社会・経済の歴史

110件の歴史的出来事

紀元前8000年頃〜
黒曜石交易ネットワークの形成
信州和田峠・星糞峠産の黒曜石は、縄文時代を通じて北海道から九州まで広範囲に流通した。黒曜石の原産地分析により、数百キロに及ぶ交易ネットワークの存在が判明。神津島産黒曜石の本土への搬入は、縄文人の航海能
日本・長野
紀元前5000年頃〜
翡翠交易ネットワークの形成
糸魚川産翡翠は縄文時代中期以降、大珠や勾玉に加工され、北海道から沖縄まで日本列島全域に流通した。翡翠の加工は高度な技術を要し、糸魚川周辺に専門的な加工集団が存在したと推定される。
日本・新潟
紀元前3000年頃〜紀元前1000年頃
加曽利貝塚の形成
日本最大級の貝塚遺跡。北貝塚(縄文中期)と南貝塚(縄文後期)からなる直径約140メートルの環状貝塚。竪穴住居跡、墓壙、土器・石器・骨角器が大量に出土し、縄文時代の生活実態を総合的に示す。
日本・千葉
紀元前2000年頃
大森貝塚の形成
縄文後期から晩期にかけて形成された貝塚。1877年にエドワード・モースが発見し、日本初の学術的発掘調査が行われた。ハマグリ、アサリなどの貝殻層と共に土器・骨角器が出土し、日本考古学の出発点となった。
日本・東京
紀元前1500年頃〜前1000年頃
アーリア人の南アジアへの移動
インド・アーリア語族の集団が中央アジア方面から南アジアへ段階的に移動・定住した。馬と戦車を伴い、リグ・ヴェーダに描かれた牧畜社会を形成。先住民との相互作用を経て、ヴェーダ文化が成立した。遺伝学的研究に
南アジア・パンジャーブ
紀元前1200〜300年頃
フェニキア人の地中海交易網の確立
フェニキア人は地中海全域に交易拠点を建設し、紫の染料(ティリアン・パープル)、ガラス、杉材、金属加工品を交易した。カルタゴ(紀元前814年建設)を含む植民都市を北アフリカ、イベリア半島、シチリアに建設
地中海・レバント
紀元前1000年〜1500年頃
バンツー民族の大移動
バンツー語族の人々が約2500年かけて西アフリカからサブサハラアフリカのほぼ全域に拡散した大規模な民族移動。鉄器技術と農耕(ヤムイモ、バナナ)を携えて移動し、先住の狩猟採集民(サン人、ピグミー)を同化
アフリカ中南部全域
紀元前300年頃〜15世紀
インド洋モンスーン航路の発達
紀元前1世紀のギリシャ商人ヒッパロスがモンスーンの法則を「発見」(実際にはインド・アラブ商人は以前から利用)して以降、ローマ帝国とインド亜大陸の間の直接交易が活発化。香辛料、絹、宝石、ガラスなどが取引
インド洋
紀元前30年頃〜紀元220年頃
サータヴァーハナ朝とローマとの海上交易
デカン高原を支配したサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)は、ローマ帝国との活発な海上交易で繁栄した。香辛料、宝石、絹、象牙をローマに輸出し、金貨やワイン、ガラス器を輸入。『エリュトゥラー海案内記』に交易
南アジア・デカン高原
42年頃〜562年
伽耶諸国の成立と鉄生産
洛東江流域に金官伽耶(金海)を中心とする複数の小国連合が成立。特に良質な鉄の生産・交易で知られ、「国際市場」として機能した。『三国志魏志東夷伝』は弁韓の鉄が楽浪・帯方・倭にまで輸出されていたと記す。5
朝鮮半島南部・洛東江流域
4世紀〜10世紀頃
ソグド人の交易ネットワーク
イラン系のソグド人はシルクロード交易の最も重要な担い手であった。サマルカンド、ブハラ、ペンジケントを拠点に、絹・ガラス・金属製品・香料を扱う広域交易ネットワークを構築。ソグド語はシルクロードの国際語と
中央アジア・ソグディアナ
3〜16世紀
トランスサハラ交易路の発展
3世紀頃のラクダの北アフリカ導入以降、サハラ砂漠を横断する定期的な商業ルートが確立された。北からは塩、馬、布、銅、書籍が、南からは金、象牙、奴隷、コーラの実が運ばれた。最盛期には年間数千頭のラクダが隊
サハラ砂漠全域
5世紀〜6世紀
秦氏による太秦開発
朝鮮半島から渡来した秦氏が山城国を中心に大規模な開発を行った。養蚕・機織り技術に優れ、「秦」の名は機織り(はた)に由来するとも。広隆寺を氏寺として建立し、弥勒菩薩半跏思惟像(国宝第一号)を安置。
日本・京都
485年〜
均田制と府兵制の確立
北魏の孝文帝が均田制(国有地を農民に均等配分する制度)を施行。隋唐で府兵制(農民に土地を与え兵役を課す制度)と組み合わせて完成。租庸調制(税制)と三位一体で律令国家の経済的基盤を形成。
中国・華北
520年頃
新羅の骨品制の確立
新羅の法興王(在位514-540年)が律令を頒布し、骨品制を公的制度として整備した。聖骨・真骨・六頭品〜一頭品の身分序列で、就任可能な官位、住居の大きさ、衣服の色まで細かく規定した。王位は当初聖骨のみ
新羅・慶州
576年
新羅の花郎道
新羅の真興王が花郎道を公的制度として確立。貴族の青年を花郎(花郎徒)として組織し、山川遊歴を通じた心身鍛錬、歌舞、仏教修行、軍事訓練を行った。圓光法師の「世俗五戒」(事君以忠・事親以孝・交友以信・臨戦
新羅・慶州
708年
和同開珎の鋳造
武蔵国秩父での和銅発見を機に、元号を「和銅」に改め、日本初の本格的流通貨幣・和同開珎が鋳造された。唐の開元通宝を模した円形方孔の銅銭。蓄銭叙位令(711年)により貨幣蓄積を奨励したが、地方への浸透は限
日本・奈良
710年〜784年
平城京の市と商業活動
平城京には東市・西市の二つの公設市場が設けられ、市司が物価統制と取引監視を行った。和同開珎(708年鋳造)をはじめとする貨幣が流通し、絹・布・米・塩・鉄器・陶器など多様な商品が取引された。人口10万人
日本・奈良
723年
三世一身法の制定
新たに灌漑施設を造って開墾した者は3代、既存の施設を利用して開墾した者は本人1代に限り土地の私有を認める法令。班田収授法の行き詰まりを打開するため、開墾奨励策として制定された。
日本・奈良
743年
墾田永年私財法の制定
新たに開墾した土地の永久私有を認める法令。723年の三世一身法(3代限りの私有)を発展させ、開墾意欲をさらに高めるために永久私有化を認めた。貴族・寺社による大規模開墾が活発化し、荘園制の発展を促した。
日本・奈良
780年
両税法の施行
宰相・楊炎の建議により、従来の租庸調制に代わり両税法を施行。夏と秋の年2回、資産額に応じて銭と穀物で徴税する制度。均田制の崩壊と荘園制の拡大を追認し、現実に即した税制に転換した。
中国・全土
828年〜846年
張保皐の清海鎮と海上王国
新羅人・張保皐は唐で武人として活躍した後、帰国して莞島に清海鎮を設立。私兵1万を率いて海賊を掃討し、新羅・唐・日本を結ぶ東アジア海上交易ネットワークを支配した。事実上の「海上王国」を建設したが、新羅王
新羅・莞島
10世紀頃
封建制度の確立
カロリング帝国の崩壊、バイキング・マジャール・サラセンの侵入により中央権力が機能しなくなる中で、主従関係(家臣制度)と恩貸地(封土)を核とする封建制が西ヨーロッパに定着した。領主は家臣に土地を与え、家
西ヨーロッパ全域
10〜15世紀
キルワ・キシワニの繁栄(スワヒリ都市国家)
スワヒリ海岸の都市国家群の中で最も繁栄した交易都市。インド洋交易を通じてインド、中国、ペルシアと結ばれ、金、象牙、奴隷を輸出し、陶磁器、布、ガラスビーズを輸入した。14世紀にはイブン・バットゥータが訪
タンザニア・キルワ
11〜19世紀初頭
ハウサ諸都市国家の繁栄
カノ、カツィナ、ザリア、ゴビルなど7つのハウサ都市国家が並立し、トランスサハラ交易と手工業(皮革加工、染色、織物)で繁栄。カノ年代記は11世紀からの都市の歴史を記録。イスラム化は14世紀以降に進み、学
ナイジェリア北部・カノ
1024年
交子の発行(世界初の紙幣)
北宋政府が四川で民間発行の交子(手形)を公的紙幣として制度化。世界初の政府発行紙幣。当初は兌換紙幣として銅銭との交換を保証していたが、次第に過剰発行によりインフレーションを引き起こした。
中国・四川(成都)
1138年〜1276年
南宋の臨安繁栄と海上貿易
南宋は臨安(杭州)を「行在」(仮の都)と称し首都とした。人口は100万人を超え、マルコ・ポーロに「世界最大最美の都市」と評された。泉州を中心に東南アジア・インド・アラブとの海上貿易が発展。
中国・臨安(杭州)
1162年頃〜
日宋貿易の振興と大輪田泊の整備
平清盛が国家事業として推進した宋との貿易。大輪田泊を大改修し、宋の商船を直接受け入れる体制を整えた。宋銭の大量輸入は日本の貨幣経済を活性化させ、絹・香料・陶磁器・書籍などの輸入は文化にも大きな影響を与
日本・兵庫
13世紀〜15世紀
ハンザ同盟の繁栄
リューベックとハンブルクの同盟(1241年)を起源とし、最盛期には約200の都市が加盟した北ドイツの商業同盟。ノヴゴロド、ベルゲン、ブリュージュ、ロンドンに商館(コントール)を設置し、バルト海・北海の
北ドイツ・バルト海
13世紀〜14世紀
駅伝制(ジャムチ)とパクス・モンゴリカ
モンゴル帝国が整備した駅伝制度(ジャムチ)により、中国から東欧まで最速2週間で情報が伝達可能に。パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)の下で東西交易が空前の規模に。ペスト(黒死病)もこの交通路で伝播した
ユーラシア大陸全域
1324〜1325年
マンサ・ムーサのメッカ巡礼
マリ帝国の王マンサ・ムーサが約6万人の随行員と大量の黄金を携えてメッカ巡礼に出発。カイロでは金をばらまき、金の市場価格が10年以上にわたって下落した。この巡礼により西アフリカの富がヨーロッパ・イスラム
マリ・トンブクトゥ〜エジプト・カイロ〜メッカ
朝鮮時代全期
朝鮮の身分制度と両班文化
朝鮮の身分は両班・中人・常民・賤民の四身分に大別された。両班(文班・武班)は科挙を通じて官職に就く支配層で、人口の約10%。中人は技術官僚、常民は農民、賤民は奴婢・白丁など。18世紀以降、経済力を持つ
朝鮮全域
15世紀〜現在
東南アジアの華僑ネットワーク
中国南部(福建・広東・海南)からの移民が東南アジア各地に定着し、交易・商業ネットワークを構築。植民地時代には欧州勢力の仲介商として経済的地位を確立。現在も東南アジアの経済で華人系が支配的な地位を占める
東南アジア全域
15世紀〜17世紀
モルッカ諸島の香辛料貿易
「香辛料諸島」として知られたモルッカ諸島は、丁子とナツメグの世界唯一の産地として数世紀にわたり世界経済を動かした。ポルトガル(1512年到達)、スペイン、オランダ(VOC)が争奪戦を展開。VOCは16
インドネシア・モルッカ諸島(マルク諸島)
16世紀〜17世紀
景徳鎮磁器と銀の大量流入
明代の景徳鎮は世界最大の磁器生産地となり、年間数百万点を生産。ポルトガル・オランダ・スペインの商人が大量に購入し、メキシコ銀・日本銀が対価として中国に流入。マニラのガレオン貿易が環太平洋の銀経済を形成
中国・江西省景徳鎮
16〜19世紀初頭
大西洋奴隷貿易の拡大
15世紀のポルトガルの進出に始まり、16-19世紀にかけて約1200万人のアフリカ人が大西洋を越えてアメリカ大陸に強制移送された。「三角貿易」(ヨーロッパの工業製品→アフリカの奴隷→アメリカの砂糖・綿
西アフリカ沿岸全域
16世紀〜17世紀
香辛料諸島(モルッカ諸島)の争奪
丁子(クローブ)とナツメグの世界唯一の産地であったモルッカ諸島をめぐり、ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリスが争奪戦を展開。オランダVOCが最終的に支配権を確立し、バンダ諸島では住民を虐殺・追放し
インドネシア・モルッカ諸島
16〜19世紀
大西洋奴隷貿易と三角貿易
16-19世紀にわたる大西洋を横断した人類史上最大規模の強制移住。推定1200万〜1500万人のアフリカ人が奴隷として新大陸に輸送され、「中間航路」(大西洋横断航海)では約200万人が航海中に死亡した
大西洋世界
1545年
ポトシ銀山の発見と操業開始
ディエゴ・ワルパが1545年に発見したとされる世界最大の銀鉱山。16-17世紀にかけて世界の銀生産の約半分を占めた。最盛期の1650年頃、ポトシの人口は推定16万人に達し、当時のロンドンやパリを凌ぐ規
南アメリカ・ボリビア
1565〜1815年
マニラ・ガレオン貿易の開始
アカプルコ(メキシコ)とマニラ(フィリピン)を結ぶ太平洋横断貿易路。中国の絹・磁器・香辛料がマニラ経由でメキシコに運ばれ、ポトシ銀が対価として中国に流入した。年に1-2隻のガレオン船が往復し、1隻の貨
太平洋・メキシコ〜フィリピン
16世紀後半〜18世紀
ホイアンの日本橋と国際貿易港
16-17世紀に日本・中国・ポルトガル・オランダの商人が集まる東南アジア有数の国際貿易港として繁栄。日本人町には1,000人以上の日本人が居住し、日本橋(1593年建造とされる)は日本人コミュニティの
ベトナム・ホイアン
1600年
イギリス東インド会社の設立
1600年12月31日にエリザベス1世の勅許状により設立された東インド会社(EIC)。当初はインドネシアの香辛料貿易を目的としたが、オランダのVOCとの競争に敗れインドに軸足を移した。茶、綿織物、アヘ
イギリス・ロンドン
1602年3月20日
オランダ東インド会社(VOC)の設立
オランダ連邦議会の特許状により設立された世界初の株式会社。Vereenigde Oost-Indische Compagnie(VOC)は、喜望峰以東の貿易独占権、条約締結権、軍事行動権を持つ国家的企
オランダ・アムステルダム
17世紀前半
山田長政とアユタヤ日本人町
16世紀末〜17世紀初頭、東南アジア各地に日本人町が形成された。アユタヤの日本人町は最盛期に1,000〜1,500人が居住。駿河出身の山田長政は日本人傭兵隊を率いてアユタヤ王室の信任を得、オークヤー(
タイ・アユタヤ
1619年
オランダ東インド会社とバタヴィア建設
オランダ東インド会社(VOC)のヤン・ピーテルスゾーン・クーンがジャワ島のジャヤカルタを占領し、バタヴィア(現在のジャカルタ)を建設。東南アジアにおけるオランダ植民地帝国の首都として約350年間機能し
インドネシア・バタヴィア(ジャカルタ)
17世紀
大坂・堺の町人自治と商業発展
江戸時代の大坂は「天下の台所」として全国の物流を支配した。堂島米会所では先物取引が行われ、米価が全国の経済を左右した。諸藩の蔵屋敷が中之島に並び、蔵元・掛屋が金融を担った。淀屋・鴻池など豪商が経済の実
日本・大坂
1637年2月
チューリップ・バブル
オランダで発生した世界初の投機バブル。珍しい品種のチューリップ球根の価格が異常に高騰し、「永遠のアウグストゥス」という品種の球根1個がアムステルダムの運河沿いの住宅1軒分の価格(約1万ギルダー)に達し
オランダ
1673年
三井高利の越後屋と商業革命
三井高利が江戸に越後屋呉服店を開業し、「現金掛け値なし」「店前売り」の革新的商法を開始。従来の掛売り・訪問販売に代わる定価現金販売は商業革命と呼ばれ、庶民にも高級呉服を手の届くものにした。三井財閥の起
日本・江戸/大阪
1692〜1693年
セイラム魔女裁判
1692年2月に始まった一連の魔女裁判で、200人以上が告発され、19人が絞首刑、1人が圧殺刑で処刑された。少女たちの「憑依」症状を発端に、告発の連鎖がコミュニティ全体を巻き込んだ。スペクトラル・エビ
北アメリカ・マサチューセッツ
1697〜1791年
サン=ドマング(ハイチ)の砂糖プランテーション
フランス植民地サン=ドマングは18世紀にカリブ海最大の砂糖生産地となり、フランスの植民地収入の40%以上を占めた。約50万人の奴隷が約8000のプランテーションで過酷な労働に従事した。奴隷の死亡率は出
カリブ海・ハイチ
18〜19世紀
寺子屋と江戸の教育普及
江戸時代に全国に普及した寺子屋は庶民の初等教育機関。読み・書き・算盤(そろばん)を教え、幕末には全国に1万5千〜2万の寺子屋があったとされる。識字率は当時の世界でも最高水準(男性約50-60%、女性約
日本・全国
1701年〜1703年
元禄赤穂事件(忠臣蔵)
赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に刃傷に及び切腹。赤穂浪士47人は約2年の潜伏の後、元禄15年12月14日に吉良邸に討ち入り、主君の仇を討った。浪士は切腹を命じられたが、その忠義は後世
日本・江戸〜兵庫
1807〜1888年
奴隷貿易の廃止
1807年にイギリスが奴隷貿易を禁止し、以後海軍力を用いて大西洋の奴隷船を取り締まった。ウィリアム・ウィルバーフォースの議会内闘争とクエーカー教徒らの廃止運動が原動力。1833年にイギリス帝国内の奴隷
イギリス・大西洋
1830年〜1870年
オランダ領東インドの強制栽培制度
オランダ総督ファン・デン・ボスが導入した植民地搾取制度。ジャワ島の農民は耕地の5分の1で指定作物を栽培し、収穫物をオランダ政府に納入する義務を課された。実際にはそれ以上の労働が強制され、飢饉と貧困が蔓
インドネシア・ジャワ島
1838-1857年
チャーティスト運動
人民憲章(People's Charter)に基づく6項目(男子普通選挙、秘密投票、議員歳費、財産資格の撤廃、均等選挙区、毎年議会)の実現を求めた労働者の大衆運動。三度の請願(1839年、1842年、
イギリス各地
1838〜1839年
涙の道(チェロキー族の強制移住)
1838-39年、アンドリュー・ジャクソン大統領のインディアン移住法(1830年)に基づき、チェロキー族約16000人がジョージアからオクラホマのインディアン準州に強制移住させられた。行軍中に約400
北アメリカ・南東部
1848〜1855年
カリフォルニア・ゴールドラッシュ
1848年1月24日、ジェームズ・マーシャルがサクラメント近郊のサッターズ・ミルで金を発見。ニュースが広まると世界中から約30万人の「フォーティナイナーズ」(49年者)がカリフォルニアに殺到した。サン
北アメリカ・カリフォルニア
19世紀後半〜20世紀
マレーシアの錫・ゴム産業の発展
19世紀後半にマレー半島の錫鉱山が開発され、世界の錫の約半分を産出。20世紀初頭にはヘンリー・リドリーの尽力でゴムのプランテーションが急速に拡大し、マレーシアは世界最大のゴム生産国となった。これらの産
マレーシア・半島部
1851年〜1860年代
オーストラリアのゴールドラッシュ
1851年2月にニューサウスウェールズのバサーストで、同年8月にビクトリアのバララットとベンディゴで大規模な金鉱が発見された。世界中から採掘者が殺到し、ビクトリア植民地の人口は数年で3倍に膨れ上がった
オーストラリア・ビクトリア
1861年
ロシア農奴解放令
アレクサンドル2世が約2,300万人の農奴の人格的自由を宣言。農奴は法的に自由な身分となったが、土地は地主から購入する必要があり、その代金は49年間の年賦で国に返済する義務を負った。村共同体(ミール)
ロシア帝国全域
1864年
第一インターナショナル設立
国際労働者協会(第一インターナショナル)がロンドンで設立。マルクスが事実上の指導者として規約と綱領を起草した。ヨーロッパ各国の労働組合・社会主義団体を結集しようとしたが、マルクス派とバクーニンの無政府
イギリス・ロンドン
1872年
富岡製糸場の開業と殖産興業
明治政府が殖産興業政策の模範工場として設立した官営製糸場。フランスの最新技術を導入し、日本の近代製糸業の発展を牽引。生糸は明治期最大の輸出品となり、日本の工業化を支えた。2014年にユネスコ世界文化遺
日本・群馬
1879年〜1912年
アマゾンのゴム・ブーム
自動車産業の勃興と自転車の普及によるゴム需要の急増を背景に、アマゾン地域は世界のゴム生産を独占した。マナウスは「熱帯のパリ」と呼ばれ、アマゾナス劇場(1896年開場)などの豪華な建築が建設された。ゴム
ブラジル・マナウス
1880年〜1914年
アルゼンチンの黄金時代と移民の波
1880年から第一次世界大戦までの時期にアルゼンチンは世界有数の経済大国に急成長した。冷凍船技術の発達により牛肉のヨーロッパ輸出が可能となり、小麦輸出も急増。イタリア、スペイン、東欧から約600万人の
アルゼンチン・ブエノスアイレス
1883年〜1910年
朝鮮の近代教育と新式学校の設立
1883年の同文学(英語学校)設立を皮切りに、近代的な教育制度が導入された。アメリカ人宣教師アペンゼラーが培材学堂(1885年)、スクラントンが梨花学堂(1886年、韓国初の女子教育機関)を設立。甲午
朝鮮・漢陽
1883-1889年
ビスマルクの社会保険制度
ビスマルクが社会主義者鎮圧法(1878年)と並行して導入した世界初の包括的社会保険制度。疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年)の三法により、労働者の生活保障
ドイツ・ベルリン
1886年
ヘイマーケット事件
1886年5月4日、8時間労働制を求めるストライキに関連した集会中に何者かが爆弾を投げ、警察官7人と市民4人以上が死亡した。爆弾犯は特定されなかったが、無政府主義者8人が逮捕され、4人が絞首刑に処され
北アメリカ・シカゴ
1888年
ブラジルの奴隷制廃止(黄金法)
1888年5月13日、摂政イザベル皇女が「黄金法」(レイ・アウレア)に署名し、ブラジルの奴隷制が即時・無条件で廃止された。アメリカ大陸で最後に奴隷制を廃止した国となった。約70万人の奴隷が解放されたが
ブラジル・リオデジャネイロ
1891年〜1901年
足尾鉱毒事件と田中正造の直訴
足尾銅山の鉱毒が渡良瀬川流域の農業に壊滅的被害を与えた日本初の公害事件。衆議院議員・田中正造は議会で再三問題を取り上げ、1901年には議員を辞して明治天皇に直訴を試みた。谷中村の強制廃村は近代日本の暗
日本・栃木
1892年
エリス島移民局の開設
1892年1月1日に連邦移民局として開設。1892年から1954年の閉鎖までに約1200万人の移民が通過した。到着した移民は法的・医学的審査を受け、約2%が入国を拒否された。ピーク時の1907年には単
北アメリカ・ニューヨーク
1893年9月19日
ニュージーランドの女性参政権実現
ニュージーランド議会が選挙法改正案を可決し、成人女性に国政選挙の投票権を付与した。世界で初めて女性が国政レベルの選挙権を獲得した国となった。ケイト・シェパードが率いるニュージーランド基督教婦人禁酒同盟
ニュージーランド
1893年
ニュージーランドの女性参政権(世界初)
1893年9月19日、ニュージーランドが世界で初めて女性に国政選挙の投票権を認めた。ケイト・シェパードが率いた女性参政権運動は、約32000人の署名(当時の成人女性の約4分の1)を集めた請願書を議会に
オセアニア・ニュージーランド
1894-1906年
ドレフュス事件
ユダヤ系フランス陸軍大尉アルフレッド・ドレフュスがドイツへのスパイ容疑で有罪判決を受けた冤罪事件。エミール・ゾラが新聞に「私は弾劾する(J'accuse)」を発表し、フランス社会はドレフュス派と反ドレ
フランス・パリ
1899年〜1930年代
バナナ共和国とユナイテッド・フルーツ社の支配
1899年に設立されたユナイテッド・フルーツ社(UFCO)は、ホンジュラス、グアテマラ、コスタリカなど中米諸国でバナナ・プランテーションを展開し、鉄道・港湾・電信を独占的に支配した。各国の広大な土地を
中米・ホンジュラス
1901年〜1973年
オーストラリアの白豪主義政策と多文化主義への転換
1901年の移民制限法により制度化された白豪主義政策は、ディクテーション・テスト(ヨーロッパ言語での書き取り試験)により事実上非白人の入国を排除した。第二次世界大戦後、人口増加の必要性からまずヨーロッ
オーストラリア
1903-1918年
イギリスのサフラジェット運動
エメリン・パンクハーストが女性社会政治同盟(WSPU)を結成し、女性参政権を求める過激な直接行動を展開。窓の破壊、放火、ハンガーストライキなどの戦術を用いた。1913年にはエミリー・デイヴィソンがエプ
イギリス各地
1905年
科挙制度の廃止
清末新政の一環として1300年以上続いた科挙制度が廃止。西洋式の学校教育制度への移行を図った。最後の殿試は1904年に行われ、劉春霖が中国史上最後の状元(首席合格者)となった。
中国・北京
1923年
ワイマール共和国のハイパーインフレーション
フランスのルール占領に対する受動的抵抗(ストライキ)への賃金支払いのために大量の紙幣が増刷され、天文学的なインフレーションが発生。1923年11月には1ドル=4兆2千億マルクに達した。レンテンマルクの
ドイツ・ベルリン
1927年
金融恐慌
1927年、片岡蔵相が国会答弁で東京渡辺銀行の破綻を失言したことをきっかけに取り付け騒ぎが全国に波及。台湾銀行が鈴木商店への巨額融資で経営危機に陥り、枢密院がモラトリアム緊急勅令を否認したため若槻内閣
日本
1927年〜1956年
アンベードカルと不可触民解放運動
ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(1891-1956年)はダリト(不可触民)出身の法学者・政治家として不可触民差別の撤廃に生涯を捧げた。インド憲法の起草委員長として基本的人権と不可触民差別の禁
南アジア・全域
1928-1933年
ソ連の五カ年計画と農業集団化
スターリンが開始した第一次五カ年計画で、急速な重工業化と農業の強制的な集団化(コルホーズ化)が推進された。工業生産は飛躍的に増大したが、農業集団化はウクライナを中心に大飢饉(ホロドモール、推定300-
ソ連全域
1929年10月24日
暗黒の木曜日と世界大恐慌の始まり
1929年10月24日(暗黒の木曜日)にニューヨーク証券取引所で株価が暴落し、翌週の10月28日(暗黒の月曜日)と29日(暗黒の火曜日)にさらに急落。ダウ平均は1929年9月のピークから1932年7月
北アメリカ・ニューヨーク
1938年11月9-10日
水晶の夜(クリスタルナハト)
在仏ドイツ大使館員のパリでの射殺をきっかけに、ナチス政権が組織的に仕掛けたユダヤ人に対する大規模な暴力行為。約1,400のシナゴーグ、7,500のユダヤ人商店が破壊され、約3万人のユダヤ人男性が強制収
ドイツ・オーストリア全域
1938年
カルデナス大統領の石油国有化
1938年3月18日、ラサロ・カルデナス大統領がメキシコの外国石油会社を国有化し、国営石油会社ペメックス(PEMEX)を設立。1917年憲法第27条(地下資源は国家に帰属)を根拠とした。全国で熱狂的な
メソアメリカ・メキシコ
1938年
カルデナスの石油国有化
1938年3月18日、ラサロ・カルデナス大統領はメキシコ国内の外国石油企業(主にスタンダード・オイルとロイヤル・ダッチ・シェル)の全資産を国有化する大統領令を発布した。メキシコ国営石油会社ペメックス(
メキシコ・メキシコシティ
1944〜1971年
ブレトンウッズ体制の確立
1944年7月1-22日、44カ国の代表がブレトンウッズに集結し、戦後の国際通貨・金融体制を設計した。ドルを基軸通貨とする固定為替相場制(1オンス=35ドルの金本位)を採用し、国際通貨基金(IMF)と
アメリカ・ニューハンプシャー州ブレトンウッズ
1948-1952年
マーシャル・プラン
アメリカ国務長官ジョージ・マーシャルが1947年6月にハーヴァード大学の演説で提唱したヨーロッパ経済復興計画。1948年から1952年までに約130億ドル(現在の約1,500億ドル相当)が16カ国に提
西ヨーロッパ全域
1948-1965年頃
西ドイツの経済の奇跡(ヴィルトシャフツヴンダー)
ルートヴィヒ・エアハルト経済相(後に首相)の社会的市場経済政策のもと、西ドイツは廃墟から驚異的な経済復興を遂げた。通貨改革(1948年)、マーシャル・プラン、朝鮮戦争特需を基盤に、年平均8%の経済成長
西ドイツ全域
1950年〜1953年
朝鮮戦争特需
1950年6月の朝鮮戦争勃発により、米軍は日本を兵站基地として大量の物資を調達した。繊維・金属・機械など幅広い産業に特需が発生し、1950年から1953年までの特需総額は約10億ドルに達した。「もはや
日本
1955〜1956年
モンゴメリー・バスボイコット
1955年12月1日、ローザ・パークスがバスで白人に席を譲ることを拒否して逮捕された。これを契機に約4万人のアフリカ系住民が381日間にわたりバスのボイコットを実施。26歳の若き牧師マーティン・ルーサ
北アメリカ・アラバマ
1958年〜1962年
大躍進運動と大飢饉
毛沢東が15年でイギリスを追い越すと宣言し大躍進運動を発動。人民公社の設立と土法製鉄を推進。農業生産の水増し報告と農村からの過度な穀物徴発が大飢饉を招き、推定1500万〜5500万人が餓死した。
中国・全土
1960年代〜現在
東南アジアのパーム油産業と環境問題
マレーシアとインドネシアが世界のパーム油生産の約85%を占める。食用油・化粧品・バイオ燃料の原料として需要が急増し、両国で数百万ヘクタールの熱帯雨林がプランテーションに転換された。これによりオランウー
マレーシア・インドネシア
1962年〜1996年
漢江の奇跡(韓国の高度経済成長)
1962年の第1次経済開発5カ年計画から始まる韓国の高度経済成長。1人当たりGDPは87ドル(1962年)から1万ドル(1995年)に成長。繊維→重化学→電子→半導体・自動車と産業構造を高度化。現代・
韓国全域
1963年8月28日
マーティン・ルーサー・キングの「I Have a Dream」演説
1963年8月28日、ワシントン大行進に参加した約25万人の群衆を前に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がリンカーン記念館の階段で演説。「私には夢がある」と繰り返し、人種の調和した社会のビジ
北アメリカ・ワシントンD.C.
1969年6月28日
ストーンウォール事件
1969年6月28日未明、ニューヨーク市警がグリニッジヴィレッジのゲイバー「ストーンウォール・イン」を急襲した際、常連客が初めて組織的に抵抗した。暴動は数日間続き、近隣のLGBTコミュニティが合流。「
北アメリカ・ニューヨーク
1978年
改革開放政策の開始
鄧小平が中共十一期三中全会で改革開放路線を決定。人民公社を解体して農家請負制を導入、深圳・珠海・汕頭・厦門に経済特区を設置。「黒い猫でも白い猫でもネズミを捕る猫が良い猫だ」と実用主義を唱えた。
中国・深圳を中心に全国
1986年
ドイモイ(刷新)政策の開始
ベトナム共産党第6回大会でドイモイ(刷新)政策を採択。社会主義体制を維持しつつ市場経済を導入する「社会主義志向の市場経済」路線を開始。外国直接投資の受入れ、農業の脱集団化、民間企業の容認により経済成長
ベトナム・ホーチミン市
1988年
ソウルオリンピック
第24回夏季オリンピックがソウルで開催。160カ国・地域が参加し、冷戦後初の東西両陣営が揃ったオリンピックとなった。韓国は金メダル12個で総合4位の成績。「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長と民主化の達成
韓国・ソウル
1991年
バブル経済崩壊
1989年12月29日に日経平均株価が38,915円の史上最高値を記録した後、1990年から株価と地価が急落しバブル経済が崩壊した。日銀の金融引き締め(公定歩合の引き上げ)と大蔵省の総量規制が引き金と
日本
1991年
インドの経済自由化
ナラシンハ・ラーオ首相とマンモーハン・シン財務相が主導した包括的経済改革。外国為替危機を契機に、ライセンス・ラージ(許認可制度)の撤廃、外資規制の緩和、国営企業の民営化、関税引き下げを実施。「自由化・
南アジア・ニューデリー
1992年
鄧小平の南巡講話
天安門事件後の保守化に抗し、引退した鄧小平が南方を視察して改革開放の加速を主張。「発展は硬い道理」「社会主義市場経済」を提唱。この講話を受けて改革が再加速し、中国は高度経済成長の軌道に乗った。
中国・深圳〜珠海〜上海
1992年6月3日
マボ判決と先住民の土地権回復
オーストラリア高等裁判所がマボ対クイーンズランド州事件において、オーストラリア法における「テラ・ヌリウス」(無主地)原則を覆し、先住民の先住権原(ネイティブ・タイトル)を認める画期的判決を下した。メリ
オーストラリア
1995年
WTO(世界貿易機関)の設立
1995年1月1日、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)ウルグアイ・ラウンドの成果として世界貿易機関(WTO)が発足した。GATTが物品貿易のみを対象としたのに対し、WTOはサービス貿易(GATS
スイス・ジュネーヴ
1997年
IMF通貨危機
アジア通貨危機が韓国を直撃し、外貨準備が枯渇。IMFから580億ドルの緊急融資を受け、構造改革を強いられた。財閥の整理統合(大宇グループの解体など)、労働市場の柔軟化、金融改革が進められた。国民は「金
韓国・ソウル
1997年
アジア通貨危機
タイのバーツが7月2日に変動相場制に移行(事実上の切り下げ)したことを契機に、東南アジア全域に通貨危機が波及。インドネシアではルピアが80%以上下落し、スハルト政権が崩壊(1998年5月)。IMFが介
タイ・バンコク
1999年/2002年
ユーロの導入
1999年1月1日に会計上の通貨としてユーロが導入され、2002年1月1日に紙幣と硬貨が流通を開始。当初11カ国で始まり、現在は20カ国が参加。マーストリヒト条約の収斂基準(財政赤字、公的債務、インフ
ユーロ圏全域
2008年2月13日
盗まれた世代への公式謝罪
ケビン・ラッド首相がオーストラリア連邦議会で、アボリジニおよびトレス海峡諸島民の「盗まれた世代」(Stolen Generations)に対する公式謝罪を行った。1910年代から1970年代にかけて、
オーストラリア・キャンベラ
2009-2015年
ユーロ危機(ギリシャ債務危機)
2009年にギリシャの財政赤字が公表数値の倍以上であることが判明し、国債利回りが急騰。ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペインが相次いで救済を必要とした(PIIGS危機)。トロイカ(EU、ECB、
ギリシャ・南欧諸国
2015-2016年
欧州難民危機
シリア内戦、アフガニスタン、アフリカの紛争から約100万人以上がヨーロッパに流入した。トルコからゴムボートでエーゲ海を渡り、ギリシャ経由でバルカン半島を北上しドイツを目指す人々の波がヨーロッパを揺るが
ヨーロッパ全域
2020年5月25日
ジョージ・フロイド事件とBLM運動
2020年5月25日、ミネアポリスでアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが白人警察官デレク・ショーヴィンに約9分半にわたり膝で首を押さえつけられ死亡。「息ができない」(I can't breath
北アメリカ・ミネソタ

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