現代(1945年〜)の歴史
268件の歴史的出来事
1945年2月〜3月
硫黄島の戦い
1945年2月19日から3月26日にかけて、米海兵隊約7万名と栗林忠道指揮下の日本軍約2万1千名が激突。栗林は従来の水際撃滅戦術を廃し、地下陣地からの持久戦を展開。米軍は36日間の激戦で約7千名の戦死
日本・小笠原諸島
1945年3月〜6月
沖縄戦
1945年3月26日から6月23日にかけて、沖縄本島を中心に日米両軍が激突した太平洋戦争最大の地上戦。牛島満中将率いる第32軍約10万名に対し、米軍は約18万名が上陸。日本軍は首里防衛線で持久戦を展開
日本・沖縄
1945年3月10日
東京大空襲
1945年3月10日未明、B-29爆撃機約300機が東京下町に約1,700トンの焼夷弾を投下。カーティス・ルメイ少将の指揮のもと、従来の高高度精密爆撃から低高度夜間焼夷弾攻撃に転換した最初の大規模作戦
日本・東京
1945年8月6日
広島への原子爆弾投下
1945年8月6日午前8時15分、B-29「エノラ・ゲイ」がウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を投下。爆心地上空約600mで炸裂し、TNT換算約15キロトンの威力で市街地を壊滅させた。1945年末までに
日本・広島
1945年8月9日
長崎への原子爆弾投下
1945年8月9日午前11時2分、B-29「ボックスカー」がプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」を投下。本来の目標は小倉であったが視界不良のため長崎に変更された。TNT換算約22キロトンの威力で浦上
日本・長崎
1945年8月15日
ポツダム宣言受諾・終戦
1945年8月14日の御前会議で昭和天皇が「聖断」を下し、ポツダム宣言受諾を決定。8月15日正午、天皇の録音による終戦の詔書(玉音放送)がラジオで放送された。「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」の一節は日
日本・東京
1945年8月17日
インドネシア独立宣言
スカルノとハッタが日本の降伏の2日後にインドネシアの独立を宣言。しかしオランダは独立を認めず、4年間にわたる独立戦争(1945-1949年)が展開された。国連の仲介とアメリカの圧力により、1949年1
インドネシア・ジャカルタ
1945年9月2日
ホーチミンの独立宣言
ホーチミンがハノイのバーディン広場で「すべての人間は生まれながらにして平等である」とアメリカ独立宣言を引用して開始するベトナム民主共和国の独立宣言を読み上げた。しかしフランスが再植民地化を企図し、第一
ベトナム・ハノイ
1945年4-5月
ベルリンの戦い
ジューコフとコーネフの率いるソ連軍約250万人がベルリンに総攻撃を開始。ゼーロウ高地での激戦を経て市内に突入し、建物ごとの市街戦を展開した。4月30日にヒトラーが総統地下壕で自殺し、5月2日にベルリン
ドイツ・ベルリン
1945年2月13-15日
ドレスデン爆撃
英米空軍が文化都市ドレスデンに対して3回にわたる大規模な焼夷弾爆撃を実施。火災旋風が発生し、市中心部は壊滅した。死者数は約2万5千人と推定される(かつては膨大に誇張されていた)。「エルベのフィレンツェ
ドイツ・ドレスデン
1945-1946年
ニュルンベルク裁判
連合国による国際軍事法廷がナチス指導者22名を裁いた史上初の国際戦犯裁判。ゲーリング、リッベントロップ、カイテルら12名に死刑、ヘス、シュペーアらに禁固刑が宣告された。「平和に対する罪」「人道に対する
ドイツ・ニュルンベルク
1945年
国際連合の設立
1945年6月26日、サンフランシスコ会議で51カ国が国連憲章に署名し、同年10月24日に正式発足した。安全保障理事会は米・英・仏・ソ・中の5常任理事国に拒否権を付与し、国際平和維持の中核機関と位置づ
アメリカ・ニューヨーク
1946年11月3日
日本国憲法公布
1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行された日本国憲法は、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を三大原則とする。GHQ民政局のケーディス大佐らが起草した草案をもとに、日本側が修正を加えた
日本・東京
1946年〜1948年
東京裁判(極東国際軍事裁判)
1946年5月3日から1948年11月12日まで、A級戦犯28名が「平和に対する罪」「人道に対する罪」「通常の戦争犯罪」で起訴された。東条英機元首相ら7名に死刑、16名に終身禁固刑が言い渡された。イン
日本・東京
1947年〜1948年
アウンサンとビルマの独立
「ビルマ独立の父」アウンサン将軍が日本軍の訓練を受けた「三十人の志士」を率いて独立運動を展開。日本の敗戦後はイギリスと交渉し、1947年のパンロン協定で少数民族との連邦構想をまとめた。しかし1947年
ミャンマー・ヤンゴン
1947年8月14-15日
インド・パキスタンの分離独立
マウントバッテン総督のもとでインドとパキスタンが分離独立。パキスタンが8月14日、インドが8月15日に独立を宣言。ネルーの「真夜中の約束との出会い」演説。しかし分離に伴い推定100万〜200万人が宗教
南アジア全域
1947年〜1948年
第一次印パ戦争(カシミール紛争)
パキスタンから支援を受けたパシュトゥーン部族兵がカシミールに侵入。カシミール藩王ハリ・シンがインドへの帰属を決定し、インド軍が空輸で介入。シュリーナガル空港の確保が戦争の帰趨を決した。1949年の停戦
南アジア・カシミール
1947年8月14日
パキスタンの建国とその後の軍政
ムハンマド・アリー・ジンナーが「ムスリムの祖国」としてパキスタンを建国。ジンナーは初代総督に就任したが翌年死去。その後の政治的不安定から軍のクーデターが頻発。アユーブ・カーン(1958年)、ヤヒヤ・カ
南アジア・パキスタン
1948年〜1949年
国共内戦・三大戦役
1948年9月から49年1月にかけて遼瀋・淮海・平津の三大戦役が行われ、国民党軍は150万以上の兵力を失った。林彪の東北野戦軍、劉伯承・鄧小平の中原野戦軍が主力。渡江戦役で南京を攻略し、国民党は台湾に
中国・東北〜華北〜華東
1948年8月15日
大韓民国の建国
国連監視下の総選挙(1948年5月10日)を経て、李承晩を初代大統領とする大韓民国が建国された。9月9日には北朝鮮で金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国が成立。朝鮮半島の南北分断が国家として固定化
韓国・ソウル
1948年9月9日
金日成と北朝鮮の建国
ソ連の支援の下、金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国が建国された。ソ連軍政(1945-48年)下で土地改革、主要産業の国有化が実施され、社会主義体制の基盤が整えられた。金日成は抗日パルチザン活動の
北朝鮮・平壌
1948年〜1954年
済州4・3事件
南朝鮮単独選挙に反対する武装蜂起をきっかけに、軍・警察による大規模な鎮圧作戦が展開された。済州島民の約10分の1にあたる2万5千〜3万人が犠牲になったと推定される。中山間部の村落が焼き払われ、住民が集
韓国・済州島
1948年1月30日
ガンジー暗殺
マハトマ・ガンジーがヒンドゥー至上主義者ナトゥラーム・ゴードセーにより射殺された。78歳。ゴードセーはガンジーがムスリムに対して融和的すぎると考え犯行に及んだ。ネルー首相はラジオで「私たちの生活から光
南アジア・ニューデリー
1948年〜1949年
イスラエル独立宣言と第一次中東戦争
1948年5月14日、ダヴィド・ベングリオンがイスラエル国の独立を宣言。翌日、エジプト・ヨルダン・シリア・イラク・レバノンのアラブ連合軍が侵攻し第一次中東戦争が勃発。イスラエルは国連分割案より広い領域
パレスチナ・テルアビブ
1948年
南アフリカのアパルトヘイト制度の成立
1948年の総選挙で国民党(アフリカーナー)が勝利し、アパルトヘイト(「分離」の意)政策を法制化。人口登録法、集団地域法、パス法、混血禁止法、不道徳法などにより、人種間の分離が徹底された。国民の約80
南アフリカ・プレトリア
1948-1949年
ベルリン封鎖と空輸作戦
ソ連が西ベルリンへの陸上・水上交通を全面封鎖。アメリカとイギリスは約11ヶ月にわたり航空機で食料・燃料・物資を空輸する「ベルリン空輸」を実施。約27万回の飛行で約230万トンの物資を輸送した。最盛期に
ドイツ・ベルリン
1948-1952年
マーシャル・プラン
アメリカ国務長官ジョージ・マーシャルが1947年6月にハーヴァード大学の演説で提唱したヨーロッパ経済復興計画。1948年から1952年までに約130億ドル(現在の約1,500億ドル相当)が16カ国に提
西ヨーロッパ全域
1948-1965年頃
西ドイツの経済の奇跡(ヴィルトシャフツヴンダー)
ルートヴィヒ・エアハルト経済相(後に首相)の社会的市場経済政策のもと、西ドイツは廃墟から驚異的な経済復興を遂げた。通貨改革(1948年)、マーシャル・プラン、朝鮮戦争特需を基盤に、年平均8%の経済成長
西ドイツ全域
1948年
世界人権宣言の採択
1948年12月10日、国連総会で世界人権宣言が採択された。エレノア・ルーズヴェルト(フランクリン・ルーズヴェルトの夫人)が起草委員長を務め、フランスのルネ・カサン、レバノンのシャルル・マリク、中国の
フランス・パリ
1949年
湯川秀樹ノーベル物理学賞受賞
1949年、湯川秀樹が中間子の存在を理論的に予言した功績でノーベル物理学賞を受賞。日本人として初のノーベル賞であった。1935年に発表した中間子理論は、原子核内で陽子と中性子を結びつける核力を媒介する
日本・京都
1949年10月1日
中華人民共和国の建国
国共内戦に勝利した毛沢東が天安門楼上から「中華人民共和国中央人民政府は本日成立した」と宣言。社会主義国家として建国。蒋介石の国民政府は台湾に撤退。土地改革、反右派闘争、社会主義改造を推進。
中国・北京
1949年〜1989年
セミパラチンスク核実験場
ソ連が1949年8月29日に最初の核実験を行った場所。1989年の閉鎖までに456回の核実験(うち116回は地上・大気圏内)が実施された。周辺住民約150万人が放射能に被曝し、癌・先天性異常の発生率が
中央アジア・カザフスタン
1949年4月4日
NATO設立
アメリカ、カナダ、イギリス、フランスなど12カ国が北大西洋条約に署名し、集団防衛機構NATOが設立された。第5条の集団的自衛権(一国への攻撃は全加盟国への攻撃とみなす)が核心であった。初代事務総長イス
アメリカ・ワシントンD.C.
1949年
NATO(北大西洋条約機構)の設立
1949年4月4日、アメリカ、カナダ、イギリス、フランスなど12カ国がワシントンで北大西洋条約に署名し、NATOが発足した。第5条の集団的自衛権条項が核心であり、一国への攻撃を全加盟国への攻撃とみなす
ヨーロッパ・北大西洋地域
1949年
ジュネーヴ諸条約の採択
1949年8月12日、第二次世界大戦の惨禍を受けて4つのジュネーヴ条約が採択された。第1条約(陸の傷病者保護)、第2条約(海の傷病者保護)、第3条約(捕虜の待遇)、第4条約(文民の保護)からなり、武力
スイス・ジュネーヴ
1950年〜1953年
朝鮮戦争特需
1950年6月の朝鮮戦争勃発により、米軍は日本を兵站基地として大量の物資を調達した。繊維・金属・機械など幅広い産業に特需が発生し、1950年から1953年までの特需総額は約10億ドルに達した。「もはや
日本
1950年〜1953年
朝鮮戦争参戦(抗美援朝)
1950年10月、彭徳懐率いる中国人民志願軍約30万が「抗美援朝」(アメリカに抵抗し朝鮮を援助)の名目で参戦。国連軍を38度線以南に押し返した。毛沢東の長男・毛岸英も戦死。約3年の戦闘で推定死者18万
朝鮮半島
1950年〜1953年
朝鮮戦争と仁川上陸作戦
1950年6月25日、北朝鮮が38度線を越えて韓国に全面侵攻。国連軍(米国主導)が参戦し、マッカーサーの仁川上陸作戦(9月15日)で戦況を逆転。しかし中国人民義勇軍の参戦で戦線は膠着し、1953年7月
朝鮮半島全域
1951年9月8日
サンフランシスコ講和条約・日米安保条約
1951年9月8日、吉田茂首相が48カ国とサンフランシスコ講和条約に調印し、1952年4月28日に発効して日本は主権を回復した。同日、日米安全保障条約も調印され、米軍の日本駐留が継続された。ソ連・中国
アメリカ・サンフランシスコ
1951年〜1953年
モサッデグの石油国有化とCIAクーデター
民族主義者モハンマド・モサッデグ首相がアングロ・イラニアン石油会社(現BP)を国有化。イギリスの経済封鎖とCIA・MI6のアジャックス作戦により1953年8月にクーデターが実行され、モサッデグは失脚。
イラン・テヘラン
1952年
エジプト1952年革命(自由将校団のクーデター)
ガマール・アブドゥル・ナセルを実質的指導者とする自由将校団がクーデターを起こし、国王ファルーク1世を追放。ムハンマド・アリー朝を廃止して共和制を宣言。土地改革、工業化、外国軍の撤退を推進し、1956年
エジプト・カイロ
1952〜1960年
マウマウ団の蜂起(ケニア)
ケニアのキクユ族を中心とする武装蜂起。イギリス植民地政府に対し土地の返還と独立を求めた。イギリスは非常事態を宣言し、約8万人のキクユ人を強制収容所に収容。推定2万人以上のケニア人が死亡。デダン・キマシ
ケニア・ナイロビ〜中央高原
1952年12月
ロンドンスモッグ(大スモッグ事件)
1952年12月5日から9日にかけて、ロンドンを異常な高濃度のスモッグが覆った。逆転層の形成と無風状態が重なり、工場や家庭で燃焼される低品質石炭からの亜硫酸ガスと煤煙が地上に滞留した。視界は数メートル
イギリス・ロンドン
1953年
DNAの二重螺旋構造の発見
ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが、ロザリンド・フランクリンのX線回折写真(写真51番)のデータを基に、DNAの二重螺旋構造を解明。二本のポリヌクレオチド鎖が相補的な塩基対で結合して螺旋を形
イギリス・ケンブリッジ
1954年
ディエンビエンフーの戦い
ベトミン軍が55日間の包囲戦でフランス軍要塞を陥落させた。ザップ将軍の指揮下、5万のベトミン軍が1万6千のフランス軍を包囲。トンネル掘削と塹壕戦でフランスの航空優勢を無力化した。フランス軍約1万人が降
ベトナム北西部・ディエンビエンフー
1954〜1962年
アルジェリア独立戦争
アルジェリア民族解放戦線(FLN)がフランスからの独立を目指して武装蜂起。8年間の血みどろの戦争で、アルジェリア側の死者は約150万人とされる。フランス軍は拷問を含む残虐な鎮圧を行い、「アルジェの戦い
アルジェリア・アルジェ
1954年
グアテマラ・クーデター(PBSuccess作戦)
1954年6月、CIAが計画・支援した「PBSuccess作戦」により、民主的に選出されたハコボ・アルベンス大統領が打倒された。アルベンスは土地改革法(Decreto 900)を制定し、ユナイテッド・
中米・グアテマラ
1955年〜1975年
ベトナム戦争(テト攻勢)
北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が、アメリカの支援を受けた南ベトナム政府と戦った冷戦期最大の紛争。米軍は最大54万人を投入したが勝利できず。1968年のテト攻勢はアメリカの世論を反戦に転
ベトナム全土
1955年
バンドン会議(アジア・アフリカ会議)
1955年4月18-24日、29のアジア・アフリカ諸国の代表がインドネシアのバンドンに集結し、反植民地主義・反帝国主義を掲げた初の大規模な第三世界会議を開催した。インドのネルー、エジプトのナセル、イン
インドネシア・バンドン
1955〜1956年
モンゴメリー・バスボイコット
1955年12月1日、ローザ・パークスがバスで白人に席を譲ることを拒否して逮捕された。これを契機に約4万人のアフリカ系住民が381日間にわたりバスのボイコットを実施。26歳の若き牧師マーティン・ルーサ
北アメリカ・アラバマ
1955〜1991年
ワルシャワ条約機構の設立
1955年5月14日、ソ連と東欧7カ国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア)がワルシャワ条約に調印。NATOに対抗する東側の集団安全保障体制として
東ヨーロッパ・ワルシャワ
1956年5月1日
水俣病の公式確認
1956年5月1日、水俣市の病院が「原因不明の中枢神経疾患」を保健所に報告し、水俣病が公式に確認された。チッソ水俣工場が排出したメチル水銀が食物連鎖で濃縮され、魚介類を摂取した住民に深刻な神経障害を引
日本・熊本県水俣
1956年
スエズ危機(第二次中東戦争)
ナセルがスエズ運河を国有化したことに対し、イギリス・フランス・イスラエルが秘密協定(セーヴル議定書)を結び軍事介入。イスラエルがシナイ半島に侵攻し、英仏がスエズ運河地帯に上陸した。しかしアメリカとソ連
エジプト・スエズ
1956年
チュニジア独立
ハビーブ・ブルギーバ率いる新立憲党(ネオ・デストゥール)が主導した独立運動により、チュニジアがフランス保護領から独立。ブルギーバは初代大統領となり、世俗主義的近代化政策を推進。個人身分法の改革により一
チュニジア・チュニス
1956年
モロッコ独立
スルタン・ムハンマド5世がフランスからの独立を指導。1953年にフランスがムハンマド5世を廃位・追放したことが逆に民族主義運動を激化させ、1955年に帰還を余儀なくされた。1956年にフランスとスペイ
モロッコ・ラバト
1956年10-11月
ハンガリー動乱
学生と労働者の反ソ連デモが武装蜂起に発展。ナジ・イムレ首相がワルシャワ条約機構からの脱退と中立を宣言したが、11月4日にソ連軍が大規模に介入しブダペストを制圧した。約2,500人のハンガリー市民が死亡
ハンガリー・ブダペスト
1956年〜
コンテナ革命
1956年4月26日、トラック運転手出身のマルコム・マクリーンが改造した油槽船アイデアルXがニューアーク港からヒューストン港へ58個のコンテナを輸送した。従来のバラ積み荷役は1トン当たり5.86ドルか
北アメリカ・ニュージャージー
1957年〜
バイコヌール宇宙基地とガガーリンの飛行
1955年に建設されたソ連の宇宙基地。1957年10月4日にスプートニク1号(世界初の人工衛星)を打ち上げ、1961年4月12日にユーリ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行を達成。現在もロシアが賃借して
中央アジア・カザフスタン
1957年
ガーナ独立(サブサハラ初の独立国)
クワメ・エンクルマの指導のもと、英領ゴールドコーストが「ガーナ」として独立。サブサハラアフリカ初の独立国として世界的な注目を集めた。エンクルマは「アフリカの独立は無意味だ。大陸全体が自由にならない限り
ガーナ・アクラ
1957年3月25日
ローマ条約(EEC設立)
フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)がヨーロッパ経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(ユーラトム)の設立条約に調印。関税同盟と共通市場の創設を目指し、「
イタリア・ローマ
1957年
スプートニク打ち上げと宇宙開発競争の開始
1957年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号をR-7ロケットで地球軌道に投入することに成功した。直径58cm、重量83.6kgのアルミ合金球体で、ビープ音を発信しながら約96分で地球を
ソ連・バイコヌール宇宙基地
1958年〜1962年
大躍進運動と大飢饉
毛沢東が15年でイギリスを追い越すと宣言し大躍進運動を発動。人民公社の設立と土法製鉄を推進。農業生産の水増し報告と農村からの過度な穀物徴発が大飢饉を招き、推定1500万〜5500万人が餓死した。
中国・全土
1958年
チヌア・アチェベ『崩れゆく絆』出版
ナイジェリアのイボ族作家チヌア・アチェベが英語で発表した小説。植民地化以前のイボ族社会が、キリスト教宣教師とイギリス植民地政府の到来により崩壊していく過程を主人公オコンクウォの悲劇を通じて描く。50以
ナイジェリア・イバダン
1959年
キューバ革命の勝利
1956年12月、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラら82名がグランマ号でメキシコからキューバ東部に上陸し、シエラ・マエストラ山脈を拠点にゲリラ戦を展開した。当初わずか十数名に減少した革命軍は農民の支持
カリブ海・キューバ
1959-1961年
中国大躍進政策の大飢饉
1958年に開始された大躍進政策の下、農業集団化と非現実的な増産目標が農業生産を壊滅させた。人民公社による共同食堂の設置、農民の製鉄動員による農作業放棄、虚偽の豊作報告に基づく過剰な穀物徴発が重なり、
中国全土
1960年
安保闘争
1960年、日米安全保障条約の改定をめぐり戦後最大の大衆運動が展開された。岸信介首相が5月20日に衆議院で新安保条約を強行採決すると、反対運動は安保改定反対から民主主義擁護へと性格を変えた。6月15日
日本・東京
1960年代〜現在
東南アジアのパーム油産業と環境問題
マレーシアとインドネシアが世界のパーム油生産の約85%を占める。食用油・化粧品・バイオ燃料の原料として需要が急増し、両国で数百万ヘクタールの熱帯雨林がプランテーションに転換された。これによりオランウー
マレーシア・インドネシア
1960年代〜現在
アラル海の縮小
ソ連の綿花増産政策のためアム川・シル川から灌漑用水を大量に取水した結果、アラル海は1960年代の68,000平方kmから2014年には約10%以下に縮小。「20世紀最大の環境災害」と呼ばれる。漁業の壊
中央アジア・ウズベキスタン/カザフスタン
1960〜1970年
アスワン・ハイ・ダム建設
ソ連の技術・資金援助により建設された巨大ダム。高さ111m、全長3830m。ナイルの洪水を制御し、通年灌漑と水力発電(設備容量2100MW)を実現。一方でナセル湖の形成によりヌビアの遺跡群(アブ・シン
エジプト・アスワン
1960年
アフリカの年(17カ国が独立)
1960年に17のアフリカ諸国が独立を達成し、「アフリカの年」と呼ばれた。フランス領西アフリカ・赤道アフリカの旧植民地(セネガル、マリ、コートジボワール、ニジェール、チャド、コンゴ共和国、ガボン等)、
アフリカ全域
1960〜1961年
コンゴ独立とルムンバ暗殺
1960年6月30日にベルギー領コンゴが独立し、パトリス・ルムンバが初代首相に就任。独立式典での国王ボードワンの演説に対するルムンバの即興の反論演説は植民地主義批判の歴史的名演説となった。しかし直後に
コンゴ・レオポルドヴィル(キンシャサ)
1960年
シャープビル虐殺
1960年3月21日、パス法(黒人に身分証の携帯を義務付ける法律)に抗議するデモ隊約5000〜7000人に対し、警察が発砲。69人が死亡(多くが背中を撃たれた)、約180人が負傷。非暴力のデモ参加者へ
南アフリカ・シャープビル
1960年
ブラジリア建設と遷都
ジュセリーノ・クビチェク大統領の「50年の進歩を5年で」のスローガンのもと、1956年から約41か月の突貫工事で建設された計画都市。都市計画はルシオ・コスタが設計し、飛行機の形をした「パイロットプラン
南米・ブラジル
1961年〜1979年
朴正熙軍事クーデタと経済開発
陸軍少将・朴正熙が5・16軍事クーデタで政権を掌握。経済開発5カ年計画を推進し、輸出主導型工業化で「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を実現。1人当たりGDPは87ドル(1962年)から1,644ドル
韓国・ソウル
1961年
フランツ・ファノン『地に呪われたる者』
マルティニーク出身の精神科医フランツ・ファノンがアルジェリア独立戦争に参加しながら執筆した革命的テキスト。植民地主義の暴力的構造を分析し、被植民者の暴力的解放を正当化した。サルトルが序文を寄せた。ファ
チュニジア・チュニス(執筆地)
1961年8月13日
ベルリンの壁建設
東ドイツ政府が西ベルリンを取り囲む壁の建設を開始。最初は有刺鉄線とコンクリートブロックであったが、最終的に高さ3.6mの二重のコンクリート壁、監視塔、地雷原を備えた要塞的構造物に発展した。壁を越えよう
ドイツ・ベルリン
1961年
ピッグス湾事件
1961年4月17日、CIAが訓練・装備した約1400名のキューバ亡命者部隊(旅団2506)がピッグス湾に上陸侵攻した。ケネディ大統領が直前に航空支援を縮小したこともあり、カストロ軍の迅速な反撃に遭い
カリブ海・キューバ
1962年〜1996年
漢江の奇跡(韓国の高度経済成長)
1962年の第1次経済開発5カ年計画から始まる韓国の高度経済成長。1人当たりGDPは87ドル(1962年)から1万ドル(1995年)に成長。繊維→重化学→電子→半導体・自動車と産業構造を高度化。現代・
韓国全域
1962年10月〜11月
中印国境紛争
中華人民共和国がインドとの国境紛争をめぐり大規模な攻撃を開始。中国軍はアクサイチンとNEFAの両方面で快進撃し、インド軍は壊滅的な敗北を喫した。約1か月の戦闘で中国が一方的な停戦を宣言し撤退したが、ア
南アジア・ヒマラヤ
1962〜1990年
ネルソン・マンデラの逮捕と投獄
ANC(アフリカ民族会議)の指導者ネルソン・マンデラが1962年に逮捕され、リヴォニア裁判(1964年)で終身刑を宣告された。ロベン島刑務所で18年間、その後ポルスムーア刑務所、ヴィクター・フェルスタ
南アフリカ・ロベン島
1962年
キューバ危機
1962年10月、ソ連がキューバに核弾頭搭載可能な中距離弾道ミサイル(SS-4)を密かに配備していることがU-2偵察機の写真で発覚した。ケネディ大統領は10月22日にテレビ演説でミサイルの存在を公表し
カリブ海・キューバ
1963年9月16日
マレーシア連邦の成立
マラヤ連邦(1957年独立)、シンガポール、サバ、サラワクが統合してマレーシアが成立。初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマンが主導。しかしインドネシアのスカルノが「対決政策」で反対し、フィリピンもサバ
マレーシア・クアラルンプール
1963年
アフリカ統一機構(OAU)の設立
32のアフリカ独立国がアディスアベバに集まり、アフリカ統一機構(OAU)を設立。エンクルマの「アフリカ合衆国」構想と、各国主権を重視する穏健派の妥協の産物。植民地支配の完全終結、領土保全、内政不干渉を
エチオピア・アディスアベバ
1963年8月28日
マーティン・ルーサー・キングの「I Have a Dream」演説
1963年8月28日、ワシントン大行進に参加した約25万人の群衆を前に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がリンカーン記念館の階段で演説。「私には夢がある」と繰り返し、人種の調和した社会のビジ
北アメリカ・ワシントンD.C.
1964年10月10日
東京オリンピック
1964年10月10日から24日まで、アジア初のオリンピックが東京で開催された。93カ国・地域から5,151名の選手が参加。柔道が初めて正式種目となり、女子バレーボール日本代表「東洋の魔女」が金メダル
日本・東京
1964年〜1985年
ブラジル軍事政権の成立
1964年3月31日、ブラジル軍がジョアン・グラール大統領を追放し軍事政権を樹立。カステロ・ブランコ将軍が初代軍政大統領に就任した。1968年のAI-5(制度法令第5号)により議会の閉鎖、市民的自由の
南米・ブラジル
1965年
日韓基本条約の締結
韓国と日本が国交正常化を実現。日本は無償3億ドル・有償2億ドル・民間借款3億ドル以上の経済協力を約束。韓国はこの資金を経済開発に投入し「漢江の奇跡」の原資とした。しかし個人請求権の問題、竹島(独島)問
韓国・ソウル
1965年8月9日
シンガポールの分離独立
マレーシア連邦から追放される形で分離独立。リー・クアンユー首相は記者会見で涙を流しつつ独立を発表した。「国家になりたくなかった国」と自称しつつ、厳格な統治と開放経済で奇跡的な経済成長を達成。一人当たり
シンガポール
1966年〜1976年
文化大革命
毛沢東が「資本主義の道を歩む実権派」の打倒を呼びかけ文化大革命を発動。紅衛兵が全国で「破四旧」(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣の破壊)を実行。劉少奇は失脚して獄死、鄧小平も2度失脚。林彪事件(1971
中国・全土
1966年〜1998年
スハルト政権と新秩序体制
スハルトが9月30日事件(1965年)を契機にスカルノから実権を奪い、「新秩序」(オルデ・バル)体制を確立。32年間の権威主義体制下で経済成長を実現したが、汚職・癒着・縁故主義(KKN)が蔓延。199
インドネシア・ジャカルタ
1966年〜1996年
フランスのムルロア環礁核実験
フランスが1966年から1996年までの30年間に、ムルロア環礁とファンガタウファ環礁で合計210回の核実験(大気圏内46回、地下164回)を実施した。1995年のシラク大統領による核実験再開は国際的
フランス領ポリネシア・ムルロア環礁
1966〜1996年
フランスの太平洋核実験
フランスはムルロア環礁とファンガタウファ環礁で1966年から1996年にかけて計193回の核実験を実施(大気圏内41回、地下152回)。1995年のジャック・シラク大統領による地下核実験再開は太平洋諸
オセアニア・フランス領ポリネシア
1967年8月8日
ASEAN結成
タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの5カ国がバンコク宣言に署名してASEAN(東南アジア諸国連合)を結成。冷戦下の反共産主義を背景とした地域協力機構として出発し、冷戦後にベトナム
タイ・バンコク
1967年〜2015年(AEC発足)
ASEAN経済共同体の形成
1967年にタイ・マレーシア・インドネシア・フィリピン・シンガポールの5カ国で設立されたASEANは、冷戦期の反共同盟から経済統合体へと発展。2015年にASEAN経済共同体(AEC)が発足し、物品・
東南アジア全域(本部:ジャカルタ)
1967年
六日間戦争(第三次中東戦争)
1967年6月5日、イスラエルはエジプト・シリア・ヨルダンに先制攻撃を仕掛け、わずか6日間でシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン川西岸、東エルサレム、ゴラン高原を占領した。エジプト空軍は開戦初日にほぼ壊滅し
イスラエル・エルサレム
1967〜1985年
タンザニアのニエレレとウジャマー社会主義
初代大統領ジュリウス・ニエレレが1967年のアルーシャ宣言でアフリカ社会主義「ウジャマー」(スワヒリ語で「家族」の意)を提唱。自力更生、平等、共同体精神に基づく独自の社会主義路線を推進。農村の集団化(
タンザニア・ダルエスサラーム
1967〜1970年
ビアフラ戦争(ナイジェリア内戦)
ナイジェリアのイボ族が支配するビアフラ共和国が分離独立を宣言。連邦軍が鎮圧戦争を展開し、ビアフラへの食料封鎖により推定100万〜300万人が飢餓で死亡。飢えた子供たちの衝撃的な映像が世界に配信され、国
ナイジェリア東部
1967年
チェ・ゲバラのボリビア遠征と死
1966年11月、チェ・ゲバラはボリビア南東部で革命ゲリラ戦を開始した。約50名のゲリラ部隊でラテンアメリカ大陸革命の起点とすることを目指したが、現地農民の支持を得られず、ボリビア共産党とも対立した。
南米・ボリビア
1967年
ガブリエル・ガルシア・マルケス『百年の孤独』とラテンアメリカ文学ブーム
1967年にガブリエル・ガルシア・マルケスが発表した『百年の孤独(Cien años de soledad)』は、ラテンアメリカ文学ブーム(el Boom)の頂点を象徴する作品となった。架空の村マコン
南米・コロンビア
1968年
プラハの春とソ連の侵攻
ドゥプチェク共産党第一書記が「人間の顔をした社会主義」を掲げ、検閲の廃止、集会の自由、経済改革を推進した。しかし1968年8月20日夜、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構5カ国の軍約50万人がチェコス
チェコスロバキア・プラハ
1968年
核不拡散条約(NPT)の署名
1968年7月1日に署名が開始され、1970年3月5日に発効した核不拡散条約(NPT)は、核兵器国(米・ソ・英・仏・中)以外への核兵器の拡散を防止する国際条約である。核兵器国の軍縮義務(第6条)、非核
国際・ワシントンD.C./ロンドン/モスクワ
1969年
中ソ対立と珍宝島事件
ウスリー川の珍宝島で中ソ両軍が武力衝突。ソ連はT-62戦車を投入し、核攻撃まで検討された。両国の死傷者は計100人以上。フルシチョフのスターリン批判以来の中ソ関係悪化の頂点。
中国・黒竜江省
1969年
リビア・カダフィ革命
27歳の陸軍大尉ムアンマル・アル・カダフィが率いる自由将校団がイドリース1世国王を無血クーデターで追放。「ジャマーヒリーヤ」(大衆国家)を標榜し、独自の政治理論『緑の書』に基づく統治を実施。石油収入を
リビア・トリポリ
1969〜1997年
フェラ・クティとアフロビートの誕生
ナイジェリアの音楽家フェラ・アニクラポ・クティが、ヨルバ伝統音楽、ハイライフ、ジャズ、ファンクを融合させて「アフロビート」を創出。1曲が20-30分に及ぶ長大な楽曲で、軍事政権への痛烈な政治批判を歌っ
ナイジェリア・ラゴス
1969年7月20日
アポロ11号の月面着陸
1969年7月20日、ニール・アームストロングとバズ・オルドリンがアポロ11号の月着陸船イーグルで月面に着陸。アームストロングの「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍」という言
北アメリカ・フロリダ
1969年6月28日
ストーンウォール事件
1969年6月28日未明、ニューヨーク市警がグリニッジヴィレッジのゲイバー「ストーンウォール・イン」を急襲した際、常連客が初めて組織的に抵抗した。暴動は数日間続き、近隣のLGBTコミュニティが合流。「
北アメリカ・ニューヨーク
1969年
アポロ11号月面着陸
1969年7月20日、アポロ11号の月着陸船イーグルが月面に着陸し、ニール・アームストロングが人類初の月面歩行を行った。「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍」という言葉と共に
アメリカ・フロリダ / 月面
1970年
大阪万博(日本万国博覧会)
1970年3月15日から9月13日まで、「人類の進歩と調和」をテーマにアジア初の万国博覧会が開催された。77カ国が参加し、総入場者数は約6,422万人で当時の万博史上最多。岡本太郎の太陽の塔、月の石の
日本・大阪
1970年4月
アポロ13号の危機
1970年4月13日、月に向かう途中のアポロ13号で機械船の酸素タンクが爆発。ジム・ラヴェル、ジャック・スワイガート、フレッド・ヘイズの3名は月着陸船を「救命ボート」として使用し、月をスイングバイして
北アメリカ・テキサス
1971年3月〜12月
バングラデシュ独立戦争
東パキスタン(現バングラデシュ)が西パキスタンからの独立を求めた戦争。パキスタン軍の「サーチライト作戦」による弾圧(推定30万〜300万人の殺害)に対し、ムクティ・バヒニ(解放軍)が抵抗。インドの軍事
南アジア・バングラデシュ
1971〜1979年
ウガンダのイディ・アミン独裁
軍人イディ・アミンがクーデターでオボテ大統領を追放し権力を掌握。8年間の独裁で推定10万〜50万人を殺害。1972年にアジア人(主にインド系)約8万人を90日以内に国外追放し、彼らの資産を没収。「スコ
ウガンダ・カンパラ
1971年〜
アボリジニのドットペインティング運動
1971年、パプーニャの学校教師ジェフリー・バードンが先住民の子供たちに壁画制作を奨励したことをきっかけに、長老たちがドリームタイムの物語を点描技法(ドットペインティング)でキャンバスに描き始めた。パ
オセアニア・オーストラリア中央部
1972年5月15日
沖縄返還
1972年5月15日、27年間の米国施政権下にあった沖縄が日本に復帰した。佐藤栄作首相とニクソン大統領の1969年の共同声明で返還が合意され、1971年の沖縄返還協定で具体化された。「核抜き、本土並み
日本・沖縄
1972年9月29日
日中国交正常化
1972年9月29日、田中角栄首相が北京を訪問し、周恩来首相との間で日中共同声明に調印。日本は中華人民共和国を中国の唯一の合法政府と承認し、台湾(中華民国)との外交関係を断絶した。中国は日本に対する戦
中国・北京
1972年
ニクソン訪中と米中接近
1971年のキッシンジャー秘密訪中を経て、1972年2月にニクソン大統領が北京を訪問。毛沢東と会談し上海コミュニケを発表。「一つの中国」原則を確認し、米中関係の正常化に向けた歴史的一歩を踏み出した。
中国・北京
1972〜1974年
ウォーターゲート事件とニクソン辞任
1972年6月17日、ニクソン大統領の再選委員会関係者5人がウォーターゲート・ビルの民主党全国委員会事務所に侵入して逮捕された。ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの調査報
北アメリカ・ワシントンD.C.
1973年
ヨム・キプール戦争と石油ショック
ユダヤ教の最も神聖な祝日ヨム・キプール(贖罪の日)にエジプトとシリアがイスラエルに奇襲攻撃。初期のアラブ軍の成功にもかかわらず、イスラエルは米国の緊急軍事支援を受けて反攻に転じた。OPEC(アラブ石油
エジプト・シナイ半島
1973年
チリ・ピノチェト軍事クーデター
1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍率いる軍部がサルバドール・アジェンデ社会主義政権を転覆するクーデターを実行した。空軍が大統領府モネダ宮殿を爆撃し、アジェンデはラジオで最後の演説を行った
南米・チリ
1973年
シドニー・オペラハウスの完成
デンマークの建築家ヨーン・ウツソンが設計した20世紀を代表する建築作品。貝殻または帆を思わせる白いコンクリートの屋根が特徴。1957年の国際設計競技でウツソンの案が採用されたが、建設は技術的困難と予算
オセアニア・オーストラリア
1974〜1991年
エチオピアのデルグ政権と赤色テロ
1974年の革命で最後の皇帝ハイレ・セラシエが廃位され、軍事委員会デルグ(「委員会」の意)が権力を掌握。メンギスツ・ハイレ・マリアムが独裁者として君臨し、マルクス・レーニン主義を採用。1977-78年
エチオピア・アディスアベバ
1974年4月25日
ポルトガルのカーネーション革命
軍の若手将校グループ(国軍運動、MFA)がサラザール体制の後継者カエターノ首相を無血で打倒。アフリカの植民地戦争(モザンビーク、アンゴラ、ギニアビサウ)への厭戦気分が軍内の反体制運動を育てた。革命後、
ポルトガル・リスボン
1975年〜1979年
ポル・ポト政権とカンボジア大虐殺
クメール・ルージュのポル・ポト政権が実行した大量虐殺。「原始共産主義」の実現を目指し、都市住民の農村への強制移住、知識人・少数民族の組織的殺害、強制労働を行った。犠牲者数は約170万〜200万人(当時
カンボジア全土
1975年4月30日
サイゴン陥落とベトナム統一
北ベトナム軍がサイゴンを占領し、ベトナム戦争が終結。南ベトナムのズオン・バン・ミン大統領が無条件降伏。アメリカ大使館からの最後のヘリコプター脱出は米国の敗北を象徴する映像として世界中に配信された。19
ベトナム・サイゴン
1975年〜1977年
インディラ・ガンジーの非常事態宣言
ネルーの娘インディラ・ガンジー首相が憲法の非常事態条項を発動。選挙法違反の高裁判決を受けて辞任を拒否し、市民的自由を停止、野党指導者を大量逮捕、報道検閲を実施した。息子サンジャイ・ガンジーの強制不妊手
南アジア・ニューデリー
1975-1982年
スペインの民主化(フランコ後の移行)
1975年11月のフランコ死後、フアン・カルロス1世国王が民主化を主導。スアレス首相が政治改革法を通過させ、1977年に40年ぶりの自由選挙が実施された。1978年の新憲法で議会制民主主義と自治州制度
スペイン・マドリード
1975年8月1日
ヘルシンキ宣言
35カ国(米加を含む全ヨーロッパ、ただしアルバニアを除く)が「ヘルシンキ最終文書」に署名。国境の不可侵性(第1バスケット)、経済協力(第2バスケット)、人権と基本的自由(第3バスケット)の三つの柱から
フィンランド・ヘルシンキ
1975年9月16日
パプアニューギニアの独立
オーストラリアの信託統治領であったパプアニューギニアが独立を達成。初代首相マイケル・ソマレの下、立憲君主制(イギリス女王を元首とする)を採用。世界で最も言語的に多様な国家(約850言語)として、ピジン
パプアニューギニア
1975年
ヘルシンキ宣言(欧州安全保障協力会議)
1975年8月1日、35カ国の首脳がヘルシンキ最終文書に署名した。第1バスケット(安全保障)で国境の不可侵と領土保全を確認し、第2バスケット(経済協力)で東西の経済交流を促進し、第3バスケット(人権・
フィンランド・ヘルシンキ
1976年
ソウェト蜂起
1976年6月16日、アフリカーンス語での教育を強制する政策に抗議する約2万人の黒人生徒が行進。警察が催涙ガスと実弾で鎮圧し、13歳のヘクター・ピーターソンを含む多数の若者が射殺された。死者数は公式に
南アフリカ・ソウェト
1976年〜1983年
アルゼンチン「汚い戦争」
1976年3月24日、ホルヘ・ビデラ将軍率いる軍がイサベル・ペロン大統領を追放し「国家再編過程」と称する軍事政権を樹立。左翼ゲリラ(モントネーロスやERP)のみならず、労働組合活動家、学生、知識人、ジ
南米・アルゼンチン
1976年〜
ポリネシアの航海術復興(ホクレア号)
1976年、伝統的な二重カヌー「ホクレア号」がハワイからタヒチへの約4000kmの航海に成功。マウ・ピアイルグがミクロネシアの伝統航海術を用いてコンパスや計器なしで導いた。この航海はポリネシア人が偶然
オセアニア・ハワイ〜ポリネシア
1978年
改革開放政策の開始
鄧小平が中共十一期三中全会で改革開放路線を決定。人民公社を解体して農家請負制を導入、深圳・珠海・汕頭・厦門に経済特区を設置。「黒い猫でも白い猫でもネズミを捕る猫が良い猫だ」と実用主義を唱えた。
中国・深圳を中心に全国
1978年〜1979年
キャンプ・デービッド合意
米国カーター大統領の仲介でエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が和平合意に署名。エジプトはアラブ諸国で初めてイスラエルを国家承認し、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還した。サダトとベギン
アメリカ・キャンプ・デービッド
1979年〜1989年
ソ連のアフガニスタン侵攻
1979年12月27日、ソ連軍がカーブルに侵攻し、アミーン大統領を殺害してカルマルを擁立。10年間の戦争で約15,000人のソ連兵と約100万〜200万人のアフガン人が死亡。約600万人が難民となった
中央アジア・アフガニスタン
1979年
イラン革命
ルーホッラー・ホメイニー率いるイスラム革命運動がモハンマド・レザー・シャーを追放し、イスラム共和国を樹立した。革命は世俗的左翼・リベラル・宗教勢力の広範な連合として始まったが、ホメイニーの「ヴェラーヤ
イラン・テヘラン
1979-1990年
サッチャー政権(イギリス)
マーガレット・サッチャーがイギリス初の女性首相に就任し、新自由主義的な経済改革を断行。国有企業の民営化、規制緩和、労働組合の権限制限、金融ビッグバン(1986年)を推進。炭鉱ストライキ(1984-85
イギリス・ロンドン
1979年
ニカラグア・サンディニスタ革命
1979年7月19日、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)がアナスタシオ・ソモサ・デバイレ独裁政権を打倒し革命政権を樹立した。ソモサ一族は1936年以来43年間にわたりニカラグアを支配しており、国土
中米・ニカラグア
1979年〜1992年
エルサルバドル内戦
1979年の軍事クーデターに端を発するエルサルバドル内戦は、左翼ゲリラFMLNと軍・右翼死の部隊との間で12年以上にわたって戦われた。1980年にはオスカル・ロメロ大司教がミサ中に暗殺され、4名の米国
中米・エルサルバドル
1980年5月18日〜27日
光州民主化運動(5・18)
全斗煥の軍事クーデタと戒厳令拡大に抗議する光州市民が蜂起。空挺部隊による残虐な鎮圧に市民が武装して抵抗し、一時的に「光州市民軍」が市を解放した。10日間の抵抗の末、5月27日に戒厳軍が鎮圧。公式死者数
韓国・光州
1980年〜1988年
プラムディヤ・アナンタ・トゥールの文学
インドネシア最大の作家プラムディヤ・アナンタ・トゥール(1925-2006年)がブル島の政治犯収容所で口述した「ブル・カルテット」四部作(『人間の大地』『すべての民族の子』『足跡』『ガラスの家』)。イ
インドネシア・ジャカルタ
1980年〜1988年
イラン・イラク戦争
イラクのサダム・フセインがイラン革命の混乱に乗じてイランに侵攻。しかし戦争は長期化し、第一次世界大戦を彷彿とさせる塹壕戦・毒ガス使用・「人海戦術」が展開された。8年間の戦闘で両国合わせて100万人以上
イラク・バグダッド
1980〜2017年
ジンバブエのムガベ政権とハイパーインフレーション
ロバート・ムガベが独立闘争の英雄から37年間の長期独裁者に変容した。当初は人種和解と教育普及で評価されたが、2000年以降の白人農場の強制接収が経済崩壊を招いた。2008年のハイパーインフレーション(
ジンバブエ・ハラレ
1980-1989年
ポーランド「連帯」運動
レフ・ワレサが率いるグダニスク造船所のストライキから、東側ブロック初の独立自主管理労働組合「連帯(ソリダルノシチ)」が誕生。約1,000万人が加入した。1981年12月にヤルゼルスキ将軍が戒厳令を布告
ポーランド・グダニスク
1981年-
HIV/AIDSパンデミック
1981年6月、アメリカCDCがロサンゼルスのゲイ男性5人のニューモシスチス肺炎を報告し、後にAIDS(後天性免疫不全症候群)と命名された。1983年にリュック・モンタニエらがHIV(ヒト免疫不全ウイ
世界全域(初報告: アメリカ)
1982年
フォークランド戦争(マルビナス戦争)
1982年4月2日、アルゼンチン軍がフォークランド諸島(マルビナス諸島)を軍事占領。アルゼンチンのガルティエリ軍事政権は経済危機と国内不満から目を逸らすため領土問題を利用した。サッチャー英首相は即座に
南大西洋・フォークランド諸島
1983年〜
サムスン半導体の台頭
サムスン電子が1983年にDRAM事業に参入。当初は日本のメーカーに大きく遅れていたが、積極的な設備投資と技術開発により急成長。1992年に世界初の64Mb DRAMを開発し、DRAM世界シェア1位に
韓国・器興(京畿道)
1983年〜2009年
スリランカ内戦
シンハラ人多数派政府とタミル人武装組織LTTE(タミル・イーラム解放の虎)の間で26年間にわたる内戦。LTTEの指導者プラバカランは自爆攻撃を体系的に使用し、海上戦力も保有。2009年5月にスリランカ
南アジア・スリランカ
1983〜2011年
スーダン内戦とダルフール紛争
北部のアラブ系イスラム政府と南部のキリスト教・伝統宗教の黒人との間の第二次スーダン内戦(1983-2005年)は約200万人の死者と400万人の難民を出した。2003年にはダルフールで政府支援の民兵ジ
スーダン・ハルツーム〜ダルフール
1984年
ブルースター作戦とインディラ・ガンジー暗殺
インディラ・ガンジー首相がシク教過激派指導者ジャルネイル・シン・ビンドランワーレーが占拠した黄金寺院に軍を投入。激しい銃撃戦で数百人が死亡し、アカール・タクト(シク教の政治的権威の座)が大きく損壊。こ
南アジア・パンジャーブ
1984年12月3日
ボパール化学工場事故
ユニオン・カーバイド社のボパール工場からイソシアン酸メチル(MIC)約40トンが漏洩した世界最悪の産業事故。直後に約3800人(推計では最大1万6千人)が死亡し、50万人以上が毒ガスに曝露された。後遺
南アジア・マディヤ・プラデーシュ
1985-1991年
ゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチ
ゴルバチョフ書記長が停滞するソ連経済と硬直した政治体制の改革を目指して開始した二大政策。ペレストロイカ(立て直し)は経済改革、グラスノスチ(情報公開)は言論の自由化を指す。しかし改革は制御を失い、民族
ソ連・モスクワ
1986年2月
ピープルパワー革命(エドゥサ革命)
マルコス独裁政権に対し、数百万のフィリピン市民がエドゥサ大通りに集結して非暴力の抗議運動を展開。カトリック教会のハイメ・シン枢機卿の呼びかけで軍の離反が拡大し、マルコスは国外逃亡。コラソン・アキノが大
フィリピン・マニラ
1986年
ドイモイ(刷新)政策の開始
ベトナム共産党第6回大会でドイモイ(刷新)政策を採択。社会主義体制を維持しつつ市場経済を導入する「社会主義志向の市場経済」路線を開始。外国直接投資の受入れ、農業の脱集団化、民間企業の容認により経済成長
ベトナム・ホーチミン市
1986年
ウォレ・ショインカのノーベル文学賞受賞
ナイジェリアの劇作家・詩人・小説家ウォレ・ショインカがアフリカ人として初めてノーベル文学賞を受賞。「広い文化的視野の中で、存在のドラマを練り上げた」と評された。ヨルバ神話と西洋演劇を融合させた独自の劇
ナイジェリア・ラゴス
1987年6月
1987年6月民主抗争と民主化宣言
朴鍾哲の拷問致死事件と李韓烈の催涙弾被弾を契機に、全国で100万人規模の民主化デモが展開された。全斗煥政権はデモを制御できず、与党代表の盧泰愚が「6・29民主化宣言」を発表。大統領直接選挙制の復活、言
韓国・ソウル
1987年
INF条約の調印と核軍縮の進展
1987年12月8日、レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長がワシントンD.C.で中距離核戦力全廃条約(INF条約)に署名した。射程500-5,500kmの地上発射弾道ミサイルと巡航ミサイルの全廃
アメリカ・ワシントンD.C.
1987年9月16日
オゾン層破壊の発見とモントリオール議定書
1985年、英国南極調査所のジョー・ファーマンらが南極上空の成層圏オゾン濃度の劇的な減少(オゾンホール)を発見し、Natureに発表した。フロン類(CFC)がオゾン層を破壊するという1974年のモリー
南極上空(発見地)・カナダ・モントリオール(議定書締結地)
1988年
ソウルオリンピック
第24回夏季オリンピックがソウルで開催。160カ国・地域が参加し、冷戦後初の東西両陣営が揃ったオリンピックとなった。韓国は金メダル12個で総合4位の成績。「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長と民主化の達成
韓国・ソウル
1989年6月4日
天安門事件
胡耀邦の死を契機に学生の民主化要求運動が拡大。天安門広場を中心に100万人規模のデモが展開されたが、6月4日に人民解放軍が武力鎮圧。死者数は数百人〜数千人と推定されるが中国政府は公式発表を行っていない
中国・北京
1989年
ベルリンの壁崩壊
1989年11月9日夜、東ドイツ政府報道官ギュンター・シャボウスキーが記者会見で旅行自由化を「即時」と発言したことをきっかけに、数万人の東ベルリン市民が検問所に殺到。国境警備隊は群衆を止められず、ボル
ドイツ・ベルリン
1989年11月
ビロード革命(チェコスロバキア)
11月17日の学生デモへの警察の暴力を契機に、ヴァーツラフ・ハヴェルが率いる市民フォーラムが大規模な非暴力抗議運動を組織。共産党政権はわずか10日間で崩壊し、12月29日にハヴェルが大統領に選出された
チェコスロバキア・プラハ
1989年12月
ルーマニア革命(チャウシェスクの処刑)
ティミショアラでの反政府デモへの弾圧を機に、12月21日のブカレストでの親政権集会中にチャウシェスクへの野次が飛び、集会は反政府デモに転じた。軍が民衆側に転じ、チャウシェスク夫妻はヘリコプターで逃亡し
ルーマニア・ブカレスト
1989-1991年
バルト三国の独立回復(バルトの道)
1989年8月23日(独ソ不可侵条約50周年)に約200万人が人間の鎖を形成する「バルトの道」で独立回復を訴えた。リトアニアが1990年3月に最初にソ連からの独立を宣言。1991年8月のクーデター未遂
エストニア・ラトヴィア・リトアニア
1989年
ティム・バーナーズ=リーのWWW発明
イギリス人科学者ティム・バーナーズ=リーがCERNでワールド・ワイド・ウェブ(WWW)を提案し開発。ハイパーテキスト、URL、HTTP、HTMLの概念を統合し、1991年に最初のウェブサイトを公開した
スイス・ジュネーヴ(CERN)
1989年
米国のパナマ侵攻(ジャスト・コーズ作戦)
1989年12月20日、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の命令により約27,000名の米軍がパナマに侵攻し、マヌエル・ノリエガ将軍の独裁政権を打倒した。「ジャスト・コーズ(正義の大義)作戦」と命名され
中米・パナマ
1989年
World Wide Webの発明とインターネット革命
1989年、CERNのティム・バーナーズ=リーがハイパーテキストに基づく情報共有システムを提案し、1991年に世界初のウェブサイトを公開した。HTTP、HTML、URLの技術基盤を開発し、無償で公開し
スイス・ジュネーヴ(CERN)/ アメリカ・シリコンバレー
1990年
モンゴルの民主化
1989年12月から民主化運動が始まり、1990年3月にモンゴル人民革命党が一党独裁を放棄。同年7月に初の自由選挙が実施された。ソ連圏の民主化の波の中で、モンゴルは血を流すことなく平和的に複数政党制民
中央アジア・モンゴル
1990〜1991年
湾岸戦争
1990年8月2日にサダム・フセインのイラクがクウェートに侵攻・併合。国連安保理は武力行使容認決議678号を採択し、アメリカ主導の多国籍軍(34カ国)が編成された。1991年1月17日に「砂漠の嵐」作
中東・クウェート / イラク
1990年代〜現在
HIV/AIDSパンデミック(南部アフリカ)
サブサハラアフリカはHIV/AIDSパンデミックの最大の被害地域であり、世界のHIV陽性者の約70%が集中。南アフリカ、ボツワナ、スワジランド、レソトでは成人の感染率が20-30%に達した時期もあった
南部アフリカ全域
1990年10月3日
ドイツ再統一
「2プラス4条約」(東西ドイツと米英仏ソの6カ国)の締結により、東ドイツが西ドイツに編入される形で再統一が実現した。コール首相の指導力とゴルバチョフの同意が鍵であった。NATOに統一ドイツが残留するこ
ドイツ・ベルリン
1991年
バブル経済崩壊
1989年12月29日に日経平均株価が38,915円の史上最高値を記録した後、1990年から株価と地価が急落しバブル経済が崩壊した。日銀の金融引き締め(公定歩合の引き上げ)と大蔵省の総量規制が引き金と
日本
1991年6月15日
ピナトゥボ山噴火
20世紀最大級の火山噴火(VEI 6)。約10立方kmの火砕物を放出し、噴煙は高度34kmに達した。直接の死者は約800人であったが、事前の大規模避難により数万人の命が救われた。大量のエアロゾルが成層
フィリピン・ルソン島
1991年
インドの経済自由化
ナラシンハ・ラーオ首相とマンモーハン・シン財務相が主導した包括的経済改革。外国為替危機を契機に、ライセンス・ラージ(許認可制度)の撤廃、外資規制の緩和、国営企業の民営化、関税引き下げを実施。「自由化・
南アジア・ニューデリー
1991年
中央アジア五カ国の独立
1991年12月のソ連崩壊に伴い、中央アジアの五つのソ連構成共和国が独立を宣言。各国とも独立を積極的に求めたわけではなく、ソ連崩壊の結果として独立を余儀なくされた。ナザルバエフ(カザフスタン)、カリモ
中央アジア全域
1991〜2002年
シエラレオネ内戦
フォデイ・サンコー率いるRUF(革命統一戦線)がリベリアのチャールズ・テイラーの支援を受けて蜂起。ダイヤモンド鉱山の支配をめぐる争いが戦争を長期化させた。RUFは住民の手首切断という残虐な手法で恐怖支
シエラレオネ・フリータウン
1991年〜現在
ソマリア内戦とブラックホーク・ダウン事件
1991年のバーレ政権崩壊後、ソマリアは武装クラン勢力の割拠する無政府状態に陥った。飢饉対策の国連PKO(1992年)の失敗と、1993年10月のモガディシュの戦い(「ブラックホーク・ダウン事件」)で
ソマリア・モガディシュ
1991年12月25日
ソ連崩壊
1991年8月の保守派クーデター未遂の失敗後、各共和国の独立が加速。12月8日にエリツィン(ロシア)、クラフチュク(ウクライナ)、シュシケヴィチ(ベラルーシ)がベロヴェーシの森で独立国家共同体(CIS
ソ連・モスクワ
1991年
ワルシャワ条約機構の解散と冷戦の終結
1991年7月1日、ワルシャワ条約機構がプラハで正式に解散し、東側の軍事同盟が消滅した。同年12月25日、ゴルバチョフがソ連大統領を辞任し、翌26日にソヴィエト最高会議がソ連の解体を宣言。15の共和国
チェコスロヴァキア・プラハ / ソ連
1992年
鄧小平の南巡講話
天安門事件後の保守化に抗し、引退した鄧小平が南方を視察して改革開放の加速を主張。「発展は硬い道理」「社会主義市場経済」を提唱。この講話を受けて改革が再加速し、中国は高度経済成長の軌道に乗った。
中国・深圳〜珠海〜上海
1992-1995年
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
ボスニアの独立宣言を機に、セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人(ムスリム)の三つ巴の民族紛争が勃発。サラエボの1,425日間の包囲(近代史上最長の首都包囲戦)、スレブレニツァ虐殺(1995年7月、
ボスニア・ヘルツェゴビナ
1992年2月7日
マーストリヒト条約(EU発足)
EC加盟12カ国がEU(欧州連合)設立条約に署名。経済通貨同盟(ユーロの導入)、共通外交・安全保障政策、司法・内務協力の三つの柱を導入。「欧州市民権」の概念を初めて導入し、ヨーロッパ統合を経済共同体か
オランダ・マーストリヒト
1992年6月3日
マボ判決と先住民の土地権回復
オーストラリア高等裁判所がマボ対クイーンズランド州事件において、オーストラリア法における「テラ・ヌリウス」(無主地)原則を覆し、先住民の先住権原(ネイティブ・タイトル)を認める画期的判決を下した。メリ
オーストラリア
1993年〜現在
北朝鮮の核開発問題
北朝鮮は1993年にNPT脱退を宣言して以降、核開発を推進。2006年に初の核実験を実施し、以後6回の核実験を行った。ICBMの開発も進め、米本土を射程に収める能力を主張。6カ国協議は2009年以降中
北朝鮮・寧辺
1993年
オスロ合意
イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長がホワイトハウスでの歴史的握手とともに署名。イスラエルはPLOをパレスチナ人の代表として認め、PLOはイスラエルの存在権を承認した。パレスチナ自治政府が設
パレスチナ
1993年
パブロ・エスコバルの殺害とメデジン・カルテルの崩壊
1993年12月2日、コロンビア国家警察の特殊部隊「捜索ブロック」が逃亡中のパブロ・エスコバルをメデジンのロス・オリボス地区の隠れ家で射殺した。エスコバルは全盛期に世界のコカイン取引の約80%を支配し
南米・コロンビア
1994年
ルワンダ虐殺
1994年4月6日のハビャリマナ大統領の暗殺をきっかけに、フツ族過激派がツチ族と穏健フツ族に対する組織的な虐殺を開始。約100日間で80万〜100万人が殺害された。主な凶器はマチェーテ(山刀)。国際社
ルワンダ・キガリ
1994年
南アフリカの民主化とマンデラ大統領就任
1990年のマンデラ釈放後、デクラーク大統領との交渉により平和的移行が実現。1994年4月27日の全人種参加の初の総選挙でANCが62.6%の得票で勝利し、マンデラが大統領に就任。真実和解委員会(TR
南アフリカ・プレトリア
1994-2009年
チェチェン紛争
第一次チェチェン紛争(1994-96年)でロシア軍はチェチェン独立派と戦ったが、グロズヌイの壊滅的な市街戦と各地でのゲリラ戦に苦しみ、ハサヴユルト合意で事実上の独立を認めた。第二次紛争(1999-20
ロシア・チェチェン共和国
1994年
サパティスタ民族解放軍(EZLN)蜂起
1994年1月1日、NAFTA(北米自由貿易協定)発効日に合わせ、サパティスタ民族解放軍(EZLN)がチアパス州の複数の町を占拠した。覆面姿のマルコス副司令官(後にガレアーノ副司令官)を広報的指導者と
中米・メキシコ
1995年1月17日
阪神・淡路大震災
1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3(Mj)の直下型地震が発生した。神戸市を中心に震度7を記録し、阪神高速道路の倒壊、建造物の大規模崩壊、長田区の大火災が発生
日本・兵庫県
1995年3月20日
地下鉄サリン事件
1995年3月20日朝、オウム真理教の信者5名が東京の地下鉄5路線の車内でサリンを散布した。13名が死亡、約6,300名が負傷した。宗教団体による世界初の大規模化学兵器テロであり、麻原彰晃(松本智津夫
日本・東京
1995年
ケベック独立住民投票
1995年10月30日、ケベック州の独立の是非を問う住民投票が実施された。結果は賛成49.42%、反対50.58%のわずか約5万4千票の僅差で独立案が否決された。投票率は93.52%と極めて高かった。
北アメリカ・カナダ
1995年
WTO(世界貿易機関)の設立
1995年1月1日、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)ウルグアイ・ラウンドの成果として世界貿易機関(WTO)が発足した。GATTが物品貿易のみを対象としたのに対し、WTOはサービス貿易(GATS
スイス・ジュネーヴ
1996年〜2021年
ターリバーン政権とアメリカの介入
パシュトゥーン系イスラム原理主義組織ターリバーンが1996年にカーブルを制圧し政権を樹立。女子教育の禁止、厳格なシャリーア法の施行で国際的に孤立。2001年の9.11テロ後、アメリカがアルカイダ掃討の
中央アジア・アフガニスタン
1997年7月1日
香港返還
155年間のイギリス統治を経て香港が中国に返還された。鄧小平の「一国二制度」方針に基づき、資本主義体制を50年間維持する香港特別行政区が設立。初代行政長官に董建華が就任。
中国・香港
1997年
IMF通貨危機
アジア通貨危機が韓国を直撃し、外貨準備が枯渇。IMFから580億ドルの緊急融資を受け、構造改革を強いられた。財閥の整理統合(大宇グループの解体など)、労働市場の柔軟化、金融改革が進められた。国民は「金
韓国・ソウル
1997年
アジア通貨危機
タイのバーツが7月2日に変動相場制に移行(事実上の切り下げ)したことを契機に、東南アジア全域に通貨危機が波及。インドネシアではルピアが80%以上下落し、スハルト政権が崩壊(1998年5月)。IMFが介
タイ・バンコク
1998年5月11-13日
インドの核実験(ポカランII)
バージペーイー首相のもとでインドが5回の核実験(熱核爆弾を含む)を実施。「シャクティ作戦」と命名。CIAの偵察衛星を欺く極秘の準備が話題となった。パキスタンは2週間後にチャガイで核実験を実施し、南アジ
南アジア・ラージャスターン
1998〜2003年
コンゴ戦争(「アフリカの世界大戦」)
ルワンダ虐殺の余波として始まった紛争が、アフリカ9カ国が関与する大規模戦争に拡大。「アフリカの世界大戦」と呼ばれ、推定死者数は540万人(主に飢餓・疫病による間接的死亡)で、第二次世界大戦以降最も多く
コンゴ民主共和国全域
1998-1999年
コソボ紛争とNATO空爆
コソボのアルバニア系住民に対するセルビアの弾圧に対し、NATOが1999年3月から78日間の空爆を実施。国連安保理の承認なしの武力介入は国際法上の議論を呼んだ。ミロシェヴィチは撤退を受け入れ、コソボは
コソボ・セルビア
1998年〜
グレートバリアリーフの白化問題
1998年、2002年、2016年、2017年、2020年、2022年と繰り返されるサンゴの大規模白化現象。海水温が通常より1-2℃上昇すると、サンゴと共生する褐虫藻が離れ(白化)、長期化するとサンゴ
オセアニア・オーストラリア北東部
1999年5月〜7月
カルギル紛争
パキスタン軍兵士と武装勢力がインド管理側のカシミール・カルギル地区の山岳拠点に浸透・占拠。インド軍は空軍の支援の下、「ビジャイ作戦」で約2か月かけて拠点を奪還。両軍合わせて約1000人以上が死亡。核保
南アジア・カシミール
1999年
ナイジェリアの民主化と石油経済
1999年にオバサンジョ元将軍が民政移管後の初代大統領に就任し、約16年間の軍事政権が終結。ナイジェリアはアフリカ最大の産油国(日量約200万バレル)であり最大の経済大国(2014年にGDPで南アフリ
ナイジェリア・アブジャ
1999年/2002年
ユーロの導入
1999年1月1日に会計上の通貨としてユーロが導入され、2002年1月1日に紙幣と硬貨が流通を開始。当初11カ国で始まり、現在は20カ国が参加。マーストリヒト条約の収斂基準(財政赤字、公的債務、インフ
ユーロ圏全域
1999年〜2013年
ウゴ・チャベスの大統領就任とボリバル革命
1999年2月、元陸軍中佐ウゴ・チャベスが大統領に就任し「ボリバル革命」を宣言した。1992年にクーデター未遂で投獄された後、合法的手段で政権を獲得。新憲法を制定し国名を「ベネズエラ・ボリバル共和国」
南米・ベネズエラ
2000年6月
南北首脳会談
韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日国防委員長が分断後初の南北首脳会談を実施。6・15南北共同宣言に署名し、統一問題の自主的解決、離散家族再会、経済協力の推進を合意した。金大中はこの功績でノーベル平和賞
北朝鮮・平壌
2000年代〜現在
気候変動と太平洋島嶼国の危機
ツバル、キリバス、マーシャル諸島などの太平洋低地島嶼国が、地球温暖化による海面上昇で国土消失の危機に直面している。IPCCの予測では21世紀末までに最大1メートル以上の海面上昇が見込まれ、ツバルの多く
太平洋・ツバル
2001年9月11日
9.11同時多発テロ
2001年9月11日朝、アルカイダのテロリスト19人が4機の旅客機をハイジャック。2機がニューヨークのワールドトレードセンター北棟(8:46)と南棟(9:03)に衝突し、両棟が崩壊。1機がペンタゴンに
北アメリカ・ニューヨーク
2001年
アメリカ同時多発テロ(9.11)
2001年9月11日、アルカイダの19人のハイジャック犯が4機の旅客機を乗っ取った。午前8時46分にアメリカン航空11便がWTC北棟に、9時3分にユナイテッド航空175便がWTC南棟に衝突。9時37分
アメリカ・ニューヨーク / ワシントンD.C.
2002年5月20日
東ティモール独立
21世紀最初の新独立国家。ポルトガル植民地から1975年に独立を宣言したが、インドネシアが即座に侵攻・併合。24年間の占領下で人口の約3分の1(10万〜18万人)が死亡したとされる。1999年の住民投
東ティモール・ディリ
2002年
アフリカ連合(AU)の設立
2002年7月にOAU(アフリカ統一機構)を改組してアフリカ連合(AU)が設立された。55の加盟国を擁し、欧州連合をモデルとした組織構造を持つ。平和安全保障理事会の設置により、OAU時代の「内政不干渉
エチオピア・アディスアベバ〜南アフリカ・ダーバン
2003年〜2011年
イラク戦争
米国のブッシュ大統領が大量破壊兵器の保有を根拠にイラクに侵攻。3週間でバグダッドを陥落させフセイン政権を打倒したが、大量破壊兵器は発見されなかった。占領後は宗派間内戦・テロ・反米武装勢力の抵抗が激化し
イラク・バグダッド
2003年〜2010年
ルーラ大統領就任とブラジルの社会変革
2003年1月1日、労働者党(PT)のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバが大統領に就任。小学校中退の元金属労働者から大統領へという経歴は「ブラジリアン・ドリーム」と呼ばれた。ボルサ・ファミリア(条件
南米・ブラジル
2004年12月26日
スマトラ島沖地震・津波
観測史上3番目に大きい地震がインドネシア・スマトラ島沖で発生し、インド洋全域に巨大津波が押し寄せた。14カ国で約23万人が死亡。最大の被害はインドネシアのアチェ州で約17万人が死亡。国際社会は過去最大
インドネシア・アチェ州
2004年5月1日
EU東方拡大
ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、キプロス、マルタの10カ国が同時にEUに加盟した史上最大の拡大。加盟国は15から25に増加し、人口は約4億5
中東欧諸国
2004年3月11日
マドリード列車爆破テロ
朝のラッシュアワーにマドリードの通勤列車4本で10個の爆弾が爆発し、193人が死亡、約2,000人が負傷した。アルカイダに影響を受けたイスラム過激派グループの犯行であった。事件の3日後の総選挙でアスナ
スペイン・マドリード
2004年12月26日
スマトラ島沖地震・インド洋大津波
2004年12月26日午前7時58分(現地時間)、スマトラ島沖でモーメントマグニチュード9.1の巨大地震が発生した。海底の垂直変動により発生した大津波はインド洋全域に伝播し、最大波高30メートル以上が
インドネシア・スマトラ島沖
2005年3月
キルギスのチューリップ革命
2005年の議会選挙の不正に抗議する民衆運動がアカエフ大統領の退陣を招いた。グルジアの「バラ革命」(2003年)、ウクライナの「オレンジ革命」(2004年)に続く「カラー革命」の一つ。バキエフが後任大
中央アジア・キルギス
2005年8月
ハリケーン・カトリーナ
2005年8月29日にカテゴリー3のハリケーンがルイジアナ州に上陸。ニューオーリンズの堤防が複数箇所で決壊し、市の約80%が浸水。死者1833人、被害額約1250億ドル。連邦緊急事態管理庁(FEMA)
北アメリカ・ルイジアナ
2005〜2012年頃
ソマリア海賊問題
2005年頃からソマリア沖で海賊活動が急増し、2011年のピーク時には年間237件の攻撃が記録された。漁師出身の海賊がスキフ(小型ボート)で大型商船を高速で追い、身代金目的で乗っ取った。2008年のM
インド洋・アデン湾
2006年〜2019年
エボ・モラレス、ボリビア初の先住民出身大統領に就任
2006年1月22日、コカ栽培農民組合指導者であったエボ・モラレスがボリビア初の先住民出身大統領に就任した。社会主義運動(MAS)党を率い、天然ガスの国有化、新憲法制定(多民族国家ボリビアの宣言)、先
南米・ボリビア
2007年
M-Pesa(モバイル決済革命)
ケニアの通信会社サファリコムが2007年に開始したモバイル送金サービス。銀行口座を持たない人々が携帯電話で送金・支払い・貯蓄を行えるようにした。ケニアの成人の約96%が利用し、GDPの約50%がM-P
ケニア・ナイロビ
2008年
北京オリンピック
北京で第29回夏季オリンピックが開催。開会式は張芸謀が演出し、中国の歴史と文化を壮大に表現。中国は金メダル51個を獲得して1位に。大国としての復活を世界に印象づけた。総費用は約400億ドル。
中国・北京
2008年11月26-29日
ムンバイ同時多発テロ
パキスタンのテロ組織ラシュカレ・タイバに所属する10名の武装グループがムンバイで複数箇所を同時攻撃。60時間にわたる銃撃戦で166人が死亡、300人以上が負傷。唯一生存した実行犯アジマル・カサブは20
南アジア・ムンバイ
2008年2月13日
盗まれた世代への公式謝罪
ケビン・ラッド首相がオーストラリア連邦議会で、アボリジニおよびトレス海峡諸島民の「盗まれた世代」(Stolen Generations)に対する公式謝罪を行った。1910年代から1970年代にかけて、
オーストラリア・キャンベラ
2009年〜現在
ボコ・ハラムの活動
イスラム過激派組織ボコ・ハラム(「西洋教育は禁忌」の意)が2009年以降、ナイジェリア北東部で大規模なテロ活動を展開。2014年4月のチボク女子生徒約270人の拉致事件は「#BringBackOurG
ナイジェリア北東部・ボルノ州
2009-2015年
ユーロ危機(ギリシャ債務危機)
2009年にギリシャの財政赤字が公表数値の倍以上であることが判明し、国債利回りが急騰。ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペインが相次いで救済を必要とした(PIIGS危機)。トロイカ(EU、ECB、
ギリシャ・南欧諸国
2009年1月20日
バラク・オバマ大統領就任
バラク・フセイン・オバマがアメリカ合衆国第44代大統領に就任し、初のアフリカ系アメリカ人大統領となった。2008年の大統領選挙で「Yes We Can」と「Change」をスローガンに掲げ、共和党のジ
北アメリカ・ワシントンD.C.
2010〜2012年
アラブの春
2010年12月17日、チュニジアのシディ・ブジドで露天商モハメド・ブアジジが焼身自殺したことをきっかけに、チュニジアの反政府デモが拡大。ベン・アリ大統領が亡命した「ジャスミン革命」を皮切りに、エジプ
中東・北アフリカ
2010〜2011年
ジャスミン革命(チュニジア)
2010年12月17日、シディ・ブジドの青果売りムハンマド・ブアジジが当局の嫌がらせに抗議して焼身自殺。これをきっかけに反政府デモが全土に拡大し、2011年1月14日にベン・アリ大統領が23年間の独裁
チュニジア・シディ・ブジド〜チュニス
2010年
ハイチ地震
2010年1月12日午後4時53分(現地時間)、マグニチュード7.0の地震がハイチ首都ポルトープランス近郊を直撃した。震源の深さはわずか約13キロメートルで、直下型の浅い地震が人口密集地を壊滅させた。
カリブ海・ハイチ
2011年3月11日
東日本大震災・福島第一原発事故
2011年3月11日14時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の超巨大地震が発生。東北太平洋沿岸に巨大津波が襲来し、死者・行方不明者は約2万2千人に達した。福島第一原子力発電所では全電源喪失
日本・東北地方
2011年〜
シリア内戦
2011年のアラブの春に触発されたアサド政権への抗議デモが、政府軍の弾圧を契機に全面的内戦に発展。反政府勢力、ISIS、クルド人勢力が入り乱れ、ロシア・イランがアサド政権を、米国・トルコ・湾岸諸国が反
シリア・ダマスカス
2011年
エジプト革命(タハリール広場)
チュニジアのジャスミン革命に触発され、2011年1月25日からタハリール広場で大規模な反政府デモが開始。「パンと自由と社会正義と人間の尊厳を」のスローガンのもと、18日間にわたる抗議の末、2月11日に
エジプト・カイロ
2011年
リビア内戦とカダフィの死
アラブの春の波及を受け、2011年2月にベンガジで反カダフィ蜂起が発生。カダフィ政権の武力鎮圧に対し、国連安保理決議を根拠にNATO軍が介入。約8か月の内戦の末、10月20日にカダフィが故郷シルトで逮
リビア・トリポリ〜シルト
2011年
南スーダン独立
2011年1月の住民投票で約99%が独立を支持し、7月9日に南スーダン共和国として独立。21世紀初の新国家誕生であり、アフリカ連合の54番目の加盟国となった。しかし2013年12月にサルバ・キール大統
南スーダン・ジュバ
2011年2月22日
クライストチャーチ地震
2011年2月22日12時51分(昼食時間帯)にマグニチュード6.3の直下型地震がクライストチャーチを襲い、185名が死亡(うち日本人28名を含む外国人115名)。CTVビルとパインゴールドビルの倒壊
ニュージーランド・クライストチャーチ
2011年3月11日
東日本大震災と福島第一原発事故
2011年3月11日14時46分、宮城県沖を震源とするモーメントマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。最大震度7を記録し、巨大津波が東北地方太平洋沿岸を襲った。津波の最大遡上高は40.1メートル(
日本・東北地方太平洋沖
2012年〜
K-POPとBTSの世界的成功
BTS(防弾少年団、2013年デビュー)がBillboard Hot 100で1位を獲得(2020年「Dynamite」)し、K-POPの世界的地位を確立。BLACKPINK、TWICEなども世界的人
韓国・ソウル
2012年7月4日
CERNでのヒッグス粒子発見
CERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)のATLAS実験とCMS実験が、ヒッグス粒子(ヒッグス・ボソン)の発見を発表。1964年にピーター・ヒッグスらが予言した素粒子で、他の素粒子に質量を与えるメ
スイス・ジュネーヴ郊外
2013年〜
習近平体制と一帯一路
2012年に中共総書記に就任した習近平が反腐敗運動を推進しつつ権力を集中。2013年に一帯一路構想を提唱し、インフラ投資を通じた国際的影響力の拡大を図る。2018年に国家主席の任期制限を撤廃。
中国・北京
2014年
モディ政権の発足
ナレンドラ・モディ率いるBJP(インド人民党)が総選挙で圧勝し政権を獲得。1984年以来の単独過半数。経済改革(高額紙幣廃止、GST導入)、ヒンドゥー・ナショナリズム路線、外交の積極化を推進。2019
南アジア・ニューデリー
2014年〜2019年
ISISの台頭と崩壊
イスラム国(ISIS/ISIL/ダーイシュ)はイラク・シリアの広大な領域を制圧し、アブー・バクル・アル・バグダーディーがモスルの大モスクで「カリフ」を自称(2014年6月)。残虐な統治・斬首動画・文化
イラク・モスル
2014〜2016年
エボラ出血熱の流行(西アフリカ)
2013年12月にギニアの農村で始まったエボラ出血熱が西アフリカ3カ国に拡大し、史上最大のエボラ流行となった。約2万8千人が感染し、約1万1千人が死亡。致死率は約40%。医療従事者の感染・死亡が医療シ
ギニア・シエラレオネ・リベリア
2014年
クリミア併合とドンバス紛争
ユーロマイダン革命でヤヌコヴィチ大統領が追放された後、ロシアが「リトルグリーンメン」(標識のない兵士)でクリミア半島を占領。住民投票を経てロシアに併合を宣言した。続いてドンバス地方でロシアが支援する分
ウクライナ・クリミア半島・ドンバス
2015年
イラン核合意(JCPOA)
イランとP5+1(米英仏露中+独)が包括的共同行動計画(JCPOA)に合意。イランがウラン濃縮活動を制限し国際査察を受け入れる代わりに、経済制裁が解除される内容。2018年にトランプ大統領が一方的に離
イラン・テヘラン
2015年11月13日
パリ同時多発テロ
ISISに忠誠を誓う実行犯がパリの6カ所を同時攻撃。バタクラン劇場ではイーグルス・オブ・デス・メタルのコンサート中に銃撃が行われ、89人が死亡。スタッド・ド・フランスでは仏独サッカー親善試合中に自爆テ
フランス・パリ
2015-2016年
欧州難民危機
シリア内戦、アフガニスタン、アフリカの紛争から約100万人以上がヨーロッパに流入した。トルコからゴムボートでエーゲ海を渡り、ギリシャ経由でバルカン半島を北上しドイツを目指す人々の波がヨーロッパを揺るが
ヨーロッパ全域
2015年
パリ協定の採択
2015年12月12日、196カ国が参加するCOP21でパリ協定が採択された。産業革命前からの世界平均気温上昇を2度未満、できれば1.5度以内に抑えることを目標に掲げた。各国が自主的に削減目標(NDC
フランス・パリ
2016年〜2017年
キャンドル革命と朴槿恵弾劾
崔順実の国政介入疑惑を機に、毎週土曜日にソウルで大規模なキャンドル集会が開催された。延べ1,700万人が参加したとされる完全に平和的な市民運動で、2017年3月10日に憲法裁判所が朴槿恵大統領の弾劾を
韓国・ソウル
2016年/2020年
ブレグジット(イギリスのEU離脱)
2016年6月23日の国民投票で51.9%対48.1%の僅差でEU離脱が決定。キャメロン首相は辞任し、メイ、ジョンソンと首相が交代する中、3年以上の交渉を経て2020年1月31日に正式離脱。移行期間を
イギリス・ロンドン
2016年
コロンビア和平合意(政府とFARC)
2016年11月24日、コロンビア政府とコロンビア革命軍(FARC-EP)が最終和平合意に署名し、52年間にわたる武力紛争に終止符を打った。サントス大統領とFARC指導者ティモシェンコ(ロドリゴ・ロン
南米・コロンビア
2017年
ロヒンギャ危機
ミャンマー国軍がラカイン州のロヒンギャ(イスラム教徒少数民族)に対する大規模な軍事作戦を展開。村落の焼き打ち、殺害、性暴力が組織的に行われ、約74万人がバングラデシュに避難。国連は「ジェノサイドの意図
ミャンマー・ラカイン州
2019年
パガン遺跡群の世界遺産登録
パガン朝(1044-1287年)時代に建設された約4,000の仏教建造物のうち約2,000が現存。アーナンダ寺院(白亜の十字形平面)、タビニュ寺院(パガン最高の65m)、シュエジーゴン・パゴダ(金箔の
ミャンマー・バガン
2019年12月-
COVID-19パンデミック
2019年12月に中国・武漢で新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症が初めて確認された。2020年1月にWHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言、3月にパンデミックを宣
中国・武漢(発生地)、世界全域
2020年〜2023年
COVID-19パンデミック(日本)
2020年1月に日本国内初のCOVID-19感染者が確認され、以後3年以上にわたりパンデミックが続いた。2020年4月に初の緊急事態宣言が発令され、外出自粛・休業要請が行われた。日本は欧米に比べ死亡率
日本
2020年
韓国映画『パラサイト』アカデミー賞受賞
ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が第92回アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚本賞・国際長編映画賞の4冠を達成。非英語映画として初の作品賞受賞。韓国の社会的格差をブラックコメディとスリラーで
韓国・ソウル
2020年
アブラハム合意
米国の仲介でUAE(アラブ首長国連邦)とバーレーンがイスラエルとの国交正常化に合意。その後モロッコとスーダンも加わった。パレスチナ問題の解決なしにアラブ諸国がイスラエルを承認した初の事例であり、イラン
UAE・アブダビ
2020-2022年
COVID-19パンデミック(ヨーロッパ)
2020年初頭にイタリアから欧州全域に拡大したCOVID-19パンデミック。多くの国がロックダウン(都市封鎖)を実施し、経済・社会活動が大幅に制限された。EU域内の国境が一時閉鎖され、シェンゲン体制が
ヨーロッパ全域
2020年5月25日
ジョージ・フロイド事件とBLM運動
2020年5月25日、ミネアポリスでアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが白人警察官デレク・ショーヴィンに約9分半にわたり膝で首を押さえつけられ死亡。「息ができない」(I can't breath
北アメリカ・ミネソタ
2021年7月〜8月
東京オリンピック2020
2020年東京オリンピックはCOVID-19パンデミックにより1年延期され、2021年7月23日から8月8日まで開催された。33競技339種目が実施され、日本は金メダル27個を獲得して過去最多を記録。
日本・東京
2021年2月1日
ミャンマー軍事クーデター
ミャンマー国軍(タマドー)のミン・アウン・フライン総司令官が、2020年11月の総選挙における不正を主張してクーデタを敢行。アウンサンスーチー国家顧問を拘束し、非常事態を宣言。市民による大規模な不服従
ミャンマー・ネーピードー
2021年1月6日
連邦議会議事堂襲撃事件
2021年1月6日、トランプ前大統領の支持者約2000人が2020年大統領選挙の結果認定手続き中の連邦議会議事堂に侵入。議員や副大統領ペンスは避難を余儀なくされ、認定手続きは一時中断された。5人が死亡
北アメリカ・ワシントンD.C.
2022年7月8日
安倍晋三銃撃事件
2022年7月8日、安倍晋三元首相が奈良市で参議院選挙の応援演説中に手製の銃で背後から銃撃され死亡した。容疑者の山上徹也は、母親が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への多額の献金で家庭崩壊したことへの
日本・奈良
2022年2月24日〜
ウクライナ戦争(ロシアの全面侵攻)
プーチン大統領が「特別軍事作戦」と称してウクライナに全面侵攻を開始。キーウの速攻占領は失敗し、ゼレンスキー大統領の指導のもとウクライナ軍が頑強に抵抗。ブチャ虐殺、マリウポリ包囲、ザポリージャ原発占拠な
ウクライナ全域
2022年〜
ロシアによるウクライナ全面侵攻
2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領は「特別軍事作戦」を宣言し、ウクライナに対する全面的な軍事侵攻を開始した。ロシア軍は北部(ベラルーシ方面からキーウへ)、東部(ドンバス)、南部(クリミアから
ウクライナ
2022年〜
AI革命とChatGPTの登場
2022年11月30日、OpenAIがChatGPTを公開し、2ヶ月で1億人のユーザーを獲得した。大規模言語モデル(LLM)に基づく対話型AIは、自然言語による人間との高度な対話を実現し、テキスト生成
アメリカ・サンフランシスコ
2023年8月23日
ISROの月探査機チャンドラヤーン3号成功
インド宇宙研究機関(ISRO)の月探査機チャンドラヤーン3号が月の南極付近に軟着陸に成功。インドは旧ソ連、アメリカ、中国に次ぐ4番目の月面軟着陸国となった。月の南極域への着陸は世界初。探査車「プラギャ
南アジア・タミルナードゥ