探検・発見の歴史
35件の歴史的出来事
約360万年前(発見1978年)
ラエトリの足跡化石
メアリー・リーキーのチームが1978年に発見した約360万年前の二足歩行の足跡化石。約27mにわたって2個体(おそらく3個体)の足跡が並行して保存されている。現代人と酷似した足型で、直立二足歩行が36
タンザニア・ラエトリ
約320万年前(発見1974年)
ルーシーの発見(アウストラロピテクス・アファレンシス)
1974年にドナルド・ジョハンソンがエチオピアのハダールで発見した約320万年前の女性の類人猿化石。全骨格の約40%が保存されており、直立二足歩行をしていたことが証明された。発見時にキャンプで流れてい
エチオピア・ハダール
約180万年前
オルドヴァイ峡谷の初期人類化石発見地
ルイス・リーキーとメアリー・リーキーが1959年にジンジャントロプス・ボイセイ(パラントロプス・ボイセイ)を発見。その後ホモ・ハビリス(約180万年前)の化石も発見され、人類の道具使用の起源を示すオル
タンザニア・オルドヴァイ峡谷
約50万年前
北京原人の発見
1929年、裴文中が周口店龍骨山の洞窟から完全な頭蓋骨を発見。ホモ・エレクトス(北京原人、シナントロプス・ペキネンシス)と命名された。約50万年前の人類化石で、火の使用と石器製作の証拠が発見された。し
中国・北京周口店
紀元前1000年頃〜前332年
フェニキア都市テュロスの海上帝国
テュロスはフェニキア最有力の海洋都市国家として、地中海全域に交易ネットワークを展開した。紫の染料(テュリアン・パープル)の生産で知られ、カルタゴをはじめ北アフリカ・イベリア半島に多数の植民都市を建設。
レヴァント・テュロス
紀元前5世紀〜前3世紀
パジリク古墳群の発見
1929年にソ連の考古学者ルデンコにより発掘されたスキタイ系遊牧民の古墳群。冷凍保存により世界最古のパイル織りカーペット(パジリク・カーペット)、精巧な馬具、刺青のある冷凍ミイラ(「アイス・プリンセス
中央アジア・アルタイ山脈
紀元前138年〜前126年
張騫の西域派遣とシルクロード開拓
紀元前138年、武帝は大月氏と同盟して匈奴を挟撃する目的で張騫を西域に派遣。張騫は匈奴に捕らえられ10年間抑留された後、脱出して大月氏に到達したが同盟は実現しなかった。しかし13年後に帰還した張騫がも
中央アジア
紀元前138年〜前126年
張騫の西域旅行
漢の武帝が匈奴挟撃のため大月氏と同盟を結ぶべく派遣した外交使節。匈奴に捕らわれ10年間拘束された後に脱出し、大月氏のもとに到達したが同盟は成立せず帰還。しかし西域の地理・民族・産物に関する貴重な情報を
中央アジア・ソグディアナ
73年〜102年
班超の西域経営
後漢の班超が西域都護として31年間にわたり中央アジアを経営。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の名言で知られる。匈奴の勢力を排除し、シルクロード交易を復活。部下の甘英をローマ帝国(大秦国)に派遣した。
中央アジア・西域
399年〜412年
法顕のインド求法旅行
東晋の僧・法顕が65歳で長安を出発し、西域経由でインドに到達。仏跡を巡礼し戒律の原典を収集。帰国後『仏国記(法顕伝)』を著し、5世紀初頭の中央アジア・インドの詳細な地誌を残した。
中国〜インド〜スリランカ
629年〜645年
玄奘のインド旅行
唐の僧・玄奘が国禁を犯して出国し、シルクロードを経てインドに到達。ナーランダ僧院で唯識学を学び、657部の経典を持ち帰った。太宗の支援で大慈恩寺で翻訳事業を行い、『大唐西域記』を著した。
中国〜中央アジア〜インド
874年頃
バイキングのアイスランド入植
ノルウェーの首長インゴルフル・アルナルソンが最初の恒久的入植者としてアイスランドに到着し、レイキャヴィーク(煙の入り江)に定住した。その後約60年間で約2万人のノース人がアイスランドに移住し、930年
アイスランド
1250年頃〜1350年頃
マオリのニュージーランド入植
東ポリネシア(おそらくクック諸島やソシエテ諸島周辺)からの航海者が大型二重カヌーでアオテアロア(ニュージーランド)に到達。口承伝統ではクペが最初の発見者とされ、その後複数のワカ(カヌー)による大移住が
ニュージーランド・北島
1275年〜1292年
マルコ・ポーロの元朝訪問
ヴェネツィア商人マルコ・ポーロが父・叔父と共に元のクビライに仕えた。17年間の滞在中に中国各地・東南アジアを歴訪。帰国後に口述した『東方見聞録』はヨーロッパに東方世界への憧憬を広めた。
中国・大都(北京)
1405年〜1433年
鄭和の大航海
永楽帝の命を受けた宦官・鄭和が7回にわたり大艦隊を率いて遠洋航海。最大時は船舶200隻以上、乗員2万7千人以上。東南アジア・インド・アラビア・東アフリカの30カ国以上を歴訪し、朝貢関係を構築。
東南アジア〜インド洋〜東アフリカ
1488年
バルトロメウ・ディアスの喜望峰到達
ポルトガルの航海者バルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸の南端を初めて回航した。嵐に流されてアフリカ南端を通過し、東海岸のアルゴア湾に到達。帰路に岬を発見し「嵐の岬(カボ・ダス・トルメンタス)」と命名し
南アフリカ・喜望峰
1492年10月12日
コロンブスのアメリカ到達
ジェノヴァ出身の航海者クリストファー・コロンブスが、スペインのイサベル1世とフェルナンド2世の支援を受け、3隻の船(サンタ・マリア、ピンタ、ニーニャ)でバハマ諸島に到達した。大西洋横断に約5週間を要し
カリブ海・バハマ諸島
1492年
コロンブスの新大陸到達
ジェノヴァ出身のクリストーファー・コロンブスがスペイン王室の支援を受け、3隻の船(サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号)で大西洋を横断。1492年10月12日にバハマ諸島に到達した。イスパニョーラ島
カリブ海・イスパニョーラ島
1498年5月20日
ヴァスコ・ダ・ガマのインド到達
ポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマが4隻の船団でリスボンを出航し、喜望峰を回ってインドのカリカットに到達した。往路約10ヶ月の航海で、アフリカ東岸のマリンディでアラブ人水先案内人を雇い入れた。香辛料
インド・カリカット
1498年
ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓
1497年7月にリスボンを出航したヴァスコ・ダ・ガマは、1498年5月20日にインドのカリカットに到達。ヨーロッパからインドへの海上直行ルートの開拓に成功した。アフリカ東岸のモザンビーク、モンバサ、マ
インド洋・ポルトガル〜インド
1500年
ポルトガルのブラジル植民地化
ペドロ・アルヴァレス・カブラルが1500年4月22日にブラジルに到達。当初はパウ・ブラジル(染料用の赤い木材)の採取が主目的であったが、16世紀半ばから北東部でサトウキビ・プランテーションが急速に発展
南アメリカ・ブラジル
1519〜1522年
マゼランの世界一周航海
フェルディナンド・マゼラン(ポルトガル人、スペイン王室の支援)が1519年9月にセビリアを5隻の船で出航。南アメリカ南端の海峡(マゼラン海峡)を発見・通過して太平洋に入り、1521年4月にフィリピンの
世界全域
1521年
マゼランのフィリピン到来とラプラプの抵抗
世界一周航海中のフェルディナンド・マゼランがフィリピン諸島に到達。セブ島の首長フマボンをキリスト教に改宗させたが、マクタン島の首長ラプラプとの戦闘で戦死(マクタンの戦い、1521年4月27日)。ラプラ
フィリピン・セブ島〜マクタン島
1521年
マゼラン艦隊の太平洋横断
ポルトガル人航海者フェルディナンド・マゼランが率いるスペイン艦隊が、1520年11月にマゼラン海峡を通過し太平洋に入った。穏やかな海況から「太平洋(Mar Pacífico)」と命名。約3カ月半の航海
太平洋
1539〜1542年
エルナンド・デ・ソトの北アメリカ探検
スペインのコンキスタドールがフロリダからアーカンソーまで約6400kmを踏破した北アメリカ内陸部最初の大規模探検。約600人の兵と200頭以上の馬を率い、1541年にヨーロッパ人として初めてミシシッピ
北アメリカ・南東部
16世紀〜現在
北極航路の探検と開拓
16世紀以来、ヨーロッパからアジアへの近道として北西航路の探索が繰り返された。フロビッシャー(1576年)、ハドソン(1610年)、フランクリン(1845年、全員死亡)らの探検は失敗に終わり、ロアール
北極海
16世紀後半〜17世紀
バンデイランテスの奥地探検
サンパウロを拠点としたポルトガル系・メスティソの探検隊(バンデイラ)がブラジル内陸部を探索した。目的は先住民の奴隷狩り、鉱物資源の探索、イエズス会ミッションの破壊であった。バンデイランテスの活動はトル
南アメリカ・ブラジル
1642年
タスマンのニュージーランド到達
オランダ東インド会社の命を受けたアベル・タスマンが、バタビア(ジャカルタ)から南方大陸「テラ・アウストラリス」探索に出航。1642年11月にタスマニア島(当初「ファン・ディーメンスラント」と命名)に到
ニュージーランド・南島西岸
1769年〜1770年
クック船長のニュージーランド測量航海
イギリス海軍のジェームズ・クック中尉がHMSエンデヴァー号で第1回航海の途上、1769年10月にニュージーランド北島東岸のポバティー湾に到達。約6カ月をかけてニュージーランドの海岸線を周航し、驚異的な
ニュージーランド
1779年
クック船長のハワイでの死
第3回航海中のジェームズ・クック船長が1779年2月14日、ハワイ島ケアラケクア湾でハワイ先住民との衝突により殺害された。クックは1778年1月にハワイ諸島を「発見」(ヨーロッパ人として初)し、マカヒ
ハワイ・ケアラケクア湾
1804〜1806年
ルイスとクラークの探検
メリウェザー・ルイス大尉とウィリアム・クラーク少尉が率いる約45人の「発見隊」がルイジアナ領土と太平洋岸を探検。1804年5月にセントルイスを出発し、1805年11月に太平洋に到達、1806年9月に帰
北アメリカ・西部
1841〜1873年
リヴィングストンの探検とスタンリーの遭遇
スコットランド人宣教師デイヴィッド・リヴィングストンが約30年にわたってアフリカ内陸部を探検。ヴィクトリア瀑布の「発見」(1855年)、アラブ人奴隷貿易の告発で知られる。1871年にウジジでニューヨー
東アフリカ・中央アフリカ全域
1860年
アンコール・ワットの「再発見」
フランスの博物学者アンリ・ムオが西洋世界にアンコール遺跡群を紹介。実際には遺跡は地元民や僧侶に知られ続けており、完全な「発見」ではなかったが、ムオの著作『シャム・カンボジア・ラオス紀行』がヨーロッパで
カンボジア・アンコール
1911年12月14日
アムンセンの南極点到達
ノルウェーのロアール・アムンセンが5人のチームと犬橇で1911年12月14日に南極点に到達。ライバルのイギリスのロバート・ファルコン・スコットに約35日先着した。アムンセンはホエール湾(ロス棚氷)から
南極
1976年〜
ポリネシアの航海術復興(ホクレア号)
1976年、伝統的な二重カヌー「ホクレア号」がハワイからタヒチへの約4000kmの航海に成功。マウ・ピアイルグがミクロネシアの伝統航海術を用いてコンパスや計器なしで導いた。この航海はポリネシア人が偶然
オセアニア・ハワイ〜ポリネシア