外交・条約の歴史

80件の歴史的出来事

57年
奴国王が後漢より金印を受領
倭の奴国の使者が後漢の光武帝に朝貢し、「漢委奴国王」と刻まれた金印を賜った。『後漢書』東夷伝に記録される。1784年に志賀島で発見された金印がその実物とされ、日本と中国の最古の外交記録の物証。
日本・福岡
369年(泰和四年)
七支刀の製作と贈呈
石上神宮に伝わる六枝の刃を持つ特異な鉄刀。61文字の金象嵌銘文があり、百済王が倭王に贈ったものとされる。「泰和四年」の紀年銘は369年を指すと解釈される。4世紀の日朝関係を示す最重要の物証。国宝。
日本・奈良
421年〜478年
倭の五王の中国南朝への遣使
讃・珍・済・興・武の倭の五王が、中国南朝の宋に相次いで朝貢し、将軍号や都督の称号を求めた。特に倭王武(雄略天皇に比定)は478年の上表文で、先祖の東西征服の歴史を述べ、高句麗への対抗のため軍事的称号を
日本
607年
遣隋使の派遣(小野妹子)
推古天皇15年、小野妹子が遣隋使として隋に派遣された。国書に「日出処天子致書日没処天子」と記し、隋の煬帝を怒らせたと『隋書』に記録される。翌年、隋の裴世清が答礼使として来日。対等外交を志向した画期的な
日本・奈良〜中国
630年〜894年
遣唐使の派遣
630年から894年まで約20回にわたり派遣された唐への公式使節団。4隻の船に約500人が乗り組み、外交使節・留学生・学問僧が渡海。阿倍仲麻呂・吉備真備・最澄・空海らが参加。唐の制度・文化・宗教を日本
日本〜中国
630年〜894年
遣唐使と東アジア文化圏
日本が約260年間にわたり20回近く派遣した使節団。留学生・留学僧が唐の制度・文化・技術を吸収して持ち帰った。阿倍仲麻呂は玄宗に仕え、鑑真は6度の渡海失敗を経て来日。894年に菅原道真の建議で廃止。
中国・長安
843年8月
ヴェルダン条約によるフランク王国の三分割
カール大帝の孫3人がフランク王国を三分割した条約。長男ロタール1世が中部フランク(イタリア・ブルゴーニュ・ロタリンギア)と皇帝位を、ルートヴィヒ2世が東フランク(後のドイツ)を、シャルル禿頭王が西フラ
フランス・ヴェルダン
894年
菅原道真の遣唐使廃止建議
遣唐大使に任命された菅原道真が、唐の国内混乱と航海の危険を理由に遣唐使の派遣中止を建議し、宇多天皇が受け入れた。630年以来約260年間続いた遣唐使が正式に廃止された。
日本・京都
936年
燕雲十六州の割譲
後晋の石敬瑭が契丹(遼)の太宗・耶律徳光の支援を得て即位する代償として、燕雲十六州を割譲。石敬瑭は契丹皇帝を「父」と呼ぶ屈辱的関係を受け入れた。
中国・華北
1004年
澶淵の盟
契丹(遼)の聖宗が20万の大軍で南侵。宋の真宗が澶州に親征し、遼軍の先鋒指揮官・蕭撻凛が戦死したことで戦況が膠着。両国は兄弟関係を結び、宋が遼に毎年銀10万両・絹20万匹を送る条件で和平。
中国・河南省濮陽
1141年
紹興の和議
南宋と金の間で締結された和平条約。南宋は金に臣礼(臣下の礼)を取り、毎年銀25万両・絹25万匹を支払う条件。淮河を国境とし、北中国は金の支配下に。岳飛の処刑が和議の前提条件とされた。
中国・臨安(杭州)
1397年
カルマル同盟の成立
デンマーク女王マルグレーテ1世の主導により、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの三王国がエーリク・フォン・ポンメルンを共通の国王として戴く同盟を結成。各王国は内政自治を維持しつつ、外交・軍事で統一行
スウェーデン・カルマル
1401年
足利義満の日明貿易(勘合貿易)
1401年、足利義満は明に使者を送り「日本国王」に册封された。倭寇取り締まりと引き換えに朝貢形式の勘合貿易を開始。勘合符を用いた貿易は莫大な利益をもたらし、銅銭・生糸・陶磁器が輸入された。義満が册封を
日本・京都
1494年6月7日
トルデシリャス条約
スペインとポルトガルが教皇アレクサンデル6世の仲介のもと、新発見地の分割線を定めた条約。カーボヴェルデ諸島の西370レグア(約1770km)の子午線を境界とし、西側をスペイン、東側をポルトガルの勢力圏
スペイン・トルデシリャス
1582年〜1590年
天正遣欧少年使節
九州のキリシタン大名(大友宗麟・大村純忠・有馬晴信)が、イエズス会の勧めで少年4人(伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノ)をローマ教皇のもとに派遣。教皇グレゴリウス13世に謁見し、
日本・長崎〜ヨーロッパ
1598年4月13日
ナントの勅令
フランス王アンリ4世(元ユグノーの指導者ナバラ王アンリ)が発布した宗教的寛容の勅令。ユグノーにカトリックとほぼ同等の市民的権利と信仰の自由を保障し、約200の安全保障都市の保持を認めた。「パリはミサに
フランス・ナント
1607年〜1811年
朝鮮通信使(12回の日本派遣)
壬辰倭乱後の日朝関係修復のため、朝鮮が日本に12回にわたって派遣した外交使節団。300-500人規模の大使節団で、外交交渉のみならず文化交流の場としても機能。儒学者・画家・医者が同行し、各地で日本の文
朝鮮・漢陽〜日本・江戸
1639年
鎖国体制の確立と出島
島原の乱後、ポルトガル船の来航を全面禁止。オランダ商館を平戸から出島に移転させ、対外貿易を長崎の出島(オランダ)と唐人屋敷(中国)、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)の4口に限定する鎖国体制が完成した。
日本・長崎
1648年10月24日
ウェストファリア条約
三十年戦争を終結させた講和条約。主権国家の平等と内政不干渉の原則を確立し、近代国際法と国際関係の基礎を形成した。帝国内の300以上の領邦に実質的な主権を認め、カルヴァン派を公認宗教に追加。スウェーデン
ドイツ・ヴェストファーレン
1689年
ネルチンスク条約
清とロシア帝国の間で結ばれた最初の対等条約。外興安嶺(スタノヴォイ山脈)をロシアとの国境と定め、アムール川流域を清の領域と確認。ラテン語・満洲語・ロシア語で調印された。
ロシア・ネルチンスク
1793年
マカートニー使節団
イギリス国王ジョージ3世の使節としてマカートニーが清を訪問。通商拡大・常駐使節の設置・関税引き下げを要求したが、乾隆帝は「天朝は万物を豊かに産する。外夷の貨物を必要としない」と拒絶。
中国・北京〜承徳
1803年
ルイジアナ購入
トマス・ジェファーソン大統領がフランスのナポレオンから約1500万ドル(1エーカー当たり約3セント)でルイジアナ領土を購入。合衆国の面積が一夜にして倍増した。当初はニューオーリンズのみの購入を交渉して
北アメリカ・合衆国
1814年9月〜1815年6月
ウィーン会議
ナポレオン戦争後のヨーロッパ秩序再建を目指す国際会議。オーストリア外相メッテルニヒが議長を務め、正統主義(革命前の王朝の正統性回復)、補償の原則、勢力均衡を三原則とした。フランスのタレーランも巧みな外
オーストリア・ウィーン
1815年
ウィーン会議の閉幕
ナポレオン戦争後のヨーロッパ秩序を再構築するため、メッテルニヒ主導で開催された国際会議。正統主義・勢力均衡・補償の三原則に基づき、フランスの国境を1792年以前に戻し、各国の領土を再編した。タレーラン
オーストリア・ウィーン
1822年
グアヤキル会談
1822年7月26-27日、南米の二大解放者シモン・ボリバルとホセ・デ・サン・マルティンがグアヤキルで会談した。会談の詳細な内容は記録されておらず、歴史上最大の謎の一つとされる。会談後、サン・マルティ
エクアドル・グアヤキル
1830年代〜1907年
グレートゲーム(英露の中央アジア争奪戦)
イギリスとロシアが中央アジアの覇権をめぐり約80年間にわたり展開した地政学的競争。ロシアはカザフスタン・中央アジアを南下して征服し、イギリスはインドの北方防衛のためアフガニスタンに介入。1907年の英
中央アジア全域
1840年2月6日
ワイタンギ条約の締結
イギリス王室代理ウィリアム・ホブソン海軍大佐と約500名のマオリ首長の間で締結されたニュージーランドの建国文書。英語版ではマオリがイギリス王室に主権(sovereignty)を譲渡する一方、土地所有権
ニュージーランド・ワイタンギ
1853年
ペリー来航
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦4隻で浦賀に来航し、フィルモア大統領の国書を提出して開国を要求。蒸気船(黒船)の威容は日本に大きな衝撃を与えた。翌1854年に日米和親条約が締結され、約200年
日本・神奈川
1854年3月31日
日米和親条約と開国
1854年、ペリー再来航を受けて幕府は日米和親条約を締結。下田・箱館の2港を開港し200年以上の鎖国が終了。1858年には日米修好通商条約で治外法権・関税自主権喪失という不平等条件が課された。
日本・神奈川
1871年〜1873年
岩倉使節団
1871年、岩倉具視を特命全権大使、大久保利通・木戸孝允・伊藤博文らを副使とする約50名の使節団(随員含め約107名)が欧米に派遣された。不平等条約改正の予備交渉と西洋文明の視察が目的。条約改正は失敗
欧米各国
1873-1890年
ビスマルクの同盟体制
ビスマルクは三帝同盟(独墺露、1873年)、独墺同盟(1879年)、三国同盟(独墺伊、1882年)、再保障条約(独露、1887年)を重層的に締結し、フランスの孤立を維持しつつヨーロッパの平和を保った。
ドイツ・ベルリン
1875年〜1876年
江華島事件と日朝修好条規
日本の軍艦・雲揚号が江華島付近で朝鮮側砲台と交戦した事件。翌1876年、日本はこれを口実に朝鮮に開国を迫り、日朝修好条規(江華島条約)を締結。朝鮮は釜山・仁川・元山の3港を開港し、日本の領事裁判権を認
朝鮮・江華島
1878年
ベルリン会議
露土戦争後のサン・ステファノ条約を修正するため開催された国際会議。ロシアが作った大ブルガリアを三分割し、オーストリアにボスニア・ヘルツェゴビナの管理権を付与、イギリスにキプロスを確保させた。セルビア、
ドイツ・ベルリン
1884〜1885年
ベルリン会議(アフリカ分割)
ビスマルクの主催により14カ国(アフリカからの参加者なし)がベルリンに集まり、アフリカ大陸の植民地分割のルールを策定。「実効支配の原則」により、領有の主張には現地での実際の支配が必要とされた。コンゴ川
ドイツ・ベルリン
1894年〜1895年
日清戦争・下関条約
1895年4月、日清戦争の講和として下関条約が調印された。伊藤博文・陸奥宗光と李鴻章が交渉。清国は朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を割譲、賠償金2億両(約3億円)を支払った。しかしロシア・フ
日本・下関
1898年
ファショダ事件
ナイル川上流のファショダで、南下してきたイギリスのキッチナー将軍と、西から横断してきたフランスのマルシャン大尉の部隊が遭遇。両国間の深刻な軍事的緊張が生じたが、フランスが最終的に撤退し、英仏間の戦争は
スーダン・ファショダ(現コドク)
1902年1月30日
日英同盟
1902年、日本とイギリスが軍事同盟を締結。ロシアの東アジア進出に対抗するための二国間同盟で、一方が第三国と交戦した場合に他方は中立を保ち、二カ国以上と交戦した場合は参戦する義務を負った。小村寿太郎外
イギリス・ロンドン
1905年9月5日
ポーツマス条約と日比谷焼打事件
1905年9月、日露戦争の講和としてポーツマス条約が調印された。小村寿太郎がロシアのウィッテと交渉。ロシアは南樺太の割譲、韓国における日本の優越権、南満洲の権益を認めたが、賠償金は得られなかった。国民
アメリカ・ポーツマス
1916年〜1917年
サイクス=ピコ協定とバルフォア宣言
イギリスのマーク・サイクスとフランスのフランソワ・ジョルジュ=ピコが、オスマン帝国のアラブ地域を英仏で分割する秘密協定を締結。1917年のバルフォア宣言ではイギリスがパレスチナにユダヤ人の「民族的郷土
中東全域
1918年11月11日
第一次世界大戦の休戦
連合国とドイツの間で休戦協定が締結され、11月11日午前11時に西部戦線の戦闘が停止した。ドイツは占領地からの撤退、大量の武器・車両・列車の引き渡し、ラインラントの連合軍占領を受け入れた。約4年間の戦
フランス・コンピエーニュの森
1918年3月3日
ブレスト=リトフスク条約
ソヴィエト・ロシアとドイツ・オーストリアの間で締結された講和条約。ロシアはフィンランド、バルト三国、ポーランド、ウクライナの広大な領土(人口の1/3、工業力の半分以上)を放棄した。トロツキーは「戦争も
ベラルーシ・ブレスト=リトフスク
1919年6月28日
ヴェルサイユ条約
パリ講和会議の結果、連合国とドイツの間で締結された講和条約。ドイツにアルザス=ロレーヌの返還、植民地の放棄、軍備制限(陸軍10万人)、1320億金マルクの賠償金を課した。戦争責任条項(第231条)はド
フランス・ヴェルサイユ
1920年
国際連盟の設立
ウィルソン米大統領の14カ条に基づき、史上初の恒久的国際平和機構として設立。集団安全保障、軍縮、国際紛争の平和的解決を目的とした。しかし提唱国アメリカが上院の反対で不参加となり、制裁の実効性を欠いた。
スイス・ジュネーヴ
1938年9月
ミュンヘン会談
イギリスのチェンバレン、フランスのダラディエ、イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーが会談し、チェコスロバキアのズデーテン地方のドイツへの割譲に合意した。チェコスロバキアは交渉に参加を許されなかった
ドイツ・ミュンヘン
1939年8月23日
独ソ不可侵条約
イデオロギー的に対極にあるナチス・ドイツとソ連が不可侵条約を締結。リッベントロップとモロトフが署名した。秘密議定書で東ヨーロッパの勢力圏分割を取り決め、ポーランド分割とバルト三国のソ連への編入を合意し
ソ連・モスクワ
1945-1946年
ニュルンベルク裁判
連合国による国際軍事法廷がナチス指導者22名を裁いた史上初の国際戦犯裁判。ゲーリング、リッベントロップ、カイテルら12名に死刑、ヘス、シュペーアらに禁固刑が宣告された。「平和に対する罪」「人道に対する
ドイツ・ニュルンベルク
1945年
国際連合の設立
1945年6月26日、サンフランシスコ会議で51カ国が国連憲章に署名し、同年10月24日に正式発足した。安全保障理事会は米・英・仏・ソ・中の5常任理事国に拒否権を付与し、国際平和維持の中核機関と位置づ
アメリカ・ニューヨーク
1946年〜1948年
東京裁判(極東国際軍事裁判)
1946年5月3日から1948年11月12日まで、A級戦犯28名が「平和に対する罪」「人道に対する罪」「通常の戦争犯罪」で起訴された。東条英機元首相ら7名に死刑、16名に終身禁固刑が言い渡された。イン
日本・東京
1948年
世界人権宣言の採択
1948年12月10日、国連総会で世界人権宣言が採択された。エレノア・ルーズヴェルト(フランクリン・ルーズヴェルトの夫人)が起草委員長を務め、フランスのルネ・カサン、レバノンのシャルル・マリク、中国の
フランス・パリ
1949年4月4日
NATO設立
アメリカ、カナダ、イギリス、フランスなど12カ国が北大西洋条約に署名し、集団防衛機構NATOが設立された。第5条の集団的自衛権(一国への攻撃は全加盟国への攻撃とみなす)が核心であった。初代事務総長イス
アメリカ・ワシントンD.C.
1949年
NATO(北大西洋条約機構)の設立
1949年4月4日、アメリカ、カナダ、イギリス、フランスなど12カ国がワシントンで北大西洋条約に署名し、NATOが発足した。第5条の集団的自衛権条項が核心であり、一国への攻撃を全加盟国への攻撃とみなす
ヨーロッパ・北大西洋地域
1949年
ジュネーヴ諸条約の採択
1949年8月12日、第二次世界大戦の惨禍を受けて4つのジュネーヴ条約が採択された。第1条約(陸の傷病者保護)、第2条約(海の傷病者保護)、第3条約(捕虜の待遇)、第4条約(文民の保護)からなり、武力
スイス・ジュネーヴ
1951年9月8日
サンフランシスコ講和条約・日米安保条約
1951年9月8日、吉田茂首相が48カ国とサンフランシスコ講和条約に調印し、1952年4月28日に発効して日本は主権を回復した。同日、日米安全保障条約も調印され、米軍の日本駐留が継続された。ソ連・中国
アメリカ・サンフランシスコ
1955年
バンドン会議(アジア・アフリカ会議)
1955年4月18-24日、29のアジア・アフリカ諸国の代表がインドネシアのバンドンに集結し、反植民地主義・反帝国主義を掲げた初の大規模な第三世界会議を開催した。インドのネルー、エジプトのナセル、イン
インドネシア・バンドン
1955〜1991年
ワルシャワ条約機構の設立
1955年5月14日、ソ連と東欧7カ国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア)がワルシャワ条約に調印。NATOに対抗する東側の集団安全保障体制として
東ヨーロッパ・ワルシャワ
1957年3月25日
ローマ条約(EEC設立)
フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)がヨーロッパ経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(ユーラトム)の設立条約に調印。関税同盟と共通市場の創設を目指し、「
イタリア・ローマ
1963年
アフリカ統一機構(OAU)の設立
32のアフリカ独立国がアディスアベバに集まり、アフリカ統一機構(OAU)を設立。エンクルマの「アフリカ合衆国」構想と、各国主権を重視する穏健派の妥協の産物。植民地支配の完全終結、領土保全、内政不干渉を
エチオピア・アディスアベバ
1965年
日韓基本条約の締結
韓国と日本が国交正常化を実現。日本は無償3億ドル・有償2億ドル・民間借款3億ドル以上の経済協力を約束。韓国はこの資金を経済開発に投入し「漢江の奇跡」の原資とした。しかし個人請求権の問題、竹島(独島)問
韓国・ソウル
1967年8月8日
ASEAN結成
タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの5カ国がバンコク宣言に署名してASEAN(東南アジア諸国連合)を結成。冷戦下の反共産主義を背景とした地域協力機構として出発し、冷戦後にベトナム
タイ・バンコク
1967年〜2015年(AEC発足)
ASEAN経済共同体の形成
1967年にタイ・マレーシア・インドネシア・フィリピン・シンガポールの5カ国で設立されたASEANは、冷戦期の反共同盟から経済統合体へと発展。2015年にASEAN経済共同体(AEC)が発足し、物品・
東南アジア全域(本部:ジャカルタ)
1968年
核不拡散条約(NPT)の署名
1968年7月1日に署名が開始され、1970年3月5日に発効した核不拡散条約(NPT)は、核兵器国(米・ソ・英・仏・中)以外への核兵器の拡散を防止する国際条約である。核兵器国の軍縮義務(第6条)、非核
国際・ワシントンD.C./ロンドン/モスクワ
1972年5月15日
沖縄返還
1972年5月15日、27年間の米国施政権下にあった沖縄が日本に復帰した。佐藤栄作首相とニクソン大統領の1969年の共同声明で返還が合意され、1971年の沖縄返還協定で具体化された。「核抜き、本土並み
日本・沖縄
1972年9月29日
日中国交正常化
1972年9月29日、田中角栄首相が北京を訪問し、周恩来首相との間で日中共同声明に調印。日本は中華人民共和国を中国の唯一の合法政府と承認し、台湾(中華民国)との外交関係を断絶した。中国は日本に対する戦
中国・北京
1972年
ニクソン訪中と米中接近
1971年のキッシンジャー秘密訪中を経て、1972年2月にニクソン大統領が北京を訪問。毛沢東と会談し上海コミュニケを発表。「一つの中国」原則を確認し、米中関係の正常化に向けた歴史的一歩を踏み出した。
中国・北京
1975年8月1日
ヘルシンキ宣言
35カ国(米加を含む全ヨーロッパ、ただしアルバニアを除く)が「ヘルシンキ最終文書」に署名。国境の不可侵性(第1バスケット)、経済協力(第2バスケット)、人権と基本的自由(第3バスケット)の三つの柱から
フィンランド・ヘルシンキ
1975年
ヘルシンキ宣言(欧州安全保障協力会議)
1975年8月1日、35カ国の首脳がヘルシンキ最終文書に署名した。第1バスケット(安全保障)で国境の不可侵と領土保全を確認し、第2バスケット(経済協力)で東西の経済交流を促進し、第3バスケット(人権・
フィンランド・ヘルシンキ
1978年〜1979年
キャンプ・デービッド合意
米国カーター大統領の仲介でエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が和平合意に署名。エジプトはアラブ諸国で初めてイスラエルを国家承認し、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還した。サダトとベギン
アメリカ・キャンプ・デービッド
1987年
INF条約の調印と核軍縮の進展
1987年12月8日、レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長がワシントンD.C.で中距離核戦力全廃条約(INF条約)に署名した。射程500-5,500kmの地上発射弾道ミサイルと巡航ミサイルの全廃
アメリカ・ワシントンD.C.
1987年9月16日
オゾン層破壊の発見とモントリオール議定書
1985年、英国南極調査所のジョー・ファーマンらが南極上空の成層圏オゾン濃度の劇的な減少(オゾンホール)を発見し、Natureに発表した。フロン類(CFC)がオゾン層を破壊するという1974年のモリー
南極上空(発見地)・カナダ・モントリオール(議定書締結地)
1991年
ワルシャワ条約機構の解散と冷戦の終結
1991年7月1日、ワルシャワ条約機構がプラハで正式に解散し、東側の軍事同盟が消滅した。同年12月25日、ゴルバチョフがソ連大統領を辞任し、翌26日にソヴィエト最高会議がソ連の解体を宣言。15の共和国
チェコスロヴァキア・プラハ / ソ連
1992年2月7日
マーストリヒト条約(EU発足)
EC加盟12カ国がEU(欧州連合)設立条約に署名。経済通貨同盟(ユーロの導入)、共通外交・安全保障政策、司法・内務協力の三つの柱を導入。「欧州市民権」の概念を初めて導入し、ヨーロッパ統合を経済共同体か
オランダ・マーストリヒト
1993年
オスロ合意
イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長がホワイトハウスでの歴史的握手とともに署名。イスラエルはPLOをパレスチナ人の代表として認め、PLOはイスラエルの存在権を承認した。パレスチナ自治政府が設
パレスチナ
1997年7月1日
香港返還
155年間のイギリス統治を経て香港が中国に返還された。鄧小平の「一国二制度」方針に基づき、資本主義体制を50年間維持する香港特別行政区が設立。初代行政長官に董建華が就任。
中国・香港
2000年6月
南北首脳会談
韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日国防委員長が分断後初の南北首脳会談を実施。6・15南北共同宣言に署名し、統一問題の自主的解決、離散家族再会、経済協力の推進を合意した。金大中はこの功績でノーベル平和賞
北朝鮮・平壌
2002年
アフリカ連合(AU)の設立
2002年7月にOAU(アフリカ統一機構)を改組してアフリカ連合(AU)が設立された。55の加盟国を擁し、欧州連合をモデルとした組織構造を持つ。平和安全保障理事会の設置により、OAU時代の「内政不干渉
エチオピア・アディスアベバ〜南アフリカ・ダーバン
2004年5月1日
EU東方拡大
ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、キプロス、マルタの10カ国が同時にEUに加盟した史上最大の拡大。加盟国は15から25に増加し、人口は約4億5
中東欧諸国
2015年
イラン核合意(JCPOA)
イランとP5+1(米英仏露中+独)が包括的共同行動計画(JCPOA)に合意。イランがウラン濃縮活動を制限し国際査察を受け入れる代わりに、経済制裁が解除される内容。2018年にトランプ大統領が一方的に離
イラン・テヘラン
2015年
パリ協定の採択
2015年12月12日、196カ国が参加するCOP21でパリ協定が採択された。産業革命前からの世界平均気温上昇を2度未満、できれば1.5度以内に抑えることを目標に掲げた。各国が自主的に削減目標(NDC
フランス・パリ
2016年
コロンビア和平合意(政府とFARC)
2016年11月24日、コロンビア政府とコロンビア革命軍(FARC-EP)が最終和平合意に署名し、52年間にわたる武力紛争に終止符を打った。サントス大統領とFARC指導者ティモシェンコ(ロドリゴ・ロン
南米・コロンビア
2020年
アブラハム合意
米国の仲介でUAE(アラブ首長国連邦)とバーレーンがイスラエルとの国交正常化に合意。その後モロッコとスーダンも加わった。パレスチナ問題の解決なしにアラブ諸国がイスラエルを承認した初の事例であり、イラン
UAE・アブダビ

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