラズリの装飾品、「ウルのスタンダード」が出
メソポタミア・ウル
紀元前2560年頃
ギザの大ピラミッド(クフ王)建設
第4王朝のクフ王(ケオプス)のために建設された世界最大のピラミッド。底辺約230m、元の高さ約146.5m、推定230万個の石材ブロック(総重量約600万トン)を使用。四辺は正確に東西南北を向き、誤差
エジプト・ギザ
紀元前2530年頃
スフィンクスの建造
カフラー王の命で建造されたとされる巨大なスフィンクス像。全長約73m、高さ約20m。人間の頭部(王の顔)とライオンの体を持ち、王権の威厳と獅子の力を象徴する。石灰岩の自然露頭を彫り込んで制作された世界
エジプト・ギザ
紀元前2500年〜前2000年頃
龍山文化(黒陶文化)
仰韶文化の後に黄河中下流域で発展した新石器文化。高温焼成の黒陶、占いに用いた卜骨、版築城壁の集落が特徴。社会の階層化が進み、初期国家形成の萌芽が見られる。
中国・山東省
紀元前2500年頃〜前1900年頃
モヘンジョダロの繁栄
インダス文明最大級の都市遺跡。整然とした格子状の街路計画、精巧な排水システム、大浴場(グレート・バス)、穀物倉庫を備えた高度な都市計画が特徴。推定人口3万〜4万人。統一された度量衡システムとインダス文
南アジア・シンド地方
紀元前2500年頃〜前2350年頃
ラガシュとウンマの国境紛争
ラガシュとウンマの国境紛争は約150年間にわたって継続し、記録に残る最古の国際紛争の一つである。エアンナトゥムの「鷲碑」にはラガシュの勝利が詳細に描かれ、密集隊形で進む兵士と倒れた敵兵の上を飛ぶ鷲が彫
メソポタミア・ラガシュ
紀元前2400年頃〜前1900年頃
ロータルの港湾施設
インダス文明の重要な港湾都市。長さ約214m、幅36mの人工的な水路構造(ドック)が発見され、世界最古の造船所・港湾施設の一つとされる。ビーズ工房、金属加工場、倉庫群が出土し、交易拠点としての機能が明
南アジア・グジャラート
紀元前2334年頃〜前2279年頃
サルゴン大王によるアッカド帝国建設
サルゴンは卑しい出自から身を起こし、キシュ王の杯持ちから権力を掌握した。シュメール都市国家群を統一し、エラムからシリア・アナトリアに至る広大な領域を支配する世界最初の帝国を建設。常備軍5,400人を率
メソポタミア・アッカド
紀元前2333年頃(伝承)
古朝鮮(檀君朝鮮)の建国伝説
『三国遺事』に記される檀君王倹による古朝鮮建国の伝説。天帝桓因の子・桓雄が太白山に降臨し、熊女との間に生まれた檀君が阿斯達に都を開いたとされる。歴史学的には青銅器時代の部族連合国家の成立を反映する建国
朝鮮半島・平壌
紀元前2200年頃〜前1700年頃
BMAC(バクトリア・マルギアナ考古学複合体)
1970年代にソ連の考古学者サリアニディにより発見された青銅器時代の都市文明。ゴヌール・デペでは要塞化された宮殿、神殿、灌漑システムが発見された。インダス文明やメソポタミアとの交易品が出土し、ラピスラ
中央アジア・トルクメニスタン/アフガニスタン
紀元前2181年頃
古王国の崩壊と第一中間期の開始
第6王朝のペピ2世(在位94年とされる)の死後、中央政府の権威が急速に崩壊。各州の知事(ノマルク)が独立的な権力を握り、エジプトは群雄割拠の状態に陥った。ヘラクレオポリスとテーベの二大勢力が対立し、約
エジプト全域
紀元前2112年〜前2004年
ウル第三王朝の成立とウル・ナンム法典
ウル・ナンムは紀元前2112年頃にウル第三王朝を建て、シュメール・ルネサンスと呼ばれる文化復興を実現した。彼が制定したウル・ナンム法典は現存する世界最古の法典であり、罰金刑を中心とする比較的穏健な刑罰
メソポタミア・ウル
紀元前2100年頃〜前1200年頃
ギルガメシュ叙事詩の成立
世界最古の文学作品とされるギルガメシュ叙事詩は、ウルク王ギルガメシュの冒険と永遠の命の探求を描く。シュメール語の個別物語群がウル第三王朝期に編纂され始め、古バビロニア期にアッカド語版が成立。標準バビロ
メソポタミア・ウルク
紀元前2070年頃〜前1600年頃
夏王朝(二里頭文化)
伝説上の最初の王朝・夏は、禹の治水伝説に始まり、約470年間17代の王が統治したとされる。河南省偃師市の二里頭遺跡が夏の都城跡と推定され、大型宮殿建築基壇、青銅器工房、玉器工房が発見されている。中国最
中国・河南
紀元前2055年頃
テーベによるエジプト再統一(中王国)
第11王朝のメンチュホテプ2世が約130年間続いた第一中間期を終結させ、ヘラクレオポリスの第10王朝を打倒してエジプトを再統一した。テーベを首都として中王国時代を開いた。デイル・エル・バハリに壮大な葬
エジプト・テーベ
紀元前2000年頃
大森貝塚の形成
縄文後期から晩期にかけて形成された貝塚。1877年にエドワード・モースが発見し、日本初の学術的発掘調査が行われた。ハマグリ、アサリなどの貝殻層と共に土器・骨角器が出土し、日本考古学の出発点となった。
日本・東京
紀元前2000年頃
大湯環状列石の建設
万座環状列石と野中堂環状列石の2つの大型配石遺構からなる。万座は直径約52メートルで日本最大。河原石を環状に配置し、中心に立石を置く構造。周辺に掘立柱建物跡や土坑墓が伴い、祭祀・墓域として機能した。
日本・秋田
紀元前2000〜300年
カルナック神殿群の建設
古代エジプト最大の神殿複合施設。約1700年にわたって増改築が続けられ、30以上のファラオが建設に関わった。中心のアメン大神殿の大列柱室は134本の巨大石柱(最大高さ23m)が林立する圧倒的空間。歴代
エジプト・カルナック
紀元前1900年頃〜前1700年頃
インダス文明の衰退
紀元前1900年頃からインダス文明の主要都市が段階的に放棄された。モヘンジョダロでは都市の維持管理が低下し、ハラッパーでは墓地H文化への移行が見られた。住民は東方のガンジス川流域や南方のグジャラートへ
南アジア・インダス川流域
紀元前1900年頃
クノッソス宮殿の建設
ミノア文明の中心地として建設された大規模宮殿複合施設。1300以上の部屋を持ち、精巧な排水設備、光井戸、多層階構造を備えていた。アーサー・エヴァンズが1900年に発掘し、線文字Aの粘土板が多数発見され
ギリシャ・クレタ島
紀元前1850年頃
ファイユーム灌漑事業
第12王朝のアメンエムハト3世を中心とする王たちが、ファイユーム盆地の大規模灌漑事業を実施。バハル・ユースフ運河の整備とモエリス湖の水位管理により、広大な農耕地を創出した。堤防と水門のシステムによりナ
エジプト・ファイユーム
紀元前1792年〜前1750年頃
ハンムラビ法典の制定
古バビロニア王国第6代王ハンムラビは、約40年の治世でメソポタミアを統一し、282条からなる法典を制定した。「目には目を、歯には歯を」の同害報復法(タリオ)で知られるが、身分による刑罰の差異も含む。閃
メソポタミア・バビロン
紀元前1650年頃〜前1178年頃
ヒッタイト帝国の興隆と鉄器技術
ヒッタイト帝国はインド・ヨーロッパ語族の民族がアナトリアに建設した大国で、鉄器の実用化で軍事的優位を確保した。首都ハットゥシャには巨大な城壁、神殿群、楔形文字の粘土板文書庫が築かれた。エジプト、ミタン
アナトリア・ハットゥシャ
紀元前1650年頃
ヒクソスのエジプト侵入と支配
西アジアから移住してきたセム系民族ヒクソス(「異国の支配者」の意)が下エジプトを支配し、アヴァリスを首都として第15王朝を樹立した。馬匹と戦車、複合弓、青銅製武器などの軍事技術の優位によりエジプト軍を
エジプト・アヴァリス
紀元前1628年頃
テラ島(サントリーニ)の大噴火
人類史上最大級の火山噴火の一つ。アクロティリの町が火山灰に埋没し、「エーゲ海のポンペイ」と呼ばれる遺跡が残された。噴火による津波はクレタ島北岸を襲い、ミノア文明の港湾都市に壊滅的被害を与えたとされる。
ギリシャ・エーゲ海
紀元前1628年頃
テラ島(サントリーニ島)大噴火
紀元前17世紀頃(推定前1628年前後)、テラ島で人類史上最大級の火山噴火が発生した。噴出物の量は推定60立方キロメートルに達し、火山爆発指数(VEI)は7と推定される。噴火はアクロティリなどミノア文
エーゲ海・テラ島
紀元前1550年頃
エーベルス・パピルスと古代エジプト医学
全長約20m、110欄からなる古代エジプト最長の医学パピルス。約700の処方箋と治療法を記録し、内科、外科、眼科、婦人科、皮膚科にわたる幅広い医学知識を含む。心臓を中心とする血管系の記述、各種薬草の処
エジプト・テーベ
紀元前1500年頃〜前1000年頃
アーリア人の南アジアへの移動
インド・アーリア語族の集団が中央アジア方面から南アジアへ段階的に移動・定住した。馬と戦車を伴い、リグ・ヴェーダに描かれた牧畜社会を形成。先住民との相互作用を経て、ヴェーダ文化が成立した。遺伝学的研究に
南アジア・パンジャーブ
紀元前1500年頃〜前1200年頃
リグ・ヴェーダの成立
インド最古の宗教文献で、世界最古の口承文学の一つ。1028の讃歌からなり、インドラ、アグニ、ヴァルナなどの神々への祈りと儀式の詩句を収録。口伝による驚異的な精度の伝承が数千年にわたり維持された。言語学
南アジア・パンジャーブ
紀元前1500〜400年頃
オルメカ文明の興隆
メソアメリカ最古の高度文明で「母なる文明」と称される。サン・ロレンソ(紀元前1500-900年頃)とラ・ベンタ(紀元前900-400年頃)を主要中心地として繁栄した。高さ3m、重さ数十トンに達する巨石
メソアメリカ・メキシコ湾岸
紀元前1479〜1458年
ハトシェプスト女王の治世
トトメス2世の王妃であったハトシェプストは、幼い継子トトメス3世の摂政として権力を握り、やがて自らファラオを称した。古代エジプト史上最も成功した女性統治者。プント(ソマリア付近)への大規模交易遠征を実
エジプト・テーベ
紀元前1457年
トトメス3世のメギドの戦い
ハトシェプスト死後に単独統治を開始したトトメス3世が、カデシュ王率いるシリア・パレスチナ連合軍をメギドで撃破。エジプト軍記の最も詳細な戦闘記録として知られる。カルメル山脈の3つの隘路のうち最も危険な中
パレスチナ・メギド
紀元前1400年頃〜前1185年頃
ウガリトの発見と楔形アルファベット
ウガリトは後期青銅器時代の国際的交易都市で、エジプト、ヒッタイト、メソポタミア、エーゲ海世界をつなぐ交易網の結節点であった。1929年の偶然の発見以来の発掘で、30文字の楔形アルファベット文字、多言語
レヴァント・ウガリト
紀元前1400年頃〜
アフリカの鉄器製造技術の独自発展
アフリカの鉄器製造は中東からの伝播ではなく独自に発展した可能性が高い。タンザニアのKM2遺跡やルワンダの遺跡では、紀元前14世紀頃の製鉄の証拠が発見されている。アフリカの鍛冶師は社会的に特別な地位を持
アフリカ全域
紀元前1400年〜紀元前1200年頃
ミケーネ文明の最盛期
ミノア文明の衰退後にエーゲ海世界の覇権を握ったミケーネ文明の中心都市。シュリーマンが1876年に発掘し、「アガメムノンの黄金の仮面」を発見。線文字Bの使用、精巧な金細工、トロス墓(アトレウスの宝庫)な
ギリシャ・ペロポネソス半島
紀元前1353〜1336年
アクエンアテンの宗教改革とアマルナ遷都
第18王朝のアメンホテプ4世が自らアクエンアテン(アテンに有益なる者)と改名し、唯一神アテン(太陽円盤)の崇拝を推進。テーベのアメン神官団の権力を排除するため、新都アケトアテン(現アマルナ)を建設して
エジプト・アマルナ
紀元前1332年頃
ツタンカーメンの即位と伝統回帰
アクエンアテンの死後、幼くして即位したツタンカーメン(当初ツタンカーテン)は、アメン神官団と重臣アイ・ホレムヘブの影響下でアテン信仰を放棄し、伝統的な多神教に復帰。首都をテーベに戻し、アメン神殿の修復
エジプト・テーベ
紀元前1300年〜前1046年頃
殷墟の発見と甲骨文字
殷墟は殷(商)王朝後期の都城遺跡で、盤庚の遷都(紀元前1300年頃)以降約270年間の首都。1928年から発掘が始まり、大量の甲骨文(亀甲・獣骨に刻まれた占卜の文字)が出土。甲骨文は現在確認できる中国
中国・河南省安陽
紀元前1274年
カデシュの戦い
ラムセス2世率いるエジプト軍がヒッタイト王ムワタリ2世の軍とシリアのカデシュで激突した古代最大規模の戦車戦。約5000台の戦車と数万の兵士が参加。ラムセス2世はヒッタイト軍の偽情報に欺かれて奇襲を受け
シリア・カデシュ
紀元前1264年頃
アブ・シンベル神殿の建設
ラムセス2世がヌビア南端に建設した巨大岩窟神殿。正面に高さ約20mのラムセス2世の座像4体が並ぶ。隣接して王妃ネフェルタリのための小神殿も建設された。1960年代のアスワン・ハイ・ダム建設に伴い、ユネ
エジプト・アブ・シンベル
紀元前1250年頃
トロイア戦争
ギリシャ連合軍がトロイアを10年間包囲したとされる戦争。ホメロスの『イリアス』で伝承されるが、考古学的にはトロイア第VIIa層の破壊(紀元前1250年頃)がこれに対応する可能性がある。シュリーマンの発
アナトリア・トロアス地方
紀元前1200年頃〜紀元前300年頃
亀ヶ岡文化の展開
縄文晩期に東北地方北部で栄えた文化圏。亀ヶ岡式土器は精緻な文様と薄手の造形で縄文土器の最高峰。遮光器土偶・赤漆塗り製品・耳飾りなど高度な工芸品を生み出した。漆工芸の技術は特に優れていた。
日本・東北
紀元前1200年頃〜前1150年頃
前1200年のカタストロフと海の民
紀元前1200年頃、東地中海世界を支えた国際秩序が急速に崩壊した。ヒッタイト帝国、ミケーネ文明、ウガリトなどが滅亡し、エジプト新王国も大幅に衰退した。「海の民」と呼ばれる諸集団の移動・侵入が一因とされ
東地中海・レヴァント
紀元前1200〜200年頃
チャビン・デ・ワンタルの繁栄
アンデス文明初期の宗教的中心地。旧神殿と新神殿から成る石造神殿複合体で、内部には複雑な地下通路(ガレリア)が張り巡らされている。ランソン(高さ4.5mの花崗岩の神像)が地下の十字形の部屋に安置され、ジ
南アメリカ・ペルー
紀元前1200〜300年頃
フェニキア人の地中海交易網の確立
フェニキア人は地中海全域に交易拠点を建設し、紫の染料(ティリアン・パープル)、ガラス、杉材、金属加工品を交易した。カルタゴ(紀元前814年建設)を含む植民都市を北アフリカ、イベリア半島、シチリアに建設
地中海・レバント
紀元前1178年頃
海の民の侵入とエジプトの防衛
第20王朝のラムセス3世が、東地中海全域を荒廃させた「海の民」の大規模侵入をエジプト国境で撃退した。ナイルデルタの水上戦と陸上戦の二方面で決定的勝利を収め、ペリシテ人、テケル人、デニェン人などの連合軍
エジプト・ナイルデルタ
紀元前1050年頃
フェニキア人のアルファベット発明
フェニキア人は22文字の子音文字からなるアルファベットを発明し、地中海交易圏に普及させた。楔形文字やヒエログリフが数百の文字を必要としたのに対し、フェニキア文字は簡便さにおいて革命的であった。この文字
レヴァント・ビブロス
紀元前1046年頃
牧野の戦い(殷周革命)
紀元前1046年頃、周の武王が殷の紂王を牧野の戦いで破り、殷王朝を滅ぼした。紂王は酒池肉林の暴虐な君主とされ、武王は「天命」の移転を宣言して殷討伐を正当化した。殷軍の兵士は戦意を喪失し寝返ったとされる
中国・河南省
紀元前1042年頃
周公旦の礼制確立
武王の弟・周公旦が幼い成王の摂政として統治。宗法制度(嫡長子相続)と封建制度(諸侯への分封)を整備し、礼楽制度を確立した。管叔・蔡叔の乱を平定し、東方の支配を安定させた。
中国・洛邑(洛陽)
紀元前1000年頃
亀ヶ岡遺跡・遮光器土偶の製作
縄文晩期の代表的遺跡。精緻な亀ヶ岡式土器と、宇宙人のような外見で知られる遮光器土偶が出土した。遮光器土偶は高さ約34.5センチで、誇張された目と体の文様が特徴的。晩期縄文文化の芸術的到達点を示す。
日本・青森
紀元前1000年頃〜前332年
フェニキア都市テュロスの海上帝国
テュロスはフェニキア最有力の海洋都市国家として、地中海全域に交易ネットワークを展開した。紫の染料(テュリアン・パープル)の生産で知られ、カルタゴをはじめ北アフリカ・イベリア半島に多数の植民都市を建設。
レヴァント・テュロス
紀元前1000年〜1500年頃
バンツー民族の大移動
バンツー語族の人々が約2500年かけて西アフリカからサブサハラアフリカのほぼ全域に拡散した大規模な民族移動。鉄器技術と農耕(ヤムイモ、バナナ)を携えて移動し、先住の狩猟採集民(サン人、ピグミー)を同化
アフリカ中南部全域
紀元前1000年頃〜現在
タトゥー文化の起源と拡散
ポリネシア文化圏で高度に発達した身体装飾の伝統。サモアのペアは腰から膝までを覆う幾何学的な男性のタトゥーで、成人儀礼として施される。マオリのモコ(顔面タトゥー)は個人の系譜と社会的地位を表す。マルケサ
オセアニア・ポリネシア
紀元前957年頃
ソロモン王のエルサレム第一神殿建設
ダビデ王の統一王国を継いだソロモン王は、フェニキアのテュロス王ヒラムの援助を受けてエルサレムに壮麗な神殿を建設した。レバノン杉の梁、金箔の至聖所、契約の箱を安置する内陣を備えた。建設には7年を要し、イ
レヴァント・エルサレム
紀元前930年頃
菜畑遺跡・日本最古の水田稲作
日本最古の水田跡が確認された遺跡。縄文晩期末(約2930年前)の水田跡と炭化米、農具が出土。大陸から伝播した水田稲作技術が北部九州に最初に受容された証拠であり、弥生時代の始まりを示す。
日本・佐賀
紀元前900年頃
板付遺跡での水田稲作開始
縄文晩期末から弥生早期にかけての水田跡が確認された遺跡。灌漑用水路を備えた本格的な水田経営が行われ、環濠集落も伴う。板付式土器は弥生早期の標式土器として知られる。
日本・福岡
紀元前860年頃〜前590年頃
ウラルトゥ王国の興亡
ウラルトゥは新アッシリア帝国に対抗した山岳王国で、トゥシュパ(現ヴァン)を首都とした。精緻な石造建築、青銅器工芸、大規模灌漑施設で知られる。サルドゥリ1世からルサ1世の時代に最盛期を迎え、コーカサスか
アナトリア東部・ヴァン湖周辺
紀元前814年頃
カルタゴの建設
フェニキアの都市ティルスからの植民者がチュニス湾岸にカルタゴ(「新しい都市」の意)を建設。伝説ではティルスの王女エリッサ(ディド)が牛皮一枚分の土地という約束を巧みに解釈して広大な土地を確保したとされ
チュニジア・カルタゴ
紀元前800年頃〜前500年頃
ウパニシャッドの成立
ヴェーダ文献の最終部分として成立した哲学的文献群。ブラフマン(宇宙原理)とアートマン(個我)の同一性を説く梵我一如の思想を中核とする。主要な初期ウパニシャッド(ブリハドアーラニヤカ、チャーンドーギヤ等
南アジア・北インド
紀元前771年
西周の崩壊と平王の東遷
紀元前771年、西方の異民族・犬戎が鎬京を攻撃し、幽王を殺害。伝説では幽王が褒姒のために烽火を濫用して諸侯の信頼を失ったとされる(烽火戯諸侯)。幽王の子・平王は東の洛邑に遷都し東周が始まった。しかし遷
中国・鎬京→洛邑
紀元前747〜656年
ヌビア(クシュ)によるエジプト支配(第25王朝)
ヌビアのクシュ王国のピアンキ(ピイ)王がエジプトに侵攻し、分裂状態にあったエジプトを統一して第25王朝(ヌビア王朝)を樹立した。クシュの王たちはエジプトの伝統的な王権を尊重し、ピラミッド建設やアメン信
エジプト・テーベ〜ヌビア
紀元前7世紀〜紀元後1世紀
ドンソン文化の繁栄
ベトナム北部の紅河流域を中心に発展した東南アジア最重要の青銅器文化。精巧な銅鼓は権威の象徴であり、表面に船、戦士、楽隊、動物の図像が刻まれる。農耕・漁労・戦闘の場面が記録され、当時の社会生活を知る第一
ベトナム北部・紅河流域
紀元前7世紀〜前3世紀
スキタイ文化の繁栄
イラン系の騎馬遊牧民スキタイは紀元前7世紀頃から黒海北岸を中心に勢力を拡大。動物闘争文様(アニマル・スタイル)と呼ばれる独特の金属工芸で知られ、黄金の装身具は古代世界でも最高水準の冶金技術を示す。ヘロ
中央アジア・ユーラシアステップ
紀元前700年頃
スパルタの軍事国家体制確立
伝説的立法者リュクルゴスの制度として伝えられるスパルタ独自の社会体制の確立。7歳からのアゴーゲー(軍事教育制度)、共同食事制度(シュッシティア)、土地の均等分配、二王制と長老会(ゲルーシア)・民会(ア
ギリシャ・ラコニア
紀元前7世紀
春秋五覇の時代
周王室の権威が衰え、有力諸侯が覇者として諸侯を率いた時代。斉の桓公(管仲を登用し「尊王攘夷」)、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭、越王勾践が春秋五覇とされる。会盟による秩序維持が特徴。
中国・黄河流域各地
紀元前671年
アッシリアのエジプト侵攻
アッシリア王エサルハドンがエジプトに侵攻し、メンフィスを占領してヌビア第25王朝のタハルカ王を追放した。続くアッシュルバニパル王の遠征(紀元前663年)ではテーベが徹底的に略奪・破壊された。この事件は
エジプト・メンフィス〜テーベ
紀元前668年〜前627年
アッシリア帝国の最大版図とニネヴェの大図書館
アッシュルバニパル王の治世はアッシリア帝国の絶頂期であり、エジプトのテーベまで支配が及んだ。ニネヴェに建設された大図書館には3万枚以上の粘土板が収蔵され、ギルガメシュ叙事詩の標準版を含むメソポタミア文
メソポタミア・ニネヴェ
紀元前612年
ニネヴェの陥落とアッシリア帝国の滅亡
新バビロニアのナボポラッサルとメディアのキュアクサレス2世の連合軍がニネヴェを包囲・攻略し、300年にわたるアッシリア帝国が滅亡した。ティグリス川の洪水が城壁を破壊し、市は徹底的に略奪・破壊された。残
メソポタミア・ニネヴェ
紀元前610年頃〜前546年
リディア王国と硬貨の発明
リディア王国はアリュアッテス王からクロイソス王の時代に、パクトロス川産のエレクトラムを用いて世界初の標準化された硬貨を鋳造した。クロイソス王は純金と純銀の硬貨を分離鋳造し、信頼性の高い貨幣制度を確立。
アナトリア・サルデス
紀元前605年〜前562年
ネブカドネザル2世と新バビロニアの黄金期
ネブカドネザル2世は新バビロニア帝国を古代オリエント最強の国家に発展させた。カルケミシュの戦い(前605年)でエジプト軍を破りシリア・パレスチナを制圧。バビロンを大規模に改築し、イシュタル門、行列通り
メソポタミア・バビロン
紀元前600年頃〜前322年頃
マガダ国の台頭
16大国(マハージャナパダ)の中から頭角を現し、北インドの覇権を握った王国。ビンビサーラ王がハリヤンカ朝を興し、首都ラージギルを建設。その子アジャータシャトルがコーサラ国やヴァッジ共和国を征服。シシュ
南アジア・ビハール
紀元前6世紀頃
スシュルタの外科医学
古代インドの外科医スシュルタが著したとされる『スシュルタ・サンヒター』は約184章からなる包括的医学書。鼻形成術(ラインプラスティー)、白内障手術、帝王切開、結石摘出など300以上の外科手術を記述。1
南アジア・ヴァーラーナシー
紀元前600〜100年頃
エル・ミラドールの繁栄
先古典期マヤ最大の都市で、ラ・ダンタのピラミッド(高さ72m、体積280万m³)はメソアメリカ最大の建造物。ティグレのピラミッド(高さ55m)とともに「三尖塔型」の独特な建築様式を持つ。都市面積は約1
メソアメリカ・グアテマラ
紀元前594年
ソロンの改革
アテネのアルコン(執政官)に選出されたソロンが断行した一連の政治・経済改革。債務帳消し(セイサクテイア)、債務奴隷制の禁止、財産に基づく四等級制の導入、民会と民衆裁判所の整備を行った。土地所有の集中を
ギリシャ・アテネ
紀元前586年〜前539年
バビロン捕囚とエルサレム神殿の破壊
ネブカドネザル2世はユダ王国の反乱に対し、紀元前586年にエルサレムを包囲・攻略し、ソロモン王が建設した第一神殿を破壊した。ユダの王族・祭司・職人らがバビロンに連行され、約半世紀にわたる捕囚生活を送っ
レヴァント・エルサレム
紀元前6〜5世紀頃
老子と道家思想
老子は道家思想の創始者とされ、『道徳経』(老子)は「道」を万物の根源とする哲学を説いた。「道の道とすべきは常の道に非ず」に始まる81章の短い著作は、無為自然・柔弱謙下の思想を展開。儒教の礼楽制度への批
中国・楚国
紀元前551年〜前479年
孔子と儒教の成立
孔子(紀元前551-479年)は魯国の曲阜に生まれ、仁・礼・孝を核とする儒教思想を創始した。周の理想的な礼楽制度の復興を説き、諸国を歴訪して政治的理想の実現を図ったが失敗。晩年は教育に専念し、弟子30
中国・魯国(山東省曲阜)
紀元前550年〜前530年
キュロス2世のアケメネス朝ペルシャ建国
キュロス2世はペルシャのアンシャン王家から立ち、紀元前550年にメディア王国を征服して独立。続いてリディア王国(前546年)、新バビロニア(前539年)を滅ぼし、エジプト以外の古代オリエント全域を統一
ペルシャ・パサルガダエ
紀元前540年頃〜前468年頃
マハーヴィーラとジャイナ教の成立
ヴァルダマーナ・マハーヴィーラはクシャトリヤの家系に生まれ、30歳で出家し12年間の苦行の後にケーヴァラ(完全知)を得た。不殺生(アヒンサー)を最高の徳とし、厳格な禁欲と非暴力を説いた。ジャイナ教の2
南アジア・ビハール
紀元前539年
キュロスの勅令とユダヤ人帰還
キュロス2世は紀元前539年にバビロンを征服した後、捕囚民の帰還と神殿再建を許可する勅令を発した。ユダヤ人はエルサレムに帰還し、紀元前516年頃に第二神殿を完成させた。この寛容政策はペルシャ帝国の多文
レヴァント・エルサレム
紀元前531年頃
ブッダの悟り(ブッダガヤ)
ゴータマ・シッダールタが菩提樹の下で49日間の瞑想を経て悟り(サンボーディ)を得た場所。苦行を放棄し中道を見出した後、縁起・四聖諦・十二因縁などの根本教理を体得した。マハーボーディ寺院が後に建立され、
南アジア・ビハール
紀元前528年頃
ブッダの初転法輪(サールナート)
ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)がブッダガヤで悟りを開いた後、最初の説法を行った場所。かつての修行仲間5人に対して四聖諦と八正道を説き、仏教の教団(サンガ)が誕生した。この出来事は「法輪を転じる」(ダ
南アジア・ウッタル・プラデーシュ
紀元前522年〜前486年
ベヒストゥン碑文とダレイオス1世の帝国整備
ダレイオス1世は簒奪者ガウマータを打倒して即位した後、各地の反乱を鎮圧。その経緯を古代ペルシャ語・エラム語・バビロニア語の三言語でベヒストゥンの断崖に刻ませた。帝国を20のサトラピー(属州)に分割し、
ペルシャ・ベヒストゥン
紀元前518年頃〜前330年
ペルセポリスの建設
ダレイオス1世が着工しクセルクセス1世が拡張したペルセポリスは、アケメネス朝の儀礼的首都であった。アパダナ(謁見の間)の階段浮彫には23の属州の使節が貢物を持参する姿が刻まれ、帝国の多民族性と統一を視
ペルシャ・ペルセポリス
紀元前6世紀頃
孫子『兵法』の成立
呉の孫武が著したとされる世界最古の体系的軍事書。全13篇で構成され、「兵は詭道なり」「百戦百勝は善の善なるものに非ず」「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」など普遍的な戦略原理を説く。
中国・呉
紀元前509年
ローマ共和政の成立
最後の王タルクィニウス・スペルブスを追放し、二名の執政官(コンスル)を最高官とする共和政体を樹立。元老院が国政の中枢を担い、民会が法律を制定する体制が整備された。「王(レクス)」という称号はローマ人に
イタリア・ローマ
神話時代(創建年不詳)
出雲大社の創建伝承
大国主命を祭神とする日本最古級の神社。『古事記』の国譲り神話で、天照大神に国を譲った大国主命のために壮大な神殿が建てられたとされる。2000年に境内から巨大な柱(宇豆柱)が出土し、高層神殿の実在可能性
日本・島根
紀元前5世紀〜前3世紀
百家争鳴(諸子百家の思想)
春秋戦国時代に多様な思想家が輩出。儒家(孔子・孟子・荀子)、道家(老子・荘子)、墨家(墨子)、法家(韓非子・商鞅)、兵家(孫子)、名家、陰陽家、縦横家(蘇秦・張儀の合従連衡)など。
中国・各地
紀元前5世紀〜前3世紀
パジリク古墳群の発見
1929年にソ連の考古学者ルデンコにより発掘されたスキタイ系遊牧民の古墳群。冷凍保存により世界最古のパイル織りカーペット(パジリク・カーペット)、精巧な馬具、刺青のある冷凍ミイラ(「アイス・プリンセス
中央アジア・アルタイ山脈
紀元前500年〜200年頃
ノク文化の発展
サブサハラアフリカで最古級の高度な文化。精巧なテラコッタ(焼成粘土)の人物像と、独自に発展した鉄器製造技術で知られる。テラコッタ像は等身大から小型まで多様で、精巧な髪型、装身具の表現が特徴。アフリカに
ナイジェリア・ジョス台地
紀元前500年頃〜現在
ヨルバのオリシャ信仰とその世界的拡散
ヨルバ人の伝統宗教はオロドゥマレ(至高神)のもとに約400柱のオリシャ(神々)が存在する多神教体系。シャンゴ(雷神)、オシュン(愛と豊穣の女神)、オグン(鉄と戦争の神)、エシュ(道の神)などが崇拝され
ナイジェリア・ヨルバランド
古代〜現在
グリオの口承文学伝統
西アフリカのグリオ(フランス語。マンデ語ではジェリ)は世襲の語り部・音楽家・歴史家であり、王朝の歴史、系譜、道徳的教訓を歌と語りで伝承する。コラ(21弦のハープ)、バラフォン(木琴)、ンゴニ(リュート
西アフリカ全域
紀元前500年〜紀元後800年頃
モンテ・アルバンの建設(サポテカ文明)
サポテカ文明の首都で、山頂を人工的に平坦化して建設された壮大な儀礼センター。最盛期の人口は約2万5千人。大広場を囲む神殿群、球技場、天文台が残る。「踊る人々(ダンサンテス)」と呼ばれる浮彫りは殺害され
メソアメリカ・メキシコ・オアハカ
紀元前500年〜紀元後1500年頃
アマゾン流域のテラ・プレタ形成
アマゾン先住民が数世紀にわたり形成した人工的な肥沃土壌「テラ・プレタ」(ポルトガル語で「黒い土」)。バイオ炭(木炭)、陶器片、骨、魚の残骸、糞便などが混合されており、通常のアマゾン土壌の数倍の炭素含有
南アメリカ・アマゾン
紀元前490年
マラトンの戦い
第一次ペルシャ戦争の決戦。アテネの将軍ミルティアデスが約1万のアテネ・プラタイア連合軍を率い、ダティスとアルタフェルネス指揮下の約2万5千のペルシャ遠征軍を撃破。両翼を強化する陣形で敵を包囲し、ペルシ
ギリシャ・アッティカ
紀元前480年
テルモピュライの戦い
第二次ペルシャ戦争において、スパルタ王レオニダス1世が率いる約7000のギリシャ連合軍(うちスパルタ精鋭300名)が、クセルクセス1世の大軍(推定10万〜30万)を3日間にわたり隘路で食い止めた。裏切
ギリシャ・中部
紀元前480年
サラミスの海戦
テミストクレスの策略によりペルシャ艦隊を狭い海峡に誘い込み、約370隻のギリシャ連合艦隊が約800隻のペルシャ艦隊を撃破した歴史的海戦。ギリシャ側は三段櫂船の衝角攻撃と機動力を活かし、ペルシャ艦隊に壊
ギリシャ・サロニコス湾
紀元前451年〜紀元前449年
十二表法の制定
ローマ初の成文法典。十名の委員(デケムウィリ)がギリシャの法制度も参考にしつつ編纂した。所有権、相続、訴訟手続き、債務、家族法などを規定。法の公開により、パトリキ(貴族)による法の恣意的解釈を制限し、
イタリア・ローマ
紀元前447年〜紀元前432年
パルテノン神殿の建設
ペリクレスの指導下、建築家イクティノスとカリクラテスが設計し、フェイディアスが彫刻装飾を監督した。ドーリア式神殿の最高傑作で、女神アテナの巨大な黄金象牙像を安置した。8本×17本の柱配置、微妙な曲線(
ギリシャ・アテネ
紀元前431年〜紀元前404年
ペロポネソス戦争の勃発
アテネを盟主とするデロス同盟とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟の全面戦争。アルキダモス戦争(前431-421年)、ニキアスの和約、シチリア遠征の壊滅的失敗(前415-413年)、イオニア戦争(前4
ギリシャ全域
紀元前4世紀〜紀元後3世紀
吉野ヶ里遺跡の環濠集落形成
弥生時代を通じて発展した日本最大級の環濠集落。内濠・外濠の二重環濠に囲まれ、物見櫓、祭祀建物、高床倉庫群が計画的に配置されていた。甕棺墓から出土した人骨には首のない遺体もあり、戦争の痕跡が生々しい。
日本・佐賀
紀元前4世紀〜紀元4世紀頃
マハーバーラタの成立
約10万頌からなる世界最長の叙事詩。バーラタ族の王位継承をめぐるパーンダヴァとカウラヴァの対立と大戦争を描く。バガヴァッド・ギーターを含み、ダルマ(義務)・アルタ(実利)・カーマ(愛欲)・モークシャ(
南アジア・北インド
紀元前399年
ソクラテスの裁判と処刑
アテネの哲学者ソクラテスが「国家の神々を認めず、青年を堕落させた」罪で告発され、501人の陪審員による投票で有罪・死刑が確定。獄中でドクニンジンの毒杯を仰いで死去した。プラトンの対話篇『ソクラテスの弁
ギリシャ・アテネ
紀元前380年頃〜550年
フィラエ島のイシス神殿
ネクタネボ1世からローマ時代にかけて建設されたイシス女神の主要な祭祀中心。プトレマイオス朝・ローマ期に大規模に拡充され、地中海世界全域からのイシス信仰の巡礼地となった。エジプト古来の宗教が最後まで存続
エジプト・フィラエ
紀元前377年頃〜1017年
アヌラーダプラ王朝と仏教の伝播
スリランカ最初の大王朝。紀元前3世紀にアショーカ王の子マヒンダが仏教を伝え、以後スリランカは上座部仏教の最重要拠点となった。菩提樹の分木が植えられ、ルワンウェリサーヤ大塔などの巨大な仏塔が建設された。
南アジア・スリランカ
紀元前356年〜前338年
商鞅の変法(秦の改革)
衛の公族出身の商鞅が秦の孝公のもとで実施した法家思想に基づく国政改革。什伍制(連帯責任制)、軍功爵制(軍功による身分上昇)、県制(封建制の廃止)、度量衡の統一、井田制の廃止と土地の私有化を断行。秦は急
中国・秦国
紀元前334年〜前323年
アレクサンドロス大王のペルシャ征服とペルセポリス焼却
マケドニアのアレクサンドロス3世はグラニコス川(前334年)、イッソス(前333年)、ガウガメラ(前331年)の三大会戦でアケメネス朝を撃破。ダレイオス3世を追走し、紀元前330年にペルセポリスを占領
ペルシャ・ペルセポリス
紀元前333年
イッソスの戦い
アレクサンドロス大王がダレイオス3世率いるペルシャ軍を撃破した会戦。アレクサンドロスは右翼のヘタイロイ騎兵を自ら率いてダレイオスの本陣に突撃。ダレイオスは戦車を捨てて逃走し、ペルシャ王の母・妻・子供が
アナトリア南東部・キリキア
紀元前331年
ガウガメラの戦い
アレクサンドロス大王がダレイオス3世に最終的な決定的勝利を収めた会戦。ペルシャ軍は鎌付き戦車200両を含む約20万(諸説あり)の大軍を展開。アレクサンドロスは斜行戦術で右翼から突破口を作り、ヘタイロイ
メソポタミア北部
紀元前331年
アレクサンドリアの建設
アレクサンドロス大王がエジプト征服後、建築家ディノクラテスの設計によりナイルデルタ西端に新都市を建設。碁盤目状の計画都市として設計され、最盛期には人口50万を超えた。プトレマイオス朝の首都となり、ムセ
エジプト・アレクサンドリア
紀元前329年〜前326年
アレクサンドロス大王のバクトリア征服
アレクサンドロス大王がバクトリア・ソグディアナに遠征。ベッソスを捕えた後、スピタメネスの率いるソグド人のゲリラ抵抗に約2年間苦しんだ。ソグディアナ・ロック(岩壁要塞)を攻略し、現地の王女ロクサネと結婚
中央アジア・アフガニスタン/ウズベキスタン
紀元前322年頃
チャンドラグプタによるマウリヤ朝建国
チャンドラグプタ・マウリヤがナンダ朝最後の王を倒し、パータリプトラを首都にマウリヤ朝を建国した。策士カウティリヤ(チャーナキヤ)の助力を得て権力を掌握。アレクサンドロス大王の死後の混乱に乗じて北西イン
南アジア・ビハール
紀元前312年〜前63年
セレウコス朝の成立とヘレニズム中東
ディアドコイ戦争の結果、セレウコス1世がアレクサンドロス帝国の東方領土を継承し、セレウコス朝を建てた。バビロンからインドに至る広大な領域を支配し、ギリシャ語を公用語としてヘレニズム文化を東方に拡散させ
シリア・セレウキア
紀元前312年頃〜紀元106年
ナバテア王国とペトラの岩窟都市
アラブ系遊牧民ナバテア人が建設した交易都市ペトラは、アラビア半島の乳香・没薬交易とエジプト・シリアを結ぶ交易路の結節点として繁栄した。エル・ハズネ(宝物殿)をはじめとする岩窟建築はヘレニズム建築とアラ
ヨルダン・ペトラ
紀元前3世紀〜紀元後1世紀
銅鐸文化圏の形成
弥生時代中期を中心に、近畿・東海地方で銅鐸が製造・使用された。初期は朝鮮半島由来の小型銅鐸だったが、次第に大型化・装飾化し、聞く銅鐸から見る銅鐸へ変化。袈裟襷文・流水文・動物文などの文様が施され、農耕
日本・近畿〜東海
紀元前3世紀〜7世紀
続縄文文化の展開
本土が弥生・古墳時代に移行した後も、北海道では縄文的な狩猟・漁労・採集生活が継続した。これを続縄文文化と呼ぶ。恵山式・北大式土器に代表される独自の土器文化を持ち、本州との交易(鉄器・米の入手)も行われ
日本・北海道
紀元前3世紀〜紀元3世紀頃
ラーマーヤナの成立
聖仙ヴァールミーキ作とされる約2万4千頌の叙事詩。コーサラ国の王子ラーマが妃シーターの奪還のためランカーの魔王ラーヴァナと戦う物語。ダルマ(正義)の体現者としてのラーマ像は理想的な王・夫・息子の模範と
南アジア・北インド
紀元前3世紀〜紀元3世紀頃
サンガム文学の成立
古代タミル語で書かれた詩歌集の総称。473人の詩人による2381篇の詩が現存。恋愛詩(アカム)と英雄詩(プラム)の二大部門からなり、チョーラ・パーンディヤ・チェーラの三王朝の時代を描く。『トルカッピヤ
南アジア・タミルナードゥ
紀元前300年頃〜15世紀
インド洋モンスーン航路の発達
紀元前1世紀のギリシャ商人ヒッパロスがモンスーンの法則を「発見」(実際にはインド・アラブ商人は以前から利用)して以降、ローマ帝国とインド亜大陸の間の直接交易が活発化。香辛料、絹、宝石、ガラスなどが取引
インド洋
紀元前295年頃
アレクサンドリア図書館の設立
プトレマイオス1世ソテルが創設し、プトレマイオス2世フィラデルフォスが拡充したムセイオン(学術殿堂)付属の図書館。最盛期には40万〜70万巻のパピルス巻物を所蔵したとされる。エウクレイデス(幾何学)、
エジプト・アレクサンドリア
紀元前280年頃
ファロス灯台の建設
プトレマイオス2世の命で建築家ソストラトスが設計・建設した高さ約120〜140mの灯台。古代世界の七不思議の一つ。三段構造(下部は四角形、中部は八角形、上部は円筒形)で、頂上の火による光は50km以上
エジプト・アレクサンドリア
紀元前261年頃
アショーカ王のカリンガ戦争と仏教帰依
マウリヤ朝第3代アショーカ王がカリンガ国を征服した戦争。推定10万人が戦死、15万人が連行され、さらに多くが飢餓と疫病で死亡。この凄惨な結果にアショーカ王は深く後悔し、武力による征服を放棄してダルマ(
南アジア・オリッサ
紀元前260年
長平の戦い
紀元前260年、秦と趙が上党の帰属をめぐり激突。趙の老将廉頗は持久戦を選んだが、趙王は趙括に交代させた。秦の白起は偽退却で趙軍をおびき出し、46日間の包囲の末に趙軍約40万を降伏させた後、坑殺(生き埋
中国・趙国(山西省)
紀元前250年頃
アショーカ王柱の建立
アショーカ王が帝国各地に建立した石柱群。ダルマ(法)に基づく統治理念、非暴力、宗教的寛容、動物保護などの勅令が刻まれている。ブラーフミー文字やカローシュティー文字で記され、これが古代インドの文字解読の
南アジア各地
紀元前250年頃〜前130年頃
グレコ・バクトリア王国
セレウコス朝から独立したギリシャ系の王国。ディオドトス1世が建国し、デメトリオス1世がインド北西部に進出。最も有名な王メナンドロス1世(ミリンダ王)は仏教に帰依し、『ミリンダ王の問い』としてパーリ語仏
中央アジア・バクトリア
紀元前247年頃〜紀元224年
パルティア帝国(アルサケス朝)の台頭
アルサケス1世がセレウコス朝から独立して建てたパルティア帝国は、イラン高原からメソポタミアに至る広大な領域を支配した。騎馬弓兵と重装騎兵(カタフラクト)による機動戦を得意とし、カルラエの戦い(前53年
ペルシャ・クテシフォン
紀元前246年〜前210年頃
兵馬俑の造営
1974年に農民が井戸掘りの際に偶然発見した兵馬俑は、始皇帝の陵墓を守護する約8,000体の等身大の陶製兵士像。一号坑だけで6,000体以上が整然と配置され、歩兵・騎兵・戦車兵・将軍が実戦配置で並ぶ。
中国・陝西省西安
紀元前221年
秦の六国統一と始皇帝
紀元前230年から前221年にかけて、秦王政(のちの始皇帝)が韓・趙・魏・楚・燕・斉の六国を滅ぼし中国を統一。「皇帝」の称号を創始し、郡県制を施行して中央集権体制を確立。度量衡・文字・車軌の統一、馳道
中国・咸陽
紀元前221年〜
万里の長城建設
始皇帝は北方の匈奴への防衛のため、戦国時代の燕・趙・秦が築いた長城を連結・拡張し、西は臨洮から東は遼東に至る万里の長城を完成させた。蒙恬将軍が30万の軍と数十万の労働者を指揮。現存する長城の大部分は明
中国北部
紀元前218〜216年
ハンニバルのアルプス越えとカンナエの戦い
第二次ポエニ戦争でカルタゴの名将ハンニバル・バルカが、歩兵・騎兵・戦象を率いてアルプスを越えイタリアに侵入。紀元前216年のカンナエの戦いでは約5万のカルタゴ軍が約8万のローマ軍を完全包囲し殲滅。ロー
イタリア・カンナエ
紀元前216年
カンナエの戦い
第二次ポエニ戦争における最大の会戦。ハンニバル・バルカが約5万のカルタゴ軍で、約8万のローマ軍を完全包囲して殲滅した。中央を故意に後退させる凸型陣形から凹型に反転し、両翼の騎兵が敵後方を遮断する包囲戦
イタリア・アプリア地方
紀元前213年〜前212年
焚書坑儒
秦の始皇帝が李斯の建議により、秦の歴史書以外の歴史書と私蔵の詩経・書経を焼却(焚書、前213年)。翌年、方士・儒生460人余りを咸陽で生き埋めにしたとされる(坑儒)。
中国・咸陽
紀元前209年
陳勝呉広の乱
紀元前209年、徭役に駆り出された900人の農民の中から陳勝と呉広が反乱を起こした。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」の檄文は中国史上最も有名な反乱宣言。陳勝は「張楚」を称して王となったが、わずか6ヶ月
中国・安徽省
紀元前209年頃
冒頓単于と匈奴帝国の統一
冒頓単于が父・頭曼単于を殺害して匈奴の王位を簒奪し、モンゴル高原を統一。東胡・月氏を撃破して中央アジアから満州にまたがる大帝国を建設。白登山の戦い(前200年)で劉邦を包囲し、漢に屈辱的な和親策を強い
モンゴル高原
紀元前209年
匈奴帝国の形成(冒頓単于)
冒頓(モードゥン)が父の頭曼単于を殺害して匈奴の単于(最高指導者)に即位し、周辺の遊牧民族を統合して最初の遊牧帝国を形成。漢の高祖劉邦を白登山で包囲(紀元前200年)し、和親政策(漢の公主の降嫁と歳幣
中央アジア・モンゴル
紀元前206年〜前202年
項羽と劉邦の楚漢戦争・垓下の戦い
秦滅亡後、西楚の覇王・項羽と漢王・劉邦が天下を争った約4年間の戦争。鴻門の会(紀元前206年)で劉邦は暗殺を免れ、以後各地で攻防を繰り返した。紀元前202年、垓下の戦いで韓信の十面埋伏の陣に包囲された
中国・全域
紀元前202年
前漢の建国と劉邦の統治
紀元前202年、劉邦(高祖)が皇帝に即位し漢王朝を建国。長安を首都とし、郡県制と封建制を併用する郡国制を採用した。「約法三章」で秦の苛酷な法治を改め、黄老思想に基づく無為の政治で民力の回復を図った。呂
中国・長安
紀元前202〜148年
ヌミディア王マシニッサの統一
ベルベル人の族長マシニッサは第二次ポエニ戦争でローマ側に立ち、ザマの戦い(紀元前202年)での勝利に騎兵で決定的貢献をした。その見返りとしてローマの支援のもと東西ヌミディアを統一し、強力な王国を建設し
アルジェリア・ヌミディア
紀元前202年
ザマの戦い
第二次ポエニ戦争の最終決戦。スキピオ・アフリカヌスがハンニバルをカルタゴ本国近くで撃破。スキピオはハンニバルの戦象突撃を隊列の隙間で通過させる戦術で無力化し、マシニッサのヌミディア騎兵がカルタゴ軍の後
北アフリカ・カルタゴ近郊
紀元前2世紀〜紀元後2世紀
青谷上寺地遺跡の集落
弥生時代中期から後期の集落遺跡。木製品・骨角器・金属器など多彩な遺物が極めて良好な状態で出土。特に100体以上の人骨が発見され、殺傷痕のある骨も多数含まれることから「弥生の戦争」の実態を示す。
日本・鳥取
紀元前2世紀〜紀元後1世紀
銅矛・銅戈文化圏の形成
弥生時代中期、北部九州では朝鮮半島系の銅矛・銅戈が祭祀用の青銅器として大型化・儀器化した。荒神谷遺跡(島根県)では358本の銅剣が一括出土し、出雲地域の独自の青銅器文化を示す。
日本・北部九州
紀元前2世紀〜紀元480年頃
アジャンター石窟寺院の造営
約30の石窟からなる仏教寺院群。第1期(紀元前2〜1世紀、サータヴァーハナ朝時代)と第2期(5世紀、ヴァーカータカ朝時代)に大別される。第2期の壁画群はインド美術の最高傑作とされ、ブッダの前世物語(ジ
南アジア・マハーラーシュトラ
紀元前200年〜紀元後600年頃
ナスカの地上絵の制作
ナスカ台地に描かれた巨大な地上絵群。ハチドリ(96m)、コンドル(134m)、クモ(46m)、サル(110m)などの動物図形のほか、幾何学模様や直線が300以上確認されている。地表の石を除去して明るい
南アメリカ・ペルー
紀元前200年〜紀元後900年頃
マヤの暦法と天文学の発達
マヤ文明は独自の複数の暦法を発達させた。ツォルキン(260日暦、儀礼暦)、ハアブ(365日暦、太陽暦)、そしてこの二つが組み合わさるカレンダー・ラウンド(52年周期)に加え、紀元前3114年8月11日
メソアメリカ・マヤ地域
紀元前196年
ロゼッタ・ストーンの原碑文制定(プトレマイオス5世即位記念)
プトレマイオス5世の即位を記念する神官会議の勅令が、ヒエログリフ、デモティック(民衆文字)、ギリシャ語の三言語で石碑に刻まれた。1799年にナポレオンのエジプト遠征中にロゼッタで発見され、1822年に
エジプト・メンフィス
紀元前194年頃
衛氏朝鮮の建国
燕の亡命者・衛満が準王を追放し、王険城(現在の平壌付近)を都として建国した。中国の鉄器文化と先進的な政治制度を導入し、周辺の真番・臨屯などの部族を従属させて勢力を拡大した。漢との冊封関係を結びつつも独
朝鮮半島・平壌
紀元前180年〜前141年
前漢の文景の治
文帝・景帝の治世。黄老思想(無為自然)に基づく軽税・倹約政策で農業を振興し、秦末の戦乱で疲弊した民力を回復。呉楚七国の乱(前154年)を鎮圧して中央集権を強化。武帝の積極政策の基盤を築いた。
中国・長安
紀元前146年
カルタゴの滅亡(第三次ポエニ戦争)
ローマの元老院議員カトーの「カルタゴは滅ぼされるべし」の繰り返し主張により、第三次ポエニ戦争が開始された。3年間の包囲戦の末、スキピオ・アエミリアヌスがカルタゴを陥落させた。住民約50万のうち生存者は
チュニジア・カルタゴ
紀元前141年〜前87年
漢武帝の治世と匈奴遠征
漢の武帝(在位紀元前141-87年)は中国史上最も積極的な対外政策を展開。衛青・霍去病らの将軍を用いて匈奴を漠北に駆逐し、河西四郡を設置してシルクロードを開通。南越・朝鮮にも遠征して版図を拡大。内政で
中国・長安〜中央アジア
紀元前138年〜前126年
張騫の西域派遣とシルクロード開拓
紀元前138年、武帝は大月氏と同盟して匈奴を挟撃する目的で張騫を西域に派遣。張騫は匈奴に捕らえられ10年間抑留された後、脱出して大月氏に到達したが同盟は実現しなかった。しかし13年後に帰還した張騫がも
中央アジア
紀元前138年〜前126年
張騫の西域旅行
漢の武帝が匈奴挟撃のため大月氏と同盟を結ぶべく派遣した外交使節。匈奴に捕らわれ10年間拘束された後に脱出し、大月氏のもとに到達したが同盟は成立せず帰還。しかし西域の地理・民族・産物に関する貴重な情報を
中央アジア・ソグディアナ
紀元前136年頃
董仲舒と儒教の国教化
董仲舒が武帝に「罷黜百家、独尊儒術」(百家を退け儒学のみを尊ぶ)を建議。天人感応説(天が皇帝の徳に応じて災異を示す)を唱え、儒教を帝国の統治イデオロギーに格上げ。五経博士が設置された。
中国・長安
紀元前112〜106年
ユグルタ戦争
ヌミディア王ユグルタがローマの宗主権に反旗を翻し、北アフリカで約6年にわたるゲリラ戦を展開。ローマ元老院議員の腐敗を利用して外交戦でも善戦した。最終的にマリウスの軍制改革軍とスッラの謀略により捕縛され
アルジェリア・ヌミディア
紀元前108年
漢四郡の設置
漢武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪・真番・臨屯・玄菟の四郡を設置した。楽浪郡は最も長く存続し、中国文化を朝鮮半島に伝える窓口として約400年間機能した。楽浪郡からは漆器、青銅器、鏡など多数の中国文物が出土
朝鮮半島北部
紀元前104年〜前91年頃
司馬遷『史記』の編纂
司馬遷(紀元前145-86年頃)が編纂した『史記』は、黄帝から武帝までの約3000年間を記述した中国最初の通史。本紀12巻・表10巻・書8巻・世家30巻・列伝70巻の計130巻で構成。紀伝体(人物中心
中国・長安
紀元前1世紀〜紀元後3世紀
出雲王権の形成と四隅突出型墳丘墓
弥生後期から古墳時代初頭、出雲地域では独自の四隅突出型墳丘墓が築造された。西谷墳墓群に代表される大型墳墓は、出雲に独自の政治勢力が存在したことを示す。荒神谷遺跡の銅剣358本、加茂岩倉遺跡の銅鐸39個
日本・島根
紀元前100年〜紀元後550年頃
テオティワカンの建設と繁栄
最盛期に人口10万〜20万人を擁した古代アメリカ最大の都市。南北5kmの「死者の大通り」を軸に計画的に建設され、太陽のピラミッド(高さ65m、底辺225m)と月のピラミッドが中心を成す。多民族都市で、
メソアメリカ・メキシコ中央高原
紀元前100年〜紀元後500年頃
ホープウェル文化の繁栄
北アメリカ東部で広範に展開した先史文化で、巨大な幾何学的土塁(ニューアークの八角形土塁は面積約12万m²)と精巧な副葬品で知られる。銅製の装飾品、雲母の切り抜き、黒曜石の刃物、真珠、貝殻など広範な地域
北アメリカ・オハイオ
紀元前57年
新羅の建国
辰韓の六村の長が朴赫居世を推戴して徐羅伐(後の慶州)に建国したと『三国史記』は伝える。実際の国家形成は紀元後2-3世紀頃と考えられる。慶州を中心とした小国から出発し、骨品制という独自の身分制度を発展さ
朝鮮半島南東部・慶州
紀元前53年
カルラエの戦い
三頭政治の一角クラッススが率いるローマ軍約4万が、スレナス将軍率いるパルティア軍約1万の騎馬弓兵に壊滅的敗北を喫した。パルティア弓兵は「パルティアン・ショット」(後退しながらの射撃)でローマ軍を消耗さ
メソポタミア・カルラエ
紀元前51〜30年
クレオパトラ7世の治世
プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世は、卓越した知性と政治手腕でエジプトの独立を維持しようとした。カエサルとの同盟(カエサリオンを出産)、続いてマルクス・アントニウスとの同盟を結び、ローマの勢力
エジプト・アレクサンドリア
紀元前49年1月10日
カエサルのルビコン渡河
ガリア総督ユリウス・カエサルが第13軍団を率いてルビコン川を渡り、ローマに進軍を開始した。「賽は投げられた(alea iacta est)」の言葉を残したとされる。ポンペイウスと元老院派はローマを放棄
イタリア北部
紀元前44年3月15日
カエサルの暗殺
終身独裁官に就任したユリウス・カエサルが、マルクス・ブルトゥス、カッシウスら約60名の共和派元老院議員により暗殺された。カエサルは23箇所を刺され、ポンペイウスの像の足元で絶命したとされる。「ブルトゥ
イタリア・ローマ
紀元前37年
高句麗の建国
扶余国の王子・朱蒙(東明聖王)が南下して卒本(現在の中国遼寧省桓仁付近)に高句麗を建国したと伝えられる。建国初期は鴨緑江中流域の小国であったが、漸次周辺部族を征服して勢力を拡大。山城を中心とした独自の
満州南部・鴨緑江流域
紀元前37年〜前4年
ヘロデ大王の治世と第二神殿の拡張
ローマの後援で即位したヘロデ大王は、第二神殿を壮大に拡張・改築し、古代世界でも屈指の宗教建築に仕上げた。マサダ要塞、カエサリア港湾都市、ヘロディウム宮殿など大規模建築事業を推進。有能な統治者であったが
レヴァント・エルサレム
紀元前31年
アクティウムの海戦
オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)の艦隊が、マルクス・アントニウスとクレオパトラの連合艦隊をアクティウム沖で撃破。クレオパトラが旗艦とともに戦場を離脱し、アントニウスもこれを追った。この敗北により
ギリシャ・アクティウム
紀元前30年頃〜紀元220年頃
サータヴァーハナ朝とローマとの海上交易
デカン高原を支配したサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)は、ローマ帝国との活発な海上交易で繁栄した。香辛料、宝石、絹、象牙をローマに輸出し、金貨やワイン、ガラス器を輸入。『エリュトゥラー海案内記』に交易
南アジア・デカン高原
紀元前30年
ローマのエジプト属州化
クレオパトラとアントニウスの死後、オクタウィアヌスがエジプトをローマの属州として編入。ただし他の属州と異なり、皇帝の個人的領地として直轄統治され、元老院議員の入国すら禁じられた。エジプトの穀物はローマ
エジプト・アレクサンドリア
紀元前27年1月16日
アウグストゥスの元首政開始
オクタウィアヌスが元老院から「アウグストゥス」の称号を受け、事実上の帝政(プリンキパトゥス=元首政)を開始した。共和政の制度と名目を維持しながら、軍事指揮権(インペリウム)と護民官特権を集中して最高権
イタリア・ローマ
紀元前18年
百済の建国
高句麗の始祖・朱蒙の子・温祚が南下し、慰礼城(現在のソウル付近)を都として建国したと伝えられる。漢江流域を支配し、中国南朝および日本と活発に交流。仏教、五経博士、技術者を日本に伝えるなど、東アジア文化
朝鮮半島中西部・漢城(ソウル付近)
8年〜23年
王莽の新朝と赤眉の乱
外戚の王莽が前漢を簒奪して新朝を建国(8年)。周代の制度を復古する理想主義的な改革(土地国有化、奴婢売買の禁止、貨幣改鋳)を断行したがすべて失敗。社会の混乱の中で赤眉の乱(18年〜)・緑林の乱が勃発し
中国・長安
25年
光武帝の後漢建国
劉秀(光武帝)は前漢の宗室の末裔として挙兵し、各地の群雄を平定して25年に後漢を建国。洛陽を首都とし、柔和な統治で戦乱からの復興を図った。奴婢の解放、税の軽減、兵役の免除などの民政に力を入れ、「光武中
中国・洛陽
30年頃
イエス・キリストの磔刑
ナザレのイエスはガリラヤ地方で約3年間の宣教活動を行った後、エルサレムでローマ総督ポンティウス・ピラトゥスの命令により十字架刑に処された。弟子たちはイエスの復活を証言し、この信仰がキリスト教の核心的教
レヴァント・エルサレム
42年頃〜562年
伽耶諸国の成立と鉄生産
洛東江流域に金官伽耶(金海)を中心とする複数の小国連合が成立。特に良質な鉄の生産・交易で知られ、「国際市場」として機能した。『三国志魏志東夷伝』は弁韓の鉄が楽浪・帯方・倭にまで輸出されていたと記す。5
朝鮮半島南部・洛東江流域
45年頃〜67年頃
パウロの宣教旅行とキリスト教の地中海拡散
タルソス出身のユダヤ人パウロ(サウロ)はダマスカスへの途上で回心し、異邦人へのキリスト教宣教者となった。三度の宣教旅行でアナトリア、ギリシャ、ローマに教会を設立。割礼なしに異邦人がキリスト教徒になれる
アナトリア・タルソス
57年
奴国王が後漢より金印を受領
倭の奴国の使者が後漢の光武帝に朝貢し、「漢委奴国王」と刻まれた金印を賜った。『後漢書』東夷伝に記録される。1784年に志賀島で発見された金印がその実物とされ、日本と中国の最古の外交記録の物証。
日本・福岡
66年〜73年
ユダヤ戦争とマサダ陥落
ローマの重税と宗教弾圧に対するユダヤ人の大反乱。紀元70年にティトゥス率いるローマ軍がエルサレムを陥落させ、第二神殿を破壊した。最後の拠点マサダでは約960人の防衛者がローマ軍の包囲に約2年間抵抗し、
レヴァント・マサダ
73年〜102年
班超の西域経営
後漢の班超が西域都護として31年間にわたり中央アジアを経営。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の名言で知られる。匈奴の勢力を排除し、シルクロード交易を復活。部下の甘英をローマ帝国(大秦国)に派遣した。
中央アジア・西域
79年8月24日
ポンペイの埋没
ヴェスヴィオ火山の大噴火により、ポンペイ、ヘルクラネウム、スタビアエなどの都市が火山灰と火砕流に埋没した。ポンペイでは約2000人が死亡したと推定。大プリニウスが救助活動中に死亡し、甥の小プリニウスが
イタリア・カンパニア
79年8月24日
ヴェスヴィオ火山噴火とポンペイの埋没
79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が大噴火を起こし、約20時間にわたる噴火活動でポンペイ、ヘルクラネウム、スタビアエなどの都市が火山灰と火砕流に埋もれた。ポンペイには約6メートルの火山灰と軽石が堆積し
イタリア・カンパニア
80年
コロッセウムの完成
フラウィウス朝の皇帝ウェスパシアヌスが着工し、ティトゥスが完成させた巨大円形闘技場。正式名称はアンフィテアトルム・フラウィウム。長径188m、短径156m、高さ48mの4層構造で、約5万人を収容。剣闘
イタリア・ローマ
1世紀〜6世紀
扶南王国の繁栄
東南アジア最古のインド化した国家。メコンデルタを拠点に海上交易で繁栄。インドの航海者カウンディニャが蛇の王女ソーマと結婚して建国したとする建国伝説を持つ。オケオ遺跡からはローマの金貨、インドの仏像、中
カンボジア・メコンデルタ
100年
ティムガッドの建設
トラヤヌス帝の命により、退役軍人の植民都市として完全な碁盤目状都市計画に基づき建設された。カルド(南北大通り)とデクマヌス(東西大通り)が直交する典型的なローマ植民都市で、フォルム、劇場(3500人収
アルジェリア・ティムガッド
1〜7世紀
アクスム王国の繁栄
紅海交易を基盤としてエチオピア高原に繁栄した古代王国。巨大なオベリスク(ステラ、最大33m)を建造し、独自の文字(ゲエズ文字)と貨幣を持った。3世紀にはローマ、ペルシア、中国と並ぶ「世界の四大帝国」と
エチオピア・アクスム
100〜700年頃
モチェ文化の繁栄とシパン王墓
ペルー北海岸に栄えた先インカ文明で、精巧な金銀細工と写実的な肖像土器で知られる。太陽のワカ(高さ43m)と月のワカの大型ピラミッドを建設。1987年にランバイエケ谷のシパン遺跡で発見された王墓は「新大
南アメリカ・ペルー北海岸
105年
蔡倫の製紙法改良
105年、宦官の蔡倫が樹皮・麻くず・ぼろ布・古い魚網を原料とする製紙法を改良し、和帝に献上した。紙自体は前漢時代から存在したが、蔡倫の改良により品質が向上し、竹簡や絹に代わる安価な書写材料として広く普
中国・洛陽
127年頃〜150年頃
クシャーナ朝の繁栄とカニシカ王
大月氏の一派クシャーナ族が建てた帝国の最盛期を築いた王。領域は中央アジアからガンジス川中流域に及んだ。大乗仏教を保護し、第四回仏典結集を開催。ガンダーラ美術の黄金期を現出し、ヘレニズム・インド・中央ア
南アジア・中央アジア
132年
張衡の地動儀と天文学
後漢の科学者・張衡が世界初の地震計(候風地動儀)を発明。銅製の壺の外周に8匹の龍を配し、地震波の方向を検知した。また渾天儀(天球儀)を水力で駆動させ、円周率を約3.1622と計算した。
中国・洛陽
132年〜135年
バル・コクバの乱とユダヤ人のディアスポラ
シモン・バル・コクバが率いたローマ帝国に対する最後のユダヤ人大反乱。ハドリアヌス帝のエルサレムへのローマ植民市建設と割礼禁止令が直接の原因。約3年半にわたる激戦の末にローマ軍が鎮圧し、58万人のユダヤ
レヴァント・エルサレム
147年頃〜189年頃
倭国大乱
2世紀後半、倭国で大規模な内乱が発生。『魏志倭人伝』によれば「倭国乱れ、相攻伐すること歴年」と記される。男王の統治が破綻し、最終的に卑弥呼が共立されることで収束した。考古学的には高地性集落の増加や武器
日本・北部九州
166年・169年
党錮の禁と宦官専横
後漢末期、宦官と士大夫(儒学官僚)の対立が激化。166年と169年の二度にわたり、宦官が「党人」と認定した士大夫を投獄・禁錮(公職追放)した。李膺・陳蕃ら「清流」の士大夫が犠牲となった。
中国・洛陽
184年
黄巾の乱
184年、張角が率いる太平道の信者が「蒼天已に死す、黄天当に立つべし」のスローガンのもと大規模反乱を起こした。黄色い頭巾を目印としたため黄巾の乱と呼ばれる。全国36の方から数十万人が一斉蜂起。朝廷は各
中国・華北
189年頃〜248年頃
邪馬台国と卑弥呼の共立
倭国大乱後、30余国の連合体である邪馬台国の女王として卑弥呼が共立された。『魏志倭人伝』によれば鬼道(シャーマニズム)を用い、弟が政治を補佐。239年に魏に使者を送り「親魏倭王」の称号と金印紫綬を受け
日本・九州または畿内
192年〜1471年
チャンパ王国とミーソン聖域の建設
オーストロネシア語族のチャム人が建設した海洋王国。ヒンドゥー教シヴァ派を信仰し、中国・インド間の海上交易で繁栄。ミーソン聖域は4世紀から13世紀にかけて建設されたヒンドゥー教寺院群で、1999年にユネ
ベトナム中部
193〜211年
レプティス・マグナの繁栄
フェニキア人が建設した植民都市がローマ期に大発展。特にこの地出身のセプティミウス・セウェルス帝(在位193-211年)の時代に大規模な建設事業が行われ、壮大なフォルム、バシリカ、凱旋門、劇場、浴場が建
リビア・レプティス・マグナ
3世紀前半〜4世紀中頃
纒向遺跡の大規模建物群造営
3世紀前半に突如出現した大規模集落遺跡。東西約2キロ、南北約1.5キロに及ぶ。大型建物群、運河状の大溝、各地の土器(東海・山陰・北陸・九州)が出土し、列島各地から人々が集まった政治的中心地であった。箸
日本・奈良
200〜869年頃
ティカルの古典期マヤ繁栄
古典期マヤ最大の都市国家の一つ。最盛期の人口は推定6万〜10万人。神殿ピラミッド群は最高70m(第4号神殿)に達し、ジャングルの樹冠を超えてそびえる。「シヤフ・カアン」(偉大なるジャガーの爪)王朝をは
メソアメリカ・グアテマラ
208年
赤壁の戦い
208年、曹操の南征軍約20万(自称80万)に対し、孫権と劉備の連合軍約5万が長江の赤壁で迎え撃った。周瑜の指揮のもと、黄蓋の偽降計と火攻めにより曹操の水軍は壊滅的打撃を受け、曹操は北方に撤退した。こ
中国・湖北省
220年
曹丕の魏建国
曹操の死後、子の曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け、魏を建国。屯田制による農業生産の安定化、九品中正法による官吏登用制度を整備した。華北の政治・経済的中心として約45年間存続。
中国・洛陽
221年
劉備の蜀漢建国
劉備が漢の正統を継承すると称して蜀漢を建国。丞相諸葛亮の補佐のもと内政を整え、魏への北伐を繰り返した。しかし荊州を失い、夷陵の戦いで大敗。263年に魏の鄧艾・鍾会により滅亡。
中国・成都
222年
夷陵の戦い
関羽の仇討ちを名目に劉備が呉に大軍を率いて侵攻。呉の陸遜は持久戦に徹し、蜀軍が疲弊したところで火攻めを敢行。蜀軍は壊滅的敗北を喫し、劉備は白帝城に退いて翌年病没した。
中国・湖北省宜昌
224年〜651年
ササン朝ペルシャの建国
アルダシール1世がパルティア最後の王アルタバノス4世をホルムズドガーンの戦い(224年)で破り、ササン朝を建国した。ゾロアスター教を国教とし、中央集権的な行政制度を確立。クテシフォンを首都とし、ローマ
ペルシャ・イスタフル
228年〜234年
諸葛亮の北伐と五丈原
諸葛亮は5度にわたり魏への北伐を実行。街亭の戦いでの馬謖の敗北、木牛流馬による補給改善など試みたが、司馬懿の持久戦術に阻まれた。234年、五丈原で陣中に病没。享年54歳。
中国・陝西省宝鶏
229年
孫権の呉建国
孫権が229年に正式に皇帝を称し、建業を都に呉を建国。父孫堅・兄孫策から受け継いだ江東の地盤を基盤とし、長江水軍を最大の軍事力とした。海上交易や山越の開発にも力を注いだ。
中国・建業(南京)
3世紀後半
箸墓古墳の築造
最古級の大型前方後円墳の一つ。全長約280メートルで、前方後円墳の完成形を示す。『日本書紀』では倭迹迹日百襲姫命の墓とされるが、卑弥呼の墓とする説も有力。周濠から出土した土器の年代は3世紀後半を示す。
日本・奈良
260年
シャープール1世によるローマ皇帝ウァレリアヌスの捕虜
ササン朝のシャープール1世はエデッサの戦いでローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜にするという前代未聞の勝利を収めた。約7万人のローマ兵が捕虜となり、ペルシャ国内のインフラ建設に使役された。ナクシェ・ロスタム
メソポタミア・エデッサ
265年
司馬炎の西晋建国
司馬懿の孫・司馬炎が魏の元帝から禅譲を受けて晋(西晋)を建国。280年に呉を滅ぼして約100年ぶりに中国を統一した。しかし一族への分封策が八王の乱を招く原因となった。
中国・洛陽
291年〜306年
八王の乱
西晋の皇族である八人の王が皇帝位をめぐって争った大規模内乱。賈后の専横に端を発し、趙王倫の簒奪を経て各王が次々に兵を挙げた。15年間の戦乱で華北は荒廃し、異民族の傭兵が力を持つようになった。
中国・洛陽を中心に各地
4世紀〜6世紀
古代製鉄技術の導入
古墳時代中期以降、朝鮮半島からの技術導入により日本列島での製鉄が始まった。初期は鍛冶(輸入鉄素材の加工)が中心であったが、6世紀頃には砂鉄を原料とするたたら製鉄が開始。鉄製農具・武器の国内生産が可能と
日本・各地
4世紀〜5世紀
吉備王権の形成と造山古墳
古墳時代、吉備地域は大和に次ぐ有力な政治勢力を形成した。造山古墳(全長350メートル)は全国第4位の規模で、天皇陵に匹敵する。吉備は独自の特殊器台・埴輪を持ち、ヤマト王権の前方後円墳体制にも影響を与え
日本・岡山
4世紀〜6世紀
毛野王権の形成
古墳時代、上毛野(群馬県)には東日本最大級の古墳群が築造された。太田天神山古墳(全長210メートル)は東日本最大の前方後円墳。埴輪の生産・分配でも中心的役割を果たし、東国における最有力勢力であった。
日本・群馬
4世紀〜10世紀頃
ソグド人の交易ネットワーク
イラン系のソグド人はシルクロード交易の最も重要な担い手であった。サマルカンド、ブハラ、ペンジケントを拠点に、絹・ガラス・金属製品・香料を扱う広域交易ネットワークを構築。ソグド語はシルクロードの国際語と
中央アジア・ソグディアナ
3〜16世紀
トランスサハラ交易路の発展
3世紀頃のラクダの北アフリカ導入以降、サハラ砂漠を横断する定期的な商業ルートが確立された。北からは塩、馬、布、銅、書籍が、南からは金、象牙、奴隷、コーラの実が運ばれた。最盛期には年間数千頭のラクダが隊
サハラ砂漠全域
300〜1000年頃
ティワナク帝国の繁栄
チチカカ湖畔に栄えた高地文明で、最盛期には40万人以上の人口を擁したと推定される。アカパナのピラミッド、カラササヤの神殿、太陽の門(精巧な浮彫りを持つ石造門)が代表的建造物。巨石建築の精密な石組みは後
南アメリカ・ボリビア
311年
永嘉の乱と西晋滅亡
匈奴の劉聡率いる前趙軍が洛陽を攻略し、懐帝を捕虜とした(永嘉の乱)。316年には長安も陥落して愍帝も捕えられ、西晋は完全に滅亡。華北は異民族支配下に入った。
中国・洛陽
313年
コンスタンティヌスのミラノ勅令
コンスタンティヌス帝とリキニウス帝がミラノで会見し、帝国内の全宗教に信仰の自由を保障する勅令を発布。キリスト教迫害の終結を宣言し、没収されたキリスト教会の財産返還を命じた。これによりキリスト教は合法的
イタリア・ミラノ
317年
東晋の建国
西晋の皇族・司馬睿が建康に遷り東晋を建国。王導・王敦ら琅琊王氏を中心とした門閥貴族の支持を受けた。「王と馬、天下を共にす」と評される貴族合議体制で約100年間存続。
中国・建康(南京)
320年〜550年頃
グプタ朝の黄金時代
チャンドラグプタ1世が建国し、サムドラグプタ・チャンドラグプタ2世の時代に最盛期を迎えた。古典サンスクリット文学(カーリダーサの『シャクンタラー』『メーガドゥータ』)、数学(アーリヤバタのゼロの概念と
南アジア・北インド
325年
ニケーア公会議とキリスト教教義の確定
コンスタンティヌス1世が召集した最初の全地公会議で、約300人の主教が参加。アリウス派(キリストは被造物)対アタナシウス派(キリストは神と同質)の論争を裁定し、ニケーア信条を採択してキリストの神性を確
アナトリア・ニケーア
325年
ニカイア公会議
コンスタンティヌス帝が召集した最初のキリスト教全地公会議。約300名の主教が参加し、アリウス派の教義(キリストは神に創造された被造物とする説)を異端として排斥。ニカイア信条を採択し、キリストが「父と同
アナトリア・ビテュニア
330年頃
アクスム王国のキリスト教受容
アクスム王エザナがキリスト教に改宗し、国教とした。ティルスのフルメンティウスがアクスムに渡来しエザナ王を改宗させ、アレクサンドリア総主教により初代エチオピア大主教に任命された。これによりエチオピアは世
エチオピア・アクスム
4世紀〜現在
エチオピア正教の独自的発展
エチオピア正教テワヒド教会は4世紀のエザナ王の改宗以来、約1700年の歴史を持つアフリカ最古のキリスト教会。カルケドン公会議(451年)後に単性論教会として独自の発展を遂げた。契約の箱(アーク)がアク
エチオピア全域
4世紀後半〜6世紀
古市古墳群の形成
応神天皇陵(誉田御廟山古墳、全長425メートル)を中心とする大古墳群。前方後円墳・円墳・方墳など計130基以上が築造された。百舌鳥古墳群と並ぶ古墳時代中後期の王墓群。2019年に世界文化遺産に登録。
日本・大阪
4世紀〜7世紀
高句麗壁画古墳群
高句麗の貴族墓に描かれた壁画群。四神図(青龍・白虎・朱雀・玄武)、狩猟図、生活風俗図、飛天図など多様な主題を含む。江西大墓の四神図は東アジア壁画芸術の最高傑作とされる。集安と平壌に約100基が確認され
高句麗・国内城〜平壌
353年
書聖・王羲之と六朝文化
東晋の王羲之が永和9年(353年)の蘭亭の宴で『蘭亭序』を書いた。「天下第一行書」と称される書の最高傑作。行書の完成者であり、後世「書聖」と尊称される。原本は唐太宗が殉葬したとされ現存しない。
中国・会稽(紹興)
366年〜10世紀頃
敦煌莫高窟の造営
紀元366年に僧侶楽僔が最初の石窟を開削して以来、約1000年間にわたり造営が続けられた仏教石窟寺院群。約500の石窟に45,000平方メートルの壁画と2,415体の彩色塑像が残る。1900年に道士王
中央アジア・河西回廊
369年(泰和四年)
七支刀の製作と贈呈
石上神宮に伝わる六枝の刃を持つ特異な鉄刀。61文字の金象嵌銘文があり、百済王が倭王に贈ったものとされる。「泰和四年」の紀年銘は369年を指すと解釈される。4世紀の日朝関係を示す最重要の物証。国宝。
日本・奈良
383年
淝水の戦い
前秦の苻堅が80万と号する大軍で東晋に南征したが、謝安・謝玄率いる東晋の北府兵8万に淝水で大敗。苻堅軍は「風声鶴唳、草木皆兵」のパニックに陥り壊走。中国史上最大級の逆転劇。
中国・安徽省寿県
391年〜413年
広開土大王の征服事業
高句麗第19代王・広開土大王(好太王)は在位中に64城1400村を征服したと碑文に記される。後燕を破って遼東を確保し、南方では百済を攻撃して漢江以北を奪取。新羅の要請に応じて倭軍を撃退した。息子の長寿
高句麗・満州〜朝鮮半島
395〜430年
聖アウグスティヌスの活動(ヒッポ司教)
北アフリカのタガステ出身のアウグスティヌスは、マニ教を経てキリスト教に改宗し、395年にヒッポの司教に就任。『告白』『神の国』『三位一体論』などの著作で西方キリスト教神学の基礎を築いた。430年、ヴァ
アルジェリア・ヒッポ・レギウス
395年
ローマ帝国の東西分裂
テオドシウス1世の死により、長男アルカディウスが東を、次男ホノリウスが西を統治する体制が確立した。これ以前にもディオクレティアヌスの四帝統治など分割統治は行われたが、395年以降は事実上恒久的な分裂と
ローマ帝国全域
399年〜412年
法顕のインド求法旅行
東晋の僧・法顕が65歳で長安を出発し、西域経由でインドに到達。仏跡を巡礼し戒律の原典を収集。帰国後『仏国記(法顕伝)』を著し、5世紀初頭の中央アジア・インドの詳細な地誌を残した。
中国〜インド〜スリランカ
5世紀前半〜中頃
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の築造
全長約486メートル、日本最大の前方後円墳。周濠を含めた総面積は約47万平方メートルでエジプトのクフ王のピラミッドや秦始皇帝陵に匹敵する世界最大級の墓。築造には延べ680万人の労働力と約16年を要した
日本・大阪
5世紀〜6世紀
渡来人による技術移転(須恵器・機織り)
5世紀以降、朝鮮半島から渡来した技術者集団が日本に先進技術を伝えた。須恵器(高温焼成の灰色硬質土器)の生産技術、絹織物の機織り技術、鍛冶・鋳造技術、文字(漢字)の使用、仏教建築技術などが移転された。
日本・大阪〜奈良
5世紀〜6世紀
秦氏による太秦開発
朝鮮半島から渡来した秦氏が山城国を中心に大規模な開発を行った。養蚕・機織り技術に優れ、「秦」の名は機織り(はた)に由来するとも。広隆寺を氏寺として建立し、弥勒菩薩半跏思惟像(国宝第一号)を安置。
日本・京都
5世紀〜7世紀
装飾古墳の文化
石室内壁に赤・青・白・黒・黄の顔料で幾何学文様や具象画(人物・馬・船・鳥など)を描いた古墳群。全国約660基の装飾古墳のうち約200基が熊本県に集中。チブサン古墳・鍋田横穴群などが代表的。死後の世界観
日本・熊本
5世紀〜6世紀
慶州の古墳群(天馬塚・大陵苑)
慶州市内に約200基以上が現存する新羅王族・貴族の古墳群。天馬塚(1973年発掘)からは天馬図を描いた馬鞍垂飾、金冠、金帯などが出土。皇南大塚(双円墳)からは約3万点の遺物が出土した。金冠は新羅独自の
新羅・慶州
5世紀頃
カーリダーサの文学活動
サンスクリット文学最大の詩人・劇作家。戯曲『シャクンタラー(アビジュニャーナ・シャークンタラム)』は世界文学の傑作とされ、ゲーテが絶賛した。叙情詩『メーガドゥータ(雲の使い)』は恋人への思いを雲に託す
南アジア・北インド
402年頃
デリーの鉄柱
グプタ朝のチャンドラグプタ2世の時代に制作されたとされる高さ約7m、重さ約6トンの鍛鉄製の柱。1600年以上にわたりほとんど錆びていないことで世界的に有名。鉄中のリン含有量が高く、表面に保護膜(ミサワ
南アジア・デリー
405年頃
陶淵明と田園詩
東晋末〜宋初の詩人・陶淵明(陶潜)が「帰去来兮辞」で官界からの離脱を宣言。「桃花源記」で理想郷を描き、「飲酒」「帰園田居」など田園生活の詩を多数残した。
中国・江西省九江
410年8月24日
アラリック1世のローマ略奪
西ゴート王アラリック1世がローマを3日間略奪した。紀元前390年のガリア人の侵入以来、約800年ぶりの「永遠の都」の陥落。教会と聖域への攻撃は比較的制限されたが、宮殿や富裕層の邸宅は徹底的に略奪された
イタリア・ローマ
421年〜478年
倭の五王の中国南朝への遣使
讃・珍・済・興・武の倭の五王が、中国南朝の宋に相次いで朝貢し、将軍号や都督の称号を求めた。特に倭王武(雄略天皇に比定)は478年の上表文で、先祖の東西征服の歴史を述べ、高句麗への対抗のため軍事的称号を
日本
426〜822年
コパン王朝の繁栄
マヤ南東部の主要都市国家で、碑文階段(63段、2200以上のマヤ文字ブロック)はマヤ文字の最長碑文。初代王ヤシュ・クック・モが426年にテオティワカンの権威を借りて王朝を樹立し、16代にわたる王朝が続
メソアメリカ・ホンジュラス
427年
長寿王の平壌遷都
高句麗第20代王・長寿王が国内城(現在の中国吉林省集安)から平壌に都を移した。これは高句麗の国家戦略が満州から朝鮮半島に重心を移したことを示す。長寿王は在位79年(413-491年)と朝鮮史上最長在位
高句麗・平壌
5世紀〜1193年
ナーランダー大学の隆盛
グプタ朝のクマーラグプタ1世が設立したとされる世界最古級の大学の一つ。最盛期には1万人以上の学生と2千人以上の教師を擁し、仏教学のみならず論理学・文法学・医学・天文学を教授した。玄奘や義浄など中国僧が
南アジア・ビハール
429〜534年
ヴァンダル王国の北アフリカ支配
ゲルマン系のヴァンダル族がガイセリック王の指導下でイベリア半島から北アフリカに渡海し、約8万人が移住。439年にカルタゴを占領して王国の首都とした。強力な海軍を構築し、455年にはローマを略奪した。ア
チュニジア・カルタゴ
460年頃〜
雲岡石窟の開鑿
北魏の文成帝の命を受けた僧・曇曜が武周山の断崖に石窟寺院の造営を開始。曇曜五窟と呼ばれる初期窟には北魏5代の皇帝を模した大仏が安置された。全53窟、5万1千体以上の仏像を有する。
中国・山西省大同
471年(辛亥年)
稲荷山古墳鉄剣の銘文
1978年、稲荷山古墳から出土した鉄剣のX線調査で115文字の金象嵌銘文が発見された。「辛亥年」(471年)の紀年銘と「獲加多支鹵大王」(ワカタケル大王=雄略天皇)への奉仕を記す。東国豪族がヤマト大王
日本・埼玉
5世紀後半
江田船山古墳鉄刀銘
江田船山古墳から出土した大刀に75文字の銀象嵌銘文が刻まれている。「獲□□□鹵大王」の文字があり、稲荷山古墳鉄剣と同じ雄略天皇に関わる銘文と推定される。九州の豪族もヤマト大王に仕えていたことを示す。
日本・熊本