革命・反乱の歴史

103件の歴史的出来事

紀元前209年
陳勝呉広の乱
紀元前209年、徭役に駆り出された900人の農民の中から陳勝と呉広が反乱を起こした。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」の檄文は中国史上最も有名な反乱宣言。陳勝は「張楚」を称して王となったが、わずか6ヶ月
中国・安徽省
8年〜23年
王莽の新朝と赤眉の乱
外戚の王莽が前漢を簒奪して新朝を建国(8年)。周代の制度を復古する理想主義的な改革(土地国有化、奴婢売買の禁止、貨幣改鋳)を断行したがすべて失敗。社会の混乱の中で赤眉の乱(18年〜)・緑林の乱が勃発し
中国・長安
184年
黄巾の乱
184年、張角が率いる太平道の信者が「蒼天已に死す、黄天当に立つべし」のスローガンのもと大規模反乱を起こした。黄色い頭巾を目印としたため黄巾の乱と呼ばれる。全国36の方から数十万人が一斉蜂起。朝廷は各
中国・華北
527年〜528年
磐井の乱
筑紫国造磐井がヤマト王権の朝鮮半島出兵に反対して挙兵。新羅と通じ、ヤマト王権軍の渡海を妨害した。528年、物部麁鹿火が率いるヤマト王権軍により鎮圧。磐井は斬殺された。岩戸山古墳が磐井の墓とされる。
日本・福岡
548年〜552年
侯景の乱
東魏から梁に亡命した侯景が反乱を起こし建康を攻略。梁の武帝を幽閉して餓死させた。侯景は漢帝を称したが552年に陳覇先らに討伐された。建康は壊滅的被害を受け、南朝の国力は決定的に衰退。
中国・建康(南京)
645年
乙巳の変
中大兄皇子と中臣鎌足が飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺した政変。三韓の使者を迎える儀式の場で、中大兄皇子自ら入鹿を斬殺。翌日、父の蘇我蝦夷も邸宅に火を放ち自害。半世紀にわたる蘇我氏の専権体制が崩壊した。
日本・奈良(飛鳥)
740年
藤原広嗣の乱
藤原宇合の子・広嗣が大宰府で挙兵。玄昉・吉備真備の排除と政治改革を要求したが、朝廷軍に鎮圧され処刑された。聖武天皇はこの乱を契機に平城京を離れ、恭仁京・紫香楽宮・難波京と転々とした(彷徨五年)。
日本・福岡〜奈良
780年
伊治呰麻呂の乱
蝦夷出身の伊治郡大領・呰麻呂が反乱を起こし、按察使・紀広純を殺害。多賀城を焼き討ちした。律令国家の東北支配に対する蝦夷の大規模な抵抗であり、朝廷は征夷体制の再構築を迫られた。
日本・宮城
810年
薬子の変
平城上皇と嵯峨天皇の対立が武力衝突寸前に至った事件。平城上皇は藤原薬子・仲成兄妹の後押しで平城京への遷都を企図したが、嵯峨天皇側が先手を打って軍を差し向け、上皇は剃髪して出家。薬子は服毒自殺、仲成は射
日本・京都
875年〜884年
黄巣の乱と唐の滅亡
塩の密売人出身の黄巣が率いた大規模農民反乱。880年に長安を攻略し大斉を建国したが、884年に唐軍と沙陀族・李克用の連合軍に敗れた。乱後も唐は名目的に存続したが907年に朱全忠により滅亡。
中国・長安を中心に全土
935年〜940年
平将門の乱
桓武平氏の後裔・平将門が関東で挙兵し、常陸・下野・上野の国府を次々と攻略。自ら「新皇」を称し、関東に独立王国を築こうとした。しかし940年、藤原秀郷・平貞盛の追討軍に敗れ戦死。僅か2ヶ月の「新皇」であ
日本・関東
936年〜941年
藤原純友の乱
伊予国の国司であった藤原純友が瀬戸内海の海賊を率いて反乱。大宰府を襲撃するなど西日本に大きな混乱をもたらした。将門の乱と同時期に発生したため「承平天慶の乱」と総称される。941年に鎮圧された。
日本・瀬戸内海
1170年
武臣政権の成立(鄭仲夫の乱)
武臣の鄭仲夫・李義方らが文臣貴族を大量殺戮するクーデタを敢行。以後約100年間、武臣が政権を握る武臣政権時代が続いた。特に崔忠献〜崔沆の崔氏四代62年間の独裁は、日本の鎌倉幕府に比される武家政権であっ
高麗・開京
1324年〜1333年
正中の変と元弘の乱
後醍醐天皇は幕府打倒を企図し、1324年の正中の変は失敗。1331年再挙兵も笠置山で敗れ隠岐に配流。しかし楠木正成が千早城で幕府軍を翻弄し、足利尊氏が六波羅探題を攻略、新田義貞が鎌倉を陥落させ、133
日本・京都
1333年
鎌倉幕府滅亡
後醍醐天皇の倒幕運動を機に各地で反幕府勢力が挙兵。足利高氏(尊氏)が六波羅探題を攻略し、新田義貞が鎌倉を攻撃。北条高時以下の北条一族約870人が東勝寺で自害し、約150年間続いた鎌倉幕府は滅亡した。
日本・鎌倉
1351年〜1368年
紅巾の乱と元の滅亡
白蓮教徒を中心とする紅巾軍が各地で蜂起。韓山童・劉福通らが指導したが内部分裂。朱元璋が群雄の中から台頭し、1363年に鄱陽湖の戦いで陳友諒を撃破。1368年に明を建国し、元を北方に駆逐した。
中国・華中〜華北
1358年5月〜6月
ジャックリーの乱
黒死病と百年戦争の二重苦に喘ぐフランス北部の農民が、ギヨーム・カールに率いられて蜂起した。貴族の城館が襲撃・焼き討ちされ、領主一家が殺害される暴力的反乱が約2週間続いた。パリの反乱指導者エティエンヌ・
フランス・イル・ド・フランス
1381年6月
ワット・タイラーの乱
人頭税への反発を契機に、ワット・タイラーとジョン・ボールに率いられた数万の農民・職人がロンドンに進軍。カンタベリー大司教サドベリーとランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの宮殿を襲撃した。リチャード2世
イングランド
1388年
李成桂の威化島回軍と高麗滅亡
高麗の武将・李成桂は明の遼東攻撃命令を受けて出征したが、鴨緑江の威化島で軍を反転させて開京に進撃(威化島回軍)。実権を掌握し、1392年に高麗を滅ぼして朝鮮を建国した。性理学を国是とする新王朝の誕生で
高麗・開京
1485年〜1493年
山城国一揆
1485年、山城国南部の国人と農民が畠山政長・義就両軍に国外退去を要求し自力で追い出した。「国中掟法」を定めて約8年間自治を行った。36人の月行事による合議制で運営され、惣の自治原理が国レベルで実現し
日本・山城国
1488年〜1580年
加賀一向一揆
浄土真宗(一向宗)の門徒が加賀の守護・富樫政親を攻め滅ぼし、以後約100年間にわたり門徒による自治が行われた。「百姓の持ちたる国」と称される農民自治の実験であった。1580年に織田信長軍により鎮圧。
日本・石川
1582年
本能寺の変
織田信長の重臣・明智光秀が約13000の兵で京都本能寺を急襲し、信長を自害に追い込んだ。信長は「是非に及ばず」と言って炎の中に消えたとされる。天下統一目前での謀反は日本史上最大の事件の一つ。光秀の動機
日本・京都
1605〜1694年
パルマレスの逃亡奴隷共同体
砂糖プランテーションから逃亡したアフリカ人奴隷が建設した南北アメリカ最大のマルーン(逃亡奴隷)共同体。最盛期には人口2万〜3万人に達し、約1世紀にわたって存続した。最後の指導者ズンビ(1655-169
南アメリカ・ブラジル北東部
1618年5月23日
プラハ窓外放出事件
ボヘミアのプロテスタント貴族が皇帝の代理人2名と書記1名をプラハ城の窓から投げ落とした。3名とも堆肥の山に落ちて生存(カトリック側は天使が救ったと主張)。この事件が三十年戦争の直接的な引き金となり、ヨ
ボヘミア・プラハ
1637年〜1638年
島原の乱
島原・天草地方のキリシタン農民約37000人が、苛政と信仰弾圧に耐えかね蜂起。天草四郎時貞を指導者として原城に籠城したが、幕府軍12万の攻撃を受けて全滅。江戸時代最大の内乱であり、鎖国政策と禁教令の強
日本・長崎
1644年
李自成の乱と明の滅亡
農民反乱軍の指導者・李自成が北京を攻略し大順を建国。崇禎帝は景山で自縊して明は滅亡。しかし李自成は呉三桂の投降に失敗し、呉三桂が引き入れた清軍に敗れて北京を追われた。
中国・北京
1648年〜1654年
フメリニツキーの乱
ザポロージャ・コサックのヘトマン(統領)ボフダン・フメリニツキーが、ポーランド・リトアニア共和国に対して大規模な反乱を起こした。クリミア・タタールの援軍を得て1648年にゾフティ・ヴォーディの戦いなど
ウクライナ
1673年〜1681年
三藩の乱
康熙帝の撤藩令に反発した呉三桂が反乱を起こし、尚・耿も呼応。一時は中国南半分を支配下に置いたが、呉三桂の死後に後継者が降伏し8年間の乱は終結。
中国・雲南〜華南
1688年〜1689年
名誉革命と権利章典
カトリックのジェームズ2世を追放し、その娘メアリー2世とオランダ総督ウィリアム3世を共同統治者として迎えた「無血革命」。1689年に議会が権利章典を制定し、国王の権力を法的に制限。議会の同意なき課税・
イングランド
1773年
ボストン茶会事件
1773年12月16日夜、サミュエル・アダムズらが率いる約150人の植民地人がモホーク族に変装してボストン港に停泊中の3隻の船に乗り込み、342箱の茶(約4万6千ポンド、現在の約170万ドル相当)を海
北アメリカ・マサチューセッツ
1789年7月14日
バスティーユ襲撃
パリ市民約1000人がバスティーユ要塞を襲撃し占領した。要塞には実際にはわずか7名の囚人しかいなかったが、政治犯収容の象徴として絶対王政の圧制を体現していた。守備隊司令官ドゥ・ローネー侯爵は降伏後に群
フランス・パリ
1791年〜1804年
ハイチ革命の勃発
1791年8月、北部平原のボワ・カイマンにおけるヴードゥー教の儀式を契機に、数万人の奴隷が一斉蜂起した。指導者トゥサン・ルーヴェルチュールは元奴隷でありながら卓越した軍事・外交能力を発揮し、スペイン・
カリブ海・サン=ドマング
1796年〜1804年
白蓮教の乱
白蓮教徒が「弥勒下生」(弥勒仏の降臨)を唱えて蜂起。清軍は鎮圧に8年を要し、軍費2億両を費やした。正規軍の腐敗が露呈し、郷勇(地方民兵)が実質的な戦力となった。
中国・湖北〜四川〜陝西
1810年
メキシコ独立の叫び(グリート・デ・ドロレス)
1810年9月16日未明、ドロレス村の教区司祭ミゲル・イダルゴ・イ・コスティーリャが教会の鐘を鳴らし、スペイン支配からの独立を呼びかけた。「アメリカ万歳、スペイン人に死を」という叫びは「ドロレスの叫び
メキシコ・グアナフアト州ドロレス
1810年
五月革命とアルゼンチンの独立への道
1810年5月25日、ブエノスアイレスのカビルド(市参事会)で副王シスネロスが解任され、クリオーリョ主体の統治評議会(プリメーラ・フンタ)が成立した。マリアーノ・モレーノ、マヌエル・ベルグラーノ、コル
アルゼンチン・ブエノスアイレス
1821-1829年
ギリシャ独立戦争の勃発
オスマン帝国支配下のギリシャ人が独立を求めて蜂起。フィリキ・エテリア(友愛会)が組織的に準備し、1821年3月にペロポネソス半島で一斉蜂起が始まった。ナヴァリノの海戦(1827年)で英仏露連合艦隊がオ
ギリシャ・ペロポネソス半島
1821年
メキシコ独立
1810年9月16日のミゲル・イダルゴ神父の「ドロレスの叫び」(グリート)に始まる独立運動。イダルゴは先住民とメスティソの軍勢を率いたが1811年に捕えられ処刑。ホセ・マリア・モレロスが引き継いだが同
メソアメリカ・メキシコ
1825年
デカブリストの乱
1825年12月14日、アレクサンドル1世の急死後の皇位継承の混乱に乗じて、自由主義的な青年将校たちが元老院広場で武装蜂起した。立憲制と農奴解放を求めたが、組織的な準備不足とニコライ1世の迅速な鎮圧に
ロシア・サンクトペテルブルク
1830年
フランス七月革命
シャルル10世が出版の自由を制限する七月勅令を発布したことに対し、パリ市民が3日間の市街戦(栄光の三日間、7月27-29日)で蜂起。シャルル10世は亡命し、自由主義的なオルレアン家のルイ・フィリップが
フランス・パリ
1830-1831年
ベルギー独立
パリ七月革命に触発され、ブリュッセルのモネ劇場でオペラ『ポルティチの物言わぬ娘』上演中に暴動が発生。オランダからの独立運動に発展し、オランダ軍をブリュッセルから駆逐した。1831年にレオポルド1世を国
ベルギー・ブリュッセル
1830-1831年
ポーランド十一月蜂起
パリ七月革命に触発され、ワルシャワの士官学校の学生たちがロシア支配に対して蜂起。ポーランド軍は一時的にロシア軍を撃退したが、約10ヶ月の戦いの末に鎮圧された。ポーランドの自治権は大幅に縮小され、多くの
ポーランド・ワルシャワ
1833年〜1837年
天保の大飢饉と大塩平八郎の乱
天保の大飢饉(1833-37年)の中、1837年に元大坂東町奉行所与力の大塩平八郎が「救民」を掲げて蜂起。富商を襲撃したがわずか半日で鎮圧された。元幕臣による反乱は体制の危機を象徴する事件。
日本・大坂
1848年
フランス二月革命
七月王政のルイ・フィリップに対する改革要求運動が弾圧されたことで武装蜂起に発展。2月22-24日の市街戦の末にルイ・フィリップが亡命し、第二共和政が成立。男子普通選挙が実施され、国立工場の設置など社会
フランス・パリ
1848-1849年
ドイツ三月革命
パリ二月革命の報に触発され、ベルリンやウィーンをはじめドイツ各地で自由主義と国民統一を求める蜂起が発生。フランクフルト国民議会が召集され、統一ドイツの憲法草案を作成したが、プロイセン王フリードリヒ・ヴ
ドイツ各地・ベルリン
1848年
ウィーン三月革命
パリの二月革命に触発され、ウィーンの学生と労働者が蜂起。メッテルニヒは辞任・亡命を余儀なくされた。皇帝フェルディナント1世は憲法の制定を約束したが、10月にヴィンディシュグレーツ将軍がウィーンを軍事制
オーストリア・ウィーン
1848-1849年
ハンガリー革命
コシュート・ラヨシュの指導のもと、ハプスブルク帝国からの独立を宣言。ハンガリー革命軍は初期に勝利を収めたが、オーストリアの要請でロシア軍が介入し、1849年8月にヴィラーゴシュで降伏。コシュートは亡命
ハンガリー・ブダペスト
1848-1849年
1848年イタリア各地の蜂起
ウィーン革命に触発され、ミラノで五日間蜂起(3月18-22日)が起きオーストリア軍を撤退させた。ヴェネツィアではダニエレ・マニンが共和国を復活させ、ローマではマッツィーニがローマ共和国を宣言した。しか
イタリア各地
1851年〜1864年
太平天国の乱
洪秀全が独自のキリスト教解釈に基づき「太平天国」を建国。1853年に南京を攻略して天京とし、天朝田畝制度(土地均分)、男女平等、纏足禁止などの革命的政策を掲げた。曾国藩の湘軍・李鴻章の淮軍により186
中国・南京を中心に華中〜華南
1857年〜1858年
インド大反乱(セポイの反乱)
1857年5月にメーラトのインド人傭兵(セポイ)が蜂起し、北インド全域に拡大した大反乱。エンフィールド銃の弾薬包(牛脂・豚脂が使用とされた)問題が直接の引き金。デリーのムガル皇帝バハードゥル・シャー2
南アジア・北インド
1860年
桜田門外の変
安政の大獄で尊攘派を弾圧した大老・井伊直弼が、水戸藩・薩摩藩の浪士に江戸城桜田門外で暗殺された。幕府最高権力者の暗殺は幕府の権威を決定的に失墜させ、幕末の政局を一変させた。
日本・江戸
1871年
パリ・コミューン
普仏戦争の敗北と包囲の苦難を経たパリ市民が、臨時政府に反旗を翻し自治政府(コミューン)を樹立。労働者の権利保護、政教分離、女性の権利拡大などの革命的施策を実施したが、72日間で政府軍に鎮圧された。「血
フランス・パリ
1874-1881年
ナロードニキ運動
1874年の「ヴ・ナロード(民衆の中へ)」運動で、数千人の学生・知識人が農村に入り、農民の啓蒙と社会主義の宣伝を試みた。しかし農民は彼らを不審がり、多くが密告・逮捕された。挫折後、「土地と自由」が結成
ロシア帝国各地
1882年
壬午軍乱
開化政策への不満と給料の遅配に怒った旧式軍隊の兵士が反乱。日本公使館を襲撃し、日本人教官・堀本礼造らを殺害。大院君が一時的に政権を回復したが、清が3,000の軍を派遣して鎮圧し、大院君を天津に連行した
朝鮮・漢陽
1884年
甲申政変
金玉均・朴泳孝ら開化派が日本公使・竹添進一郎の支援を受けてクーデタを敢行。新政権を樹立し14か条の改革綱領を発表したが、袁世凱率いる清軍の介入によりわずか3日で失敗。金玉均は日本に亡命し、10年後に上
朝鮮・漢陽
1894年
甲午農民戦争(東学党の乱)
全琫準率いる東学農民軍が不正な地方官への抗議から蜂起。黄土峴で官軍を破り全州を占領。朝鮮政府が清に援軍を要請すると日本も出兵し、日清戦争の直接的原因となった。農民軍は12か条の弊政改革案を掲げ、身分制
朝鮮・全羅道
1896年〜1898年
フィリピン革命とホセ・リサール
知識人ホセ・リサール(1861-1896年)が小説『ノリ・メ・タンヘレ』で植民地支配を告発し、フィリピンのナショナリズムを覚醒させた。1896年にアンドレス・ボニファシオ率いるカティプナンが武装蜂起。
フィリピン・マニラ
1900年〜1901年
義和団事件
「扶清滅洋」(清を助け西洋を滅ぼす)を掲げる義和団が北京の外国公使館を包囲。西太后が列国に宣戦布告する暴挙に出たが、日英米仏独露伊墺の八カ国連合軍に敗北。辛丑条約で巨額の賠償金(4.5億両)を課された
中国・北京〜天津〜山東
1905-1907年
1905年ロシア第一革命
1905年1月9日(ユリウス暦)、ガポン神父に率いられた労働者の平和的請願デモに対し、冬宮前で近衛兵が発砲(「血の日曜日」事件)。これを契機に全土でストライキ、農民蜂起、軍の反乱(戦艦ポチョムキン号の
ロシア・サンクトペテルブルク
1908年
青年トルコ人革命
統一と進歩委員会(青年トルコ人)が軍の支持を得てアブデュルハミト2世に1876年憲法の復活を強要した。1909年の反革命未遂を経て、アブデュルハミトは廃位。エンヴェル、タラート、ジェマルの三頭体制が実
オスマン帝国・イスタンブール
1910年〜1920年
メキシコ革命
1910年11月、フランシスコ・マデロがポルフィリオ・ディアスの30年に及ぶ独裁に対する武装蜂起を呼びかけた。北部ではパンチョ・ビリャ、南部ではエミリアーノ・サパタが農民軍を率いて蜂起。1911年にデ
メキシコ全土
1911年〜1912年
辛亥革命と清朝滅亡
1911年10月10日、武昌の新軍が蜂起し辛亥革命が勃発。各省が清からの独立を宣言し、孫文が南京で中華民国臨時大総統に就任。袁世凱の仲介で宣統帝(溥儀)が1912年2月に退位し、清朝は滅亡。
中国・武昌〜南京〜北京
1916年〜1918年
アラブの反乱
メッカのシャリーフ・フサイン・イブン・アリーが主導し、息子ファイサルとイギリス連絡将校T.E.ロレンスが軍事作戦を指揮したオスマン帝国に対するアラブ独立運動。ヒジャーズ鉄道を繰り返し破壊し、1918年
アラビア半島・ヒジャーズ
1917年3月(露暦2月)
ロシア二月革命
食糧不足に抗議する女性労働者のデモ(国際婦人デー)が全市的なゼネストに発展。兵士が反乱に参加し、ニコライ2世は退位を余儀なくされた。300年のロマノフ王朝が崩壊し、臨時政府とペトログラード・ソヴィエト
ロシア・ペトログラード
1917年11月7日(露暦10月25日)
ロシア十月革命
レーニンとトロツキーの指導のもと、ボリシェヴィキが武装蜂起を決行。赤衛隊と革命的兵士が電話局、電信局、駅、橋を制圧し、冬宮を占拠して臨時政府閣僚を逮捕した。全ロシア・ソヴィエト大会で権力のソヴィエトへ
ロシア・ペトログラード
1918年
米騒動
1918年7月、富山県の漁村の主婦たちが米の県外移出に抗議したことをきっかけに、米価高騰に怒る暴動が全国に拡大。約70万人が参加し、369市町村に波及した。軍隊が出動して鎮圧されたが、寺内正毅内閣は退
日本・全国
1918-1919年
ドイツ革命
キール軍港の水兵反乱に端を発し、各地で労兵評議会が樹立された。シャイデマン社会民主党幹事が帝国議会のバルコニーから共和国を宣言。ヴィルヘルム2世は退位・亡命した。しかしスパルタクス団(ローザ・ルクセン
ドイツ・ベルリン
1919年
五四運動
パリ講和会議で日本の山東権益継承が決定したことに反発し、北京大学の学生3000人が天安門前でデモを実施。「外争国権、内懲国賊」をスローガンに全国に拡大。各地でストライキ・不買運動が展開された。
中国・北京
1919年3月1日
三・一独立運動
民族代表33人が独立宣言書に署名し、全国で「大韓独立万歳」を叫ぶ平和的デモが展開された。約200万人が参加したとされる。日本は軍隊・警察を動員して武力鎮圧し、堤岩里事件など多数の虐殺が発生。死者7,5
朝鮮全域
1919年〜1923年
トルコ独立戦争とアタテュルクの共和国建設
ムスタファ・ケマル(アタテュルク)はセーヴル条約による国土分割に抵抗し、アンカラに大国民議会を設立してトルコ独立戦争を指導した。ギリシャ軍をサカリヤの戦い(1921年)と大攻勢(1922年)で撃退し、
トルコ・アンカラ
1923年11月
ミュンヘン一揆(ビアホール暴動)
ヒトラーがルーデンドルフと共にバイエルン政府を転覆しベルリンへの進軍を企てたクーデター未遂。ビアホールで演説中のバイエルン州首相らを拘束したが、翌日のデモ行進中に警察の発砲で16人のナチ党員が死亡し、
ドイツ・ミュンヘン
1930年3月〜4月
塩の行進
マハトマ・ガンジーが78人の支持者とともにサーバルマティーのアーシュラムからダンディ海岸まで24日間の行進を行い、イギリスの塩税法に対する市民的不服従運動を開始。海水から塩を作る象徴的な行為で法を破り
南アジア・グジャラート
1932年5月15日
五・一五事件
1932年5月15日、海軍青年将校と陸軍士官候補生、血盟団関係者らが首相官邸を襲撃し、犬養毅首相を射殺した。「話せばわかる」「問答無用」のやり取りは有名。日本銀行や変電所も襲撃されたが、大規模な蜂起に
日本・東京
1936年2月26日
二・二六事件
1936年2月26日、皇道派の陸軍青年将校約1,400名が首相官邸・警視庁などを襲撃・占拠。高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監を殺害し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせた。岡田啓介首相は間一
日本・東京
1942年8月
「インドを去れ」運動
ガンジーがボンベイの全インド国民会議派委員会で「インドを去れ」(クイット・インディア)決議を採択。「行動するか、さもなくば死すか」(Do or Die)のスローガンで全インドに即時独立を求める運動を展
南アジア・全域
1952年
エジプト1952年革命(自由将校団のクーデター)
ガマール・アブドゥル・ナセルを実質的指導者とする自由将校団がクーデターを起こし、国王ファルーク1世を追放。ムハンマド・アリー朝を廃止して共和制を宣言。土地改革、工業化、外国軍の撤退を推進し、1956年
エジプト・カイロ
1954年
グアテマラ・クーデター(PBSuccess作戦)
1954年6月、CIAが計画・支援した「PBSuccess作戦」により、民主的に選出されたハコボ・アルベンス大統領が打倒された。アルベンスは土地改革法(Decreto 900)を制定し、ユナイテッド・
中米・グアテマラ
1956年10-11月
ハンガリー動乱
学生と労働者の反ソ連デモが武装蜂起に発展。ナジ・イムレ首相がワルシャワ条約機構からの脱退と中立を宣言したが、11月4日にソ連軍が大規模に介入しブダペストを制圧した。約2,500人のハンガリー市民が死亡
ハンガリー・ブダペスト
1959年
キューバ革命の勝利
1956年12月、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラら82名がグランマ号でメキシコからキューバ東部に上陸し、シエラ・マエストラ山脈を拠点にゲリラ戦を展開した。当初わずか十数名に減少した革命軍は農民の支持
カリブ海・キューバ
1960年
安保闘争
1960年、日米安全保障条約の改定をめぐり戦後最大の大衆運動が展開された。岸信介首相が5月20日に衆議院で新安保条約を強行採決すると、反対運動は安保改定反対から民主主義擁護へと性格を変えた。6月15日
日本・東京
1966年〜1976年
文化大革命
毛沢東が「資本主義の道を歩む実権派」の打倒を呼びかけ文化大革命を発動。紅衛兵が全国で「破四旧」(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣の破壊)を実行。劉少奇は失脚して獄死、鄧小平も2度失脚。林彪事件(1971
中国・全土
1968年
プラハの春とソ連の侵攻
ドゥプチェク共産党第一書記が「人間の顔をした社会主義」を掲げ、検閲の廃止、集会の自由、経済改革を推進した。しかし1968年8月20日夜、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構5カ国の軍約50万人がチェコス
チェコスロバキア・プラハ
1969年
リビア・カダフィ革命
27歳の陸軍大尉ムアンマル・アル・カダフィが率いる自由将校団がイドリース1世国王を無血クーデターで追放。「ジャマーヒリーヤ」(大衆国家)を標榜し、独自の政治理論『緑の書』に基づく統治を実施。石油収入を
リビア・トリポリ
1973年
チリ・ピノチェト軍事クーデター
1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍率いる軍部がサルバドール・アジェンデ社会主義政権を転覆するクーデターを実行した。空軍が大統領府モネダ宮殿を爆撃し、アジェンデはラジオで最後の演説を行った
南米・チリ
1974年4月25日
ポルトガルのカーネーション革命
軍の若手将校グループ(国軍運動、MFA)がサラザール体制の後継者カエターノ首相を無血で打倒。アフリカの植民地戦争(モザンビーク、アンゴラ、ギニアビサウ)への厭戦気分が軍内の反体制運動を育てた。革命後、
ポルトガル・リスボン
1976年
ソウェト蜂起
1976年6月16日、アフリカーンス語での教育を強制する政策に抗議する約2万人の黒人生徒が行進。警察が催涙ガスと実弾で鎮圧し、13歳のヘクター・ピーターソンを含む多数の若者が射殺された。死者数は公式に
南アフリカ・ソウェト
1979年
イラン革命
ルーホッラー・ホメイニー率いるイスラム革命運動がモハンマド・レザー・シャーを追放し、イスラム共和国を樹立した。革命は世俗的左翼・リベラル・宗教勢力の広範な連合として始まったが、ホメイニーの「ヴェラーヤ
イラン・テヘラン
1979年
ニカラグア・サンディニスタ革命
1979年7月19日、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)がアナスタシオ・ソモサ・デバイレ独裁政権を打倒し革命政権を樹立した。ソモサ一族は1936年以来43年間にわたりニカラグアを支配しており、国土
中米・ニカラグア
1980年5月18日〜27日
光州民主化運動(5・18)
全斗煥の軍事クーデタと戒厳令拡大に抗議する光州市民が蜂起。空挺部隊による残虐な鎮圧に市民が武装して抵抗し、一時的に「光州市民軍」が市を解放した。10日間の抵抗の末、5月27日に戒厳軍が鎮圧。公式死者数
韓国・光州
1980-1989年
ポーランド「連帯」運動
レフ・ワレサが率いるグダニスク造船所のストライキから、東側ブロック初の独立自主管理労働組合「連帯(ソリダルノシチ)」が誕生。約1,000万人が加入した。1981年12月にヤルゼルスキ将軍が戒厳令を布告
ポーランド・グダニスク
1986年2月
ピープルパワー革命(エドゥサ革命)
マルコス独裁政権に対し、数百万のフィリピン市民がエドゥサ大通りに集結して非暴力の抗議運動を展開。カトリック教会のハイメ・シン枢機卿の呼びかけで軍の離反が拡大し、マルコスは国外逃亡。コラソン・アキノが大
フィリピン・マニラ
1987年6月
1987年6月民主抗争と民主化宣言
朴鍾哲の拷問致死事件と李韓烈の催涙弾被弾を契機に、全国で100万人規模の民主化デモが展開された。全斗煥政権はデモを制御できず、与党代表の盧泰愚が「6・29民主化宣言」を発表。大統領直接選挙制の復活、言
韓国・ソウル
1989年6月4日
天安門事件
胡耀邦の死を契機に学生の民主化要求運動が拡大。天安門広場を中心に100万人規模のデモが展開されたが、6月4日に人民解放軍が武力鎮圧。死者数は数百人〜数千人と推定されるが中国政府は公式発表を行っていない
中国・北京
1989年
ベルリンの壁崩壊
1989年11月9日夜、東ドイツ政府報道官ギュンター・シャボウスキーが記者会見で旅行自由化を「即時」と発言したことをきっかけに、数万人の東ベルリン市民が検問所に殺到。国境警備隊は群衆を止められず、ボル
ドイツ・ベルリン
1989年11月
ビロード革命(チェコスロバキア)
11月17日の学生デモへの警察の暴力を契機に、ヴァーツラフ・ハヴェルが率いる市民フォーラムが大規模な非暴力抗議運動を組織。共産党政権はわずか10日間で崩壊し、12月29日にハヴェルが大統領に選出された
チェコスロバキア・プラハ
1989年12月
ルーマニア革命(チャウシェスクの処刑)
ティミショアラでの反政府デモへの弾圧を機に、12月21日のブカレストでの親政権集会中にチャウシェスクへの野次が飛び、集会は反政府デモに転じた。軍が民衆側に転じ、チャウシェスク夫妻はヘリコプターで逃亡し
ルーマニア・ブカレスト
1989-1991年
バルト三国の独立回復(バルトの道)
1989年8月23日(独ソ不可侵条約50周年)に約200万人が人間の鎖を形成する「バルトの道」で独立回復を訴えた。リトアニアが1990年3月に最初にソ連からの独立を宣言。1991年8月のクーデター未遂
エストニア・ラトヴィア・リトアニア
1994年
サパティスタ民族解放軍(EZLN)蜂起
1994年1月1日、NAFTA(北米自由貿易協定)発効日に合わせ、サパティスタ民族解放軍(EZLN)がチアパス州の複数の町を占拠した。覆面姿のマルコス副司令官(後にガレアーノ副司令官)を広報的指導者と
中米・メキシコ
2005年3月
キルギスのチューリップ革命
2005年の議会選挙の不正に抗議する民衆運動がアカエフ大統領の退陣を招いた。グルジアの「バラ革命」(2003年)、ウクライナの「オレンジ革命」(2004年)に続く「カラー革命」の一つ。バキエフが後任大
中央アジア・キルギス
2010〜2012年
アラブの春
2010年12月17日、チュニジアのシディ・ブジドで露天商モハメド・ブアジジが焼身自殺したことをきっかけに、チュニジアの反政府デモが拡大。ベン・アリ大統領が亡命した「ジャスミン革命」を皮切りに、エジプ
中東・北アフリカ
2010〜2011年
ジャスミン革命(チュニジア)
2010年12月17日、シディ・ブジドの青果売りムハンマド・ブアジジが当局の嫌がらせに抗議して焼身自殺。これをきっかけに反政府デモが全土に拡大し、2011年1月14日にベン・アリ大統領が23年間の独裁
チュニジア・シディ・ブジド〜チュニス
2011年
エジプト革命(タハリール広場)
チュニジアのジャスミン革命に触発され、2011年1月25日からタハリール広場で大規模な反政府デモが開始。「パンと自由と社会正義と人間の尊厳を」のスローガンのもと、18日間にわたる抗議の末、2月11日に
エジプト・カイロ
2016年〜2017年
キャンドル革命と朴槿恵弾劾
崔順実の国政介入疑惑を機に、毎週土曜日にソウルで大規模なキャンドル集会が開催された。延べ1,700万人が参加したとされる完全に平和的な市民運動で、2017年3月10日に憲法裁判所が朴槿恵大統領の弾劾を
韓国・ソウル
2021年1月6日
連邦議会議事堂襲撃事件
2021年1月6日、トランプ前大統領の支持者約2000人が2020年大統領選挙の結果認定手続き中の連邦議会議事堂に侵入。議員や副大統領ペンスは避難を余儀なくされ、認定手続きは一時中断された。5人が死亡
北アメリカ・ワシントンD.C.

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